ウクライナ正教会独立は「善の勝利」か

長谷川 良

東方正教会の精神的指導者の立場にあるコンスタンチノーブル総主教庁(トルコのイスタンブール)は11日、ロシア正教会の管轄下にあったウクライナ正教会の独立を承認した。ウクライナのポロシェンコ大統領は「悪に対する善の勝利だ」と称賛したという。

▲ポロシェンコ大統領、キエフ正教会最高指導者フィラレート総主教を迎え、ウクライナ正教会の独立を祝う(2018年10月11日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

ウクライナ正教会の独立が「悪に対する善の勝利」を意味するのだろうか。この場合、「悪」とは第1にはロシア正教会を意味するが、それよりロシア正教会を政権掌握の手段に利用してきたロシアのプーチン大統領を指すと受け取るのが妥当だろう。

そうなれば、ポロシェンコ大統領が「悪」といった意味は、ウクライナのクリミア半島を強制的に併合したプーチン大統領を意味し、ウクライナの主要宗教、正教会がロシア正教会から独立を勝ち得たということは、ポロシェンコ大統領がクリミア半島を奪ったプーチン氏にしっぺ返ししたことを意味し、「悪に対して善が勝利した」という表現が飛び出してきたわけだ。

旧ソ連解体後、ウクライナは独立したが、同時に、ロシア正教会下にあった正教会は3分割された。キエフ総主教所属のウクライナ正教会、従来通りにロシア正教会所属のウクライナ正教会、そして独立正教会だ。

キエフ総主教庁下の信者数は全体の約50%を占め、最大の規模を誇ってきた。モスクワ総主教庁所属の正教徒約26%だ。信者数ではキエフ総主教庁下に所属するウクライナ正教会が最大の正教会といえるわけだ。

その結果、ロシア正教会の管轄権から独立を願う声がキエフ総主教に所属する正教会から出てきたのはある意味で自然の流れだ。ただし、コンスタンチノーブル総主教庁はウクライナ正教会の独立にはこれまで反対してきた。

ウクライナ紛争前にもユシチェンコ大統領時代の2008年、ウクライナ正教会のモスクワからの独立をコンスタンチノーブル総主教側に要求したが、拒否された経緯がある。

参考までに、ロシア正教会とプーチン大統領の密接な関係を紹介する。

ロシア正教会はソ連共産党時代の癒着問題があって、ソ連解体後も立ち直りに時間がかかったが、プーチン大統領時代に入り、勢力をほぼ回復してきた。プーチン大統領はロシア正教を積極的に支援し、国民の愛国心教育にも活用してきた。プーチン氏自身も教会の祝日や記念日には必ず顔を出し、敬虔な正教徒として振る舞ってきた。プーチン氏はロシア正教会復興の立役者といってもいいだろう。

それだけではない。プーチン氏は実際、敬虔なロシア正教徒だという。ソ連国家保安委員会(KGB)出身の同氏がロシア正教会の洗礼を受けていたのだ。

プーチン氏は、「父親の意思に反し、母親は自分が1カ月半の赤ん坊の時、正教会で洗礼を受けさせた。父親は共産党員で宗教を嫌っていた。正教会の聖職者が母親に『ベビーにミハイルという名前を付ければいい』と助言した。なぜならば、洗礼の日が大天使ミハイルの日だったからだ。しかし、母親は『父親が既に自分の名前と同じウラジーミルという名前を付けた』と説明し、その申し出を断わった」という証をしている(「正教徒『ミハイル・プーチン』の話」2012年1月12日参考)。

話を戻す。ウクライナ紛争後(2014年2月以降)、ウクライナ正教会を取り巻く状況が変化した。コンスタンチノーブル総主教側はロシア正教会がバルカンの正教会圏を主管下に置こうと画策してきたことに不快感を感じ出す。ロシア正教会がプーチン大統領の願いに基づいて世界の正教会を支配下に置こうとする野心があることに気が付き、キエフ総主教下のウクライナ正教会の独立を認める方向に傾いてきた。実際、ヴァルソロメオス1世はキエフ総主教のウクライナ正教会の独立を年内に認めると約束していた。

それに気が付いたロシア正教会は、過去さまざまな手段でコンスタンチノーブル総主教庁に政治的圧力をかけてきた。ロシア正教会トップのキリル総主教は、「ウクライナ正教会の独立は破滅的な決定だ」と非難してきた。

ウクライナ正教会がロシア正教会の管轄下から離脱することでロシア正教会は世界の正教会でその影響力を大きく失うとともに、モスクワ正教会を通じて東欧諸国の正教会圏に政治的影響を及ぼそうとしてきたプーチン氏の政治的野心は一歩後退せざるを得なくなる。東方正教会ではこれまで以上に親ロシア派と反ロシア派に分裂するだろう。例えば、セルビア正教会はウクライナ正教会の独立には反対している、といった具合だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。