「ビガーノ書簡」巡るバチカンの戦い

長谷川 良

10月7日午前7時(現地時間)のバチカンニュース独語版のサイトを見て驚いた。トップ記事は「バチカン、マキャリック枢機卿問題の全容解明を約束」だ。バチカン法王庁もいよいよ本腰を入れて説明責任を果たすのだろうか。その関連記事に「ミュラー枢機卿(前教理省長官)、マキャリック枢機卿への制裁は知らなかった」という記事が報じられている。ミュラー枢機卿は保守派聖職者の代表であり、フランシスコ法王に教理省長官の任期延長が拒否されたドイツ人聖職者だ。

▲前教理省長官のミュラー枢機卿(バチカン放送独語電子版から)

上記の2本の記事の見出しから、世界のローマ・カトリック教会を揺り動かすセオドア・マキャリック枢機卿問題でフランシスコ法王擁護派と法王批判派がいよいよバチカンのメディア上で攻防戦を始めた、といった印象を受ける。

バチカンを窮地に追い込んでいるのは、通称「ビガーノ書簡」だ。米教会のマキャリック枢機卿は2001年から06年までワシントン大司教時代に、2人の未成年者へ性的虐待を行ってきたことが明らかになり、フランシスコ法王は今年7月になって同枢機卿の全聖職をはく奪する処置を取ったが、それまでマキャリック枢機卿の性犯罪を隠蔽してきたという疑いがかけられている。

米教会のスキャンダルを暴露した元バチカン駐米大使カルロ・マリア・ビガーノ大司教は書簡の中でフランシスコ法王の辞任を要求したことから、「ビガーノ書簡」はバチカンばかりか世界のカトリック教会を震撼させる大事件となってきたわけだ。

バチカンニュースによると、バチカンは6日、「マキャリック枢機卿の不祥事が判明した直後、フランシスコ法王は声明文の中で事件の全容解明を指示していた」という趣旨の声明文を公表し、「マキャリック枢機卿の不祥事を知りながら隠蔽してきた」という「ビガーノ書簡」の主要な批判へ反論を展開させた。

バチカンニュースによると、「ワシントン大司教区は昨年9月、1970年代にマキャリック枢機卿に性的虐待を受けたという男性の非難をバチカンに報告。それを受けたフランシスコ法王は即、事件の解明を指示。そして調査が終了する前に、枢機卿の不祥事情報が信頼できるとしてマキャリック枢機卿の辞任を受け入れ、枢機卿に聖職停止と悔い改めを指示した」というのだ。バチカンは近い将来、マキャリック枢機卿事件の最終報告を公表する予定という。

なお、フランシスコ法王は未成年者へ性的虐待を犯した聖職者、それを隠ぺいした関係者は今後、絶対に容認されないと繰り返し強調した。来年2月には、聖職者の性犯罪問題に関して世界のカトリック教会司教会議のトップを招集して協議する予定という。

次に、ゲルハルト・ミュラー枢機卿に関する記事だ。同枢機卿は2012年から17年の間バチカンの“教義の番人”と呼ばれる教理省(前身・異端裁判所)の長官を務めてきたが、同枢機卿によると、「マキャリック枢機卿への制裁は全く実施されなかった」という。4日放映されたワシントンのカトリック教会系TV放送EWTNとのインタビューの中で答えた。

「ビガーノ書簡」によれば、前法王ベネディクト16世はワシントン大司教のマキャリック枢機卿に対して制裁を決定したが、「フランシスコ法王はそれを無視し、マキャリック枢機卿へ制裁は実施されなかった」という。ミュラー枢機卿自身、「そのような制裁を知らなかった」と表明し、教理省長官時代、マキャリック枢機卿への制裁について全く聞かされていなかったと述べ、フランシスコ法王が制裁を実施しなかったことを示唆している。

ミュラー枢機卿は、「ローマ法王の許可がなくても教理省が独立調査を実施する必要がある。これまでは司教や枢機卿に対し調査を実施するためにはローマ法王の許可が必要だったが、これが問題だ。変える必要がある。教理省は全権をもって調査を実施し、その結果をローマ法王に報告。法王がその報告を受けて最終的に決定する、という流れが重要だ」と述べている。

なお、フランシスコ法王への批判は今回が初めてではない。フランシスコ法王が2016年4月8日、婚姻と家庭に関する法王文書「愛の喜び」(Amoris laetitia)を発表した。その中で「離婚・再婚者への聖体拝領問題」について、法王は、「個々の状況は複雑だ。それらの事情を配慮して決定すべきだ」と述べ、法王は最終決定を下すことを避け、現場の司教に聖体拝領を許すかどうかの判断を委ねた。それに対し、保守派の4人の枢機卿が法王宛てに書簡を送り、「離婚者、再婚者へのサクラメントは、夫婦は永遠に離れてはならないというカトリック教義とは一致しない」と主張し、フランシスコ法王のリベラルな路線を厳しく批判した。ミュラー枢機卿も当時、その主張に同調していた一人だ(「バチカン日刊紙、保守派を批判」2017年7月26日参考)。

ローマ法王に就任して5年半の年月が経過したが、南米出身のフランシスコ法王はこれまで2度、バチカン高官から厳しい批判にさらされている。ペテロの後継者のローマ法王が身内から辞任を要求された今回の「ビガーノ書簡」は長い教会史の中でも稀な出来事と言わざるを得ない。

「ビガーノ書簡」を巡るバチカン内の攻防戦は予想されたことだが、重要な点は聖職者の未成年者への性的虐待事件の解明とその再発防止だ。バチカンの保守派聖職者もフランシスコ法王支持のリベラル派もその点をくれぐれも忘れないでほしい。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。