手軽に濫用される「●●ファースト」への警鐘

高部 大問

猫も杓子も「●●ファースト」

「●●ファースト」と聞いて、何を思い浮かべられるだろうか。

「レディファースト」のような一般用語にはじまり、「選手ファースト」や「PLAYERS FIRST(日本サッカー協会)」などのスポーツ用語、そして「都民ファースト(小池百合子知事)」や「アメリカファースト(トランプ大統領)」といった政治用語まで多種多様であり、「●●第一」という日本語表現も含めれば、「国民第一」「市民第一」「安全第一」「従業員第一」「消費者第一」など枚挙に暇がない。

「都民ファースト」を掲げた小池百合子氏(Wikipediaより:編集部)

何処も彼処も「●●ファースト」だらけな世の中だが、一方でアメフト問題、ボクシング問題、文科省不祥事問題、障害者雇用水増し問題など、優先事項を見失ったかのようなトピックも数多く耳にする。産声を上げた「●●ファースト」たちは真に「●●」を最優先されているのだろうか。

何物にも優先する覚悟が付属品

言うは易く行うは難しで、「●●ファースト」と宣言するだけならば誰にだってできる。しかし、実践するには相当程度の覚悟と労力を要する。

たとえば、テニスの大坂なおみ選手のツアー初優勝(BNPパリバ)を支えたコーチのサーシャ・バイン氏は、常に「選手第一」で家族の冠婚葬祭よりも選手を優先するほどだ。大坂も半端ないが、コーチも半端ないというわけである。一流のトップランナーはここまでやる。本命に全てを捧げ、何物にも優先する。その姿を、人は「本物」と呼ぶのだろう。

「●●ファースト」や「●●第一」と言ってはいけない、というわけではない。そうではなく、宣言するのであれば、口が裂けるほどの覚悟が付属品としてついてくるということである。

「安全第一」を掲げる企業は、仮に「安全か売上か」の二者択一の局面に直面した場合、迷わず安全を選択せねばならない。たとえ同業他社に売上を奪取されても、ステイクホルダー(利害関係者)に批判されても、である。

覚悟なき「子どもファースト」

「●●ファースト」は教育界にも存在する。私は私立大学で事務職員として勤務しており、大学だけでなく中学校や高校とも交流があるが、「生徒第一」「STUDENT FIRST(学生ファースト)」など「子どもファースト」を掲げる教育関係者は少なくない。

教育界には、子どものために身を粉にして尽力したいという志高き住人もいれば、ひとまず「子どものため」と宣言しておけば誰かに咎められることはないだろうという省エネ化された打算的な住人もいる。しかし、掲げるだけで言行不一致である事例が散見されることもまた事実である、両者を問わず。

たとえば、大学の就職課のなかには、「学生のため」を思った結果、「実際の仕事でも上司は選べないから」という理由で、学生による進路担当者(キャリアカウンセラーなど)の変更依頼を許可しない大学もあるし、「他の学生や後輩に迷惑が掛かるから」という理由で全就職活動生の内定保有数を常に1社のみに厳しく制限する大学もある。

これらのどこが「子どもファースト」なのか。人格や個性や職業選択の自由を尊重していると胸張って言えるだろうか。学生は部下ではないし、教育関係者も上司ではない。何が「子どものため」なのだと思う。実際は「上長ファースト」や「叱られないことファースト」ではないか。

上記のようなルール設定が絶対悪ということを申し上げたいわけではない。そうではなく、有言不実行は不細工であり教育効果は期待できないということだ(反面教師という教育効果を除く)。

そして、実行する気がなければいとも簡単に有言不実行に陥ってしまうという、極めて低い実現率の性質を持つ言葉が「●●ファースト」なのである。鼻歌の如く気軽に口遊めるフレーズではない。

強引なファースト志向は身体をも蝕む

参考までに、『「教員の働きがいに関する意識調査」報告』(社団法人 国際経済労働研究所 ,2012)によれば、全国の小中高の教員の「働きがい」は給与や福利厚生や役職その他の待遇など外発的要素ではなく、教育という仕事や教育制度の将来に夢を持っているかどうか、という内発的なものだという。

一方で、教員の「ストレス」の規定要因は小学校・中学校がともに「仕事が忙しいので睡眠時間を削っている」が1位、高等学校は「自分に許せられている役割は多すぎる」が1位であった。

つまり、一見、お金などでは釣られず己の信念に生きる煩悩とは無縁の理想の先生のように感じられるが、実態は仕事がハードでストレスを抱える一社会人なのである。

個人のモチベーションを拠り所としてはいけない

同報告書では、「内発的働きがいが高いことは、賞賛すべきこととしてとらえられがちだが(中略)教員のようにあまりにも内発的に偏りすぎている場合はむしろ要注意」と警鐘を鳴らしている。組織への関心の低さが特徴の過剰内発型従業員が多い会社では業績が上がりづらいことも指摘されている。

こうした実態から、組織における教訓としては、個人のやる気や熱意に寄生し、彼らのモチベーションだけを拠り所としてはいけないということだろう。闇雲に「子どもたちのためだから」と付和雷同させて教師が健康を害しては元も子もないからだ。

下手に覚悟を持つな

次に、個人における教訓としては、「●●ファースト」と軽口を叩く前に、サーシャ・バイン氏ほどの覚悟が自分にあるかを問うてほしい。それは、何が何でも覚悟を持てということではない。逆である。寧ろ、身を滅ぼし悲劇的な生き方をしないためにも、下手に覚悟を持とうとするな、ということである。

火のないところに煙が立たないように、意思なきところに仕事は立たない。
胸に手を当て自問自答した結果、自分には「●●ファースト」と心底言えるだけの火が灯っていないのであれば、潔く取り下げた方がよろしい。

自己犠牲の美学と訣別せよ

どうしても私たちは「自分が大事です」「自分ファースト」と言い出せない空気を感じ、多少自分を犠牲にしてでも他者に尽くす「自己犠牲」の方に美学を見出しがちである。しかし、生半可な意思や覚悟で臨むならば、それは足手まといなボランティア同然であり、美しい仕事は成し得ない。

溺れている者が他者を助けられないように、まずはしっかりと自分の身の安全を確保し、そのうえで世のため人のために尽くす方が実直で賢明だろう。それは、他者を排除し自分中心に生きることを意味しない。自己犠牲の対義語は自己中心ではないのだ。

ファスト・ファースト

「●●ファースト」とは、寝ても覚めてもその対象にフルコミットする気概のある者にのみ使うことが許されたタフな言葉である。

手軽で手頃なファスト・フードやファスト・ファッションの如く、コンビニエントな「●●ファースト」に飛びついてはならない。「ファスト・ファースト」は個人も組織もハッピーにはしてくれないだろう。

「●●ファースト」は、決して、嘘っぱちや冗談で振りかざして良い言葉ではないし、また、振りかざさなくて良いのだ。

高部 大問(たかべ だいもん) 多摩大学 事務職員
大学職員として、学生との共同企画を通じたキャリア支援を展開。本業の傍ら、学校講演、患者の会、新聞寄稿、起業家支援などの活動を行う。