中国政府の統計によると、日本の対中投資は昨年、32億7,000 万ドルで、2012年以来、5年ぶりにプラスに転じた。国別の投資額でも前年の7位から5位に上昇。政治的緊張により、欧米の対中投資が減少するのを尻目に、日本は近年、中国政府が進める産業高度化に対応して再び投資を活発化している。
そうした中、これから中国に投資するならどこがいいのか。現地に詳しくない日本人は、北京や上海、あるいは深圳あたりが思い浮かぶかもしれない。しかし、この20年あまり、名だたる日本企業が進出し、いまなお中国国内でも屈指の成長を見せる産業都市が上海の北西約50キロに存在する。それが昆山市だ。
このほど昆山市の杜小剛市長が来日。東京都内で7月30日、日本企業や投資家向けに「中国昆山市・産業投資交流会」が開催され、アゴラ編集部が取材に訪れた。
(編集制作:アゴラ編集部、広告企画:昆山市)
鑑真の日本への出発地 〜 伝統と革新が融合する「昆山」
現在では「創新型都市」を称するほど、イノベーティブな産業都市となった昆山だが、歴史や文化のエピソードもことかかない。5世紀の中国で精緻な円周率を算出し、数学史に名を刻む祖沖之はこの地の出身。8世紀に日本に渡来した唐の高僧・鑑真の出発地だった港も昆山にあり、日本とのゆかりを感じさせる。
時は流れて1993年、日系企業が初めて進出し、その後、電動工具大手のマキタ、東芝、トヨタグループ、日本精工、川崎重工業、東京エレクトロンなどの有力企業が崑山に拠点を構え、現在は日系の410社が進出。総投資額も46億7000ドルにのぼる。愛知県田原市や群馬県館林市と友好都市を結び、交流も活発という。
「日本とともに未来をつくる」意気込み
今回の産業交流会は、日本国内での昆山の知名度を上げ、日本からの企業誘致に弾みをつけるのが目的で開催され、日本企業や投資家などがほぼ満席の400人が集まる関心の高さをうかがわせた。
冒頭、杜小剛市長が登壇し、改革開放政策開始からの発展ぶりや日本とのこれまでの関係性をアピール。「ともに明るい未来をつくりましょう」と、日本の関係者に呼びかけた。
続いて李晖・副市長から、立地や産業基盤の詳しい内容や、半導体や創薬、産業ロボットの開発などに取り組んできたことを紹介。駐日中国大使館の宋耀明公使も「めざましい成果を挙げてきた」と強調した。
昆山側の受け入れ態勢の手厚さは、実際どれほどなのか。この日は日本側からもJETRO関係者らが登壇したが、進出した企業の経験に基づく評価が興味深いところだ。
進出の決め手は、昆山市の手厚い対応
そのひとつが、東京エレクトロン。同社は2012年、薄型テレビ用のフラットパネルディスプレイの工場を昆山に建設した。
当時の社長だった東哲郎氏は、3つの進出理由を指摘「上海空港から近く、交通輸送、製品輸送が便利だったことや、審査のスピーディーな対応など市政府の支援が協力的だったこと、サプライチェーンが充実していた」と振り返った。
交流会で登壇はしなかった進出企業からも、イベント資料ではアフターケアの手厚さを証言されている。いくつか代表的なものを紹介する。
「以前工場があった場所が市街化区域に指定されて移転しなければならなくなったとき、代替地を探してくれただけでなく、不安を抱えた従業員と膝詰めで話をして不安を和らげてくれました」(トヨタグループの豊田工業昆山有限公司)
「他の地域では、会社登記などの手続きをコンサルタントに依頼することが多かったが、昆山では、役所の人がきめ細かく手伝ってくれたので、外部の業者を使わずに完了できた」(日本テック系の昆山博久電機有限公司)
昆山で時代の波に乗る
一方、日本側の登壇者からは、マクロな視点から昆山をはじめとする中国市場の優位性を説く意見もみられた。
ウィンコンサルタントCEOで、エルピーダメモリ社長などを歴任した坂本幸雄氏は、「世界の半導体市場約40兆円のうち、約20兆円が中国市場。マーケットが巨大なだけでなく、中国の人たちは長期視点で物を考える長所がある」と述べた。また、ジャーナリストで、明治大学教授の蟹瀬誠一氏は「国家(同士)でビジネスをやるイメージがあるが、インフラの揃った都市とのビジネスもポイント」と指摘した。最後に、交流会は、昆山市と日本側で各種の経済協力に向けた協定を結び、調印セレモニーで締めくくった。
AIや自動運転、IoTなどのイノベーションへの投資と開発が著しい中国。日本企業がその成長の波に乗ろうとする時、投資先となる都市をどうやって選ぶか。20年を超える受け入れ経験、行き届いたサポート態勢、そして成長への熱意。日本から新たなパートナーを探してさらなる発展を目指す昆山市が、これからも注目されそうだ。