古今東西、分野を問わず、ドイツの哲学者ショーペンハウアーやジャーナリストの徳富蘇峰等を始め、多くの著名人が自らの読書論を語っている。私は若き政治学者・岩田温を、この中に加えたい。
人が集まれば、必ず政治が営まれる。政治は人と人とが織り成す人間模様そのものであり、どの分野の本であれ政治学とは無縁ではいられない。その意味で、本書は政治学者・岩田温による政治学入門のシラバスと言ってよいだろう。例えば、本書で紹介されている松本麗華の「止まった時計」は、決して後生名著と言われることはないだろう。
しかし、それでも一人一人の人間の持つ多面性や、自分自身の立ち位置によって人の評価が如何様にも変わりうることが、赤裸々に語られている。また、ワシーリー・グロスマンの「万物は流転する」は、スターリン時代のウクライナを舞台とした全体主義に対する警告の書である。一方で、著者は訳者である齋藤氏に光を当て、同書が日本語訳されたことの意義を語る。訳者が若き日にソ連を美化したことへの反省は、我が国の戦後の思想潮流を振り返る上でも重要な視点だ。
数々の作品を紹介する中で、著者は文芸評論家としての顔も見せる。著者に勧められて、本書でも紹介されているオー・ヘンリーの「改心」を私も手にとったことがある。この物語は本書でも紹介されている通り、人間は自由であり変わることが出来る、ということが大きなテーマだ。確かに印象的な結末に至るが、文体そのものに派手さはなく淡々と進む。正直に言えば私は「改心」そのものよりも、それを感動的に物語る著者の書評に心動かされたと言っても過言ではない。良書は作者や編集者のみによって生み出されるのではなく、誰が世に紹介するかによってもまた、後生読み継がれるかどうか大きく左右される。
本書では読書の効用を、「何故本を読んだ方がいいのか」として9点、「流されない読書」として14点が提示されている。私があえて読書の効用を付け加えるとすれば、同時代を生きる偉大な人物を人生の模範とできる、ことではないかと思う。
本書で最も強い印象を受けたのが、故渡部昇一氏への著者の思慕の念だ。渡部氏から送られてきたファンレターへの返信が著者を感激させ、その後の人生の糧となっている。生前に著者と渡部氏が直接交流した時間は決して長くはない。しかし、私淑する渡部氏を人生の目標と定め、ずっと氏の背中を追ってきたのではないかとの想いに、本書を読みながら至った。本書は氏の「青春の読書」に対する、弟子から師匠への恩返しとは言えないだろうか。
著者は、受験生時代に現代文の問題を読み解きながら、感動して涙を流してしまったほどの無類の活字好きである。野球の解説は元プロ野球選手に任せるのが定石だ。同様に、活字の海に踏み出そうとする読者には、その中で日々生きるプロの水先案内人が必要である。
小林 武史 国会議員秘書