8月、中央省庁による障害者雇用水増し問題が浮上した。それも今に始まったことではなく、なんと1976年に身体障害者の雇用が義務化された当初から42 年間も恒常的に行われていたという。そして、その後の調査で各地の自治体でも同様の水増しが次々に指摘された。この問題の要因は、霞が関に限らず、行政体質そのものにあるのではないか。
雇用義務化時点から水増しが恒常化していたということは、行政内では報告だけで済まされていたということでもあろう。民間には調査を行い、罰則付き規制を課すのであれば、今まずすべきことは、行政への特別扱いを廃止し、民間と同様の調査と罰則規定を行政にも適用することである。
障害者雇用という制度において、行政を例外扱いする理由はないどころか、利益性を問わない行政なら民間より高い雇用率、かつ、より厳格な調査であってしかるべきであり、逆の意味での特別扱いが必要である。
一方で、今回、障害者雇用促進法に基づく「障害者雇用率制度」の制度改革による省庁間での問い合わせをきっかけに問題が発覚したという。この法改正が無ければ発覚していなかったであろうと推察されるだけでなく、更には、行政が発表する他の大量のデータについても不信が募る。
モリカケ問題での公文書管理の不備が明るみに出て以来、行政に都合の悪いデータは改ざんもしくは廃棄されている可能性があるという実態が明らかになり、国民による行政事務への信頼は少なからず揺らいだ。
その背景には、省庁や役所は敢えて監視しなくとも当然公正だろうという、信仰的な風潮があるが、今回の障害者雇用の水増し問題は、公正性だけでなく、倫理的な問題も孕み、ニッポンのお役所信仰は崩壊すべき妥当な理由が露呈したと考える。
行政は聖域ではない。そもそも役所を構成する役人もまた、我々と同じ一般市民であるのだから、役所自体が特別公正な機関であるはずがない。しかし行政は、市民から税金や各種納付金という形で強制的にお金を徴収することができるという点で特別であり、その特別な権力を持つものは、本来公正であるべきである。
役所では、公正性を客観的に担保するために、「第三者的有識者による評価」を用いる傾向にあるが、特定の事業だけ、しかも役所が選んだ有識者による評価だけでは、膨大な行政事務の公正性は担保できない。
だからこそ、しっかりと全市民が行政に関心を持ち、選挙を通じて評価する必要がある。政治に期待できないからと、市民が政治行政に無関心でいることは、行政にとって一番楽な状態である。関心が無ければ、どんな行政運営をしていても、文句を言われないからである。
太古の昔から役人は一般市民よりも優れていると自負する傾向があるが、役人は税金で仕事をし、税金で給料を貰い、身分保障までされている点を考えると、我々納税者が“お役所信仰”するのはおかしな話だ。欧米では納税者意識が高く、役所を特別視するどころか、役所が税金を適切に使っているかを市民がしっかり見ている。
これまで闇の中に包まれていた日本の行政事務も、情報化社会と共に徐々にオープンになってきた。従来のように、現地に行かなくては資料が見られないという状況では、市民が行政に関心を向けるのは困難であったが、インターネットの普及で、今や行政の統計データだけでなく、行政が作成する多くの資料や会議の記録など、様々な情報を瞬時に入手することができる。また、多くの議員が情報発信をしている。これらは、市民が行政を評価するための重要なツールである。
行政の公正性を担保するためには、十分な情報を市民に提供する必要があり、その公開状況はまだ発展途上だが、役所が集計して見栄え良く加工したデータを形式的に公表することに加え、その根拠となる元データや、非公開基準なども開示していくべきである。
行政は、公権力を持つという特殊な存在により公正なのではなく、市民によって公正性が担保されるべきものだという認識が、行政自身にも、市民にも欠けている。今回の問題を機に、今一度、「あたりまえでつまらない政治行政」に、目を向けてもらいたい。スキャンダル報道の伴わない行政事務の多くはとても地味だが、皆から預かった税金を扱うとても重要な仕事でもあるからだ。
注記)ここでいう市民とは、特定の市の市民ではなく、自治体の住民という一般的な意味での市民である。
山本ひろこ 目黒区議会議員(日本維新の会)
1976年生まれ、広島出身、埼玉大学卒業、東洋大学公民連携学修士、東京工業大学イノベーション科学博士課程後期。
外資金融企業でITエンジニアとして勤務しながら、3人娘のために4年連続で保活をするうちに、行政のありかたに疑問を抱く。その後の勉強会で小さな政府理論に目覚め、政治の世界へ。2015年、目黒区議選に初当選。PPP(公民連携)研究所、情報通信学会、テレワーク学会に所属。健康管理士。