自然災害と「老害」

高幡 和也

最近、老害という言葉を頻繁に目にするようになったが、その使われ方がどうもしっくりこない。

老害という言葉が広辞苑に初めて載ったのは2008年のこと。

では、その広辞苑では老害をどのように解説しているのか見てみよう。

老害:硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること。
(出所 広辞苑 第六版 2008年 岩波書店)

いわゆる長老支配における支配的地位にいる人(ジェロントクラート)を批判する言葉の典型だろう。他の辞典で老害の意味を調べてみても広辞苑とほぼ同一の内容が記されている。

しかし、どうも一部の人たちやメディアの間では老害という言葉を「その存在や振るまいが迷惑な老人」として認知し使用しているようだ。もちろん広義では間違ってはいない。

筆者が強い違和感を覚えているのは、7月の西日本豪雨の際、ネット上で「避難が遅れた年配の人たちを老害と呼び非難するコラム」が話題となり、これについての賛否が分かれているという件だ。

これは賛否が分かれるような話なのだろうか?

まず、今回の災害で避難が遅れたのは年配者だけではないはずだし、そもそも避難の遅れは被災地の急激な状況の変化に加え、「正確な情報の不足」が主な原因だったのではないか?

その様な状況下で避難が遅れた年配者は断じて老害などではない。

たしかに災害時において避難の遅れが結果的に被害を大きくするという側面はある。しかし、その理由を「老害だから」で一括りにしてはならない。

災害の発生が予測されたとき、または実際に災害が発生した場合の避難について「いま問われるべき」なのは、地域におけるタイムリーな情報伝達システムの構築をどうしていくかや、地元住民が災害情報をどのように共有していくか等であって、決して老害云々などではないはずだ。

老害という言葉はキャッチーだし、実際、日本社会には「定義どおりの老害」も多いので、この言葉自体に共感を覚える人は少なくないだろう。

しかし、再度いうが老害とは「硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること」である。

老害を口にするときには、非難されるべき「本来の老害」とは何なのかをもう一度考えてみてほしい。