『フェイク・ニュース』と選挙をめぐる論争は尽きないが。沖縄知事選挙でもそれが焦点になっている。
琉球新報が熱心に取り組んで、インターネット上で出回る情報のファクトチェック(真偽検証)を行うNPO法人「ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)」へ参加し、紙面やホームページでフェイク(偽)情報を検証する「ファクトチェック―フェイク監視」を随時掲載するとしているが、逆に琉球新報自身がフェイクニュースを流しているのではないかと批判されたり、フェイクニュースだとしたものが必ずしもそうでなく、フェイクニュースとした琉球新報そのものがフェイクニュースと指摘されている。
たとえば、琉球新報は9月22日に佐藤優氏の『植民地選挙』というエッセイを掲載して、そのなかで、佐藤氏は以下のように書いた。
翁長氏が知事に当選し、移行期にあり、同氏の当選によって確認された民意に反する政治的決断は、民主主義原則に照らしてできないにもかかわらず、仲井眞弘多知事は、知事任期の最後の局面で辺野古の埋め立てを許可した。このような民主主義的手続きを無視する形で埋め立ては始まったのだ。ここに中央政府の沖縄に対する差別的政策が端的に表れている。
しかし、これは佐藤氏のまったく単純な記憶違いである。辺野古の埋め立て承認は、2013年12月27日。仲井真弘多知事の任期満了の1年前のことだ。
このエッセイはまったくのフェイクニュースになっている。それは、佐藤氏といえども記憶違いがあると言うことで、意図的なものではないと思うが、琉球新報は当然にチェック可能だったはずではないかという疑いは残る。
もうひとつは、「ファクトチェック フェイク監視」として「一括交付金導入で『候補者関与はうそ』は偽情報 民主政権時に創設」という記事である(2018年9月21日)。
県知事選を巡り、沖縄振興一括交付金の導入決定に至る取り組みについて、ある候補者(編集部註:玉城デニー氏)が「直談判で実現にこぎつけた」と記したのに対し、公明党の国会議員(編集部註:遠山清彦議員)が「ゆくさー(うそ)」と指摘し「自公の議員が(中略)政権に飲ませて、一括交付金制度を作った」と自身の短文投稿サイト・ツイッターに書き込んだ。公明党議員も入った与野党プロジェクトチーム(PT)が「制度の中身を決めた」とするが、一括交付金の制度自体は民主政権下の2011年12月の沖縄関係予算案で初めて創設されたもので、与野党PT翌12年3月に発足し協議しており、正確ではない。
当時の政権の首相補佐官で、一括交付金も担当した逢坂誠二衆院議員は、19日付の自身のツイッターで「(候補者からも)繰り返し要望を受けた」と導入の経緯を証言している。
一括交付金に関する候補者の発言は、14日付の本人のフェイスブックに書き込んだ。これに対し公明党議員は9月15日のツイート(つぶやき)で「(候補者の)誇大宣伝がわかりました。彼は、一括交付金制度の中身を決めた平成24(2012)年3月13日から19日に4回開催された与野党PT交渉委員会議にいませんでした。(中略)中に私がいるので(候補者の)不在は、明らか。(候補者名)ゆくさーです」と書き込んだ。
さらに同じ15日付で「当時の野党であった自公の議員が、沖縄県の要望を民主党政権に飲ませて、一括交付金制度を作ったのです」と制度策定での自公の成果を強調した。
一括交付金は、民主党政権で野田佳彦内閣(当時)が2011年12月24日の閣議で決定した沖縄関連予算2937億円のうち、1575億円を使途の自由度を高めた交付金として創設した。当時の仲井真弘多知事も決定を受け「沖縄振興の趣旨を踏まえた交付金が創設され、本県の振興に配慮がなされたと感謝している」と創設に謝意のコメントを出していた。
逢坂氏は自身のツイッターで「沖縄一括交付金は沖縄県の皆さんから強い要望があった。当時の自民公明の皆さんからは強い批判が多かった」と記した。(’18知事選取材班)
ところが、それに対して、各方面から「遠山議員が玉城デニー議員がなにも関与していないなんていってない。『直談判して』というのは事実でないとしただけなのに、事実をすり替えているのでフェイクニュースだ」などと批判が出ている。
つまり、民主党政権のもとで実現したこの制度だが、その中心になり、まさに政府に直談判してかちとった「与野党PT交渉委員会」のメンバーに遠山氏は入っているが、玉城デニー氏は入っていないし、当時は、県連と党本部が対立していたとか、県連のなかで小沢側近の玉城氏は孤立していたとかの事情もあり、関与しにくかったはずというわけだ。
一括交付金制度要求を求めていた民主党の一員だったことはたしかだが、それ以上の役割はなかったというのであり、遠山氏の指摘をフェイクだと決めつけた琉球新報こそフェイクの発信元だというのである。
これについては、読者の判断を仰ぎたいところだが、普通には遠山氏のいうことに飛躍は感じられないのではなかろうか。