「返報性の原則」は夫婦関係でどのように機能するか?

社会心理学の名著「影響力の武器」(誠信書房)には、人間心理を応用した様々な心理テクニックが紹介されている。
「返報性の原則」もその一つだ。

人間は、誰かに物をもらったり親切にされると、「お返しをしなければならない」という気持ちになることを前提にしている。
どのような「ギブ」をすれば、より大きな「リターン」が得られるかまで、著者のロバート・チェルディーニ氏は研究している。

先般、無料音声配信のリスナーの方から興味深い相談を受け、「リターン」と人間関係の密度について考えるきっかけとなった。
詳しくは、まず音声配信の方をお聞きいただきたい(せいぜい10分程度だ)。

音声でも話したように、「返報性の原則」は一種の社会規範であり日本流に言えば「義理」だ。
それに対し、感謝の気持ちは社会規範ではなく「人情」だ。

「利益をもたらしてくれた相手に対して、お返しを“しなければならない”」という規範が働くのは、人間関係がさほど密でない場合だろう。
親に毎日食事を作ってもらう子供が、食事の度に「お返しを“しなければならない”」という気持ちにはならないだろう。
親の方も、食事の「お返し」がないからといって不満を漏らすこともないはずだ。

このように、親子関係という究極に「密」な人間関係においては、「義理」としてのリターンが入り込む余地はない。
あるとしたら、「人情」としての感謝の気持ちだ。
兄弟関係の場合、双方が成長して大きくなれば「義理」の要素が強くなる。
幼い頃、上の兄や姉に面倒を見てもらっても「人情」の範囲として、リターンの義務感を抱かないのがほとんどだろう。

興味深いのが夫婦関係だ。
「ギブアンドテイク」という「義理」の関係性の強い夫婦もいれば、「人情」の問題としてリターンの入り込む余地のない夫婦もいる。
当初は「人情」のレベルでお互いが感謝の気持ちでいたのに、永年月を経たり離婚話が持ち上がると、過去に遡って「ギブアンドテイク」に変わってしまう夫婦関係もある。

法律的には、夫婦間の扶養義務は「生活保持義務」であって「生活扶助義務」ではない。
「生活保持義務」とはお互いに同じの生活レベルを義務づけるものだ。
双方が空腹でパンが一個しか残っていない場合、それを半分ずつ分ける義務だと考えれば分かりやすい。
これに対し、「生活扶助義務」は、自分に余力があれば助ける義務であり、先の例だと、自分が空腹を満たしたあと残ったパンがあれば与えろという義務だ。

夫婦間の場合、いずれも空腹に耐えながらも相手に半分のパンを与えなければならない。
ところが、いざ離婚となると、財産分与として残っている財産を精算することになる。
婚姻中は「人情」レベルの生活保持義務を課しておきながら、離婚となると「義理」としての「ギブアンドテイク」に、法律の扱いが変わってしまうように思える。
離婚は他人になるのだから、当然と言われればそれまでだが…。

法律がこのようになっているのであれば、婚姻中はちゃっかり「テイク」して感謝し、離婚となったら「ギブアンドテイク」でもらえるモノはもらうという戦略が最強かもしれない(笑)
現に、無意識的にそのような戦略を用いてきた人たちを、私は何人か見てきた。

つくづく、夫婦関係は損得関係では割り切れないものだと痛感させられる。

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年8月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。