皇室用語や年号を抜本簡素化すべき(特別寄稿)

八幡 和郎

天皇陛下の代替わりが近づくにつれて、皇室やそれに関連する用語の複雑さや実用性のなさが目立つようになっている。率直にいって無意味に複雑でうんざりしている人も多いと思う。

宮内庁サイトより:編集部

まず、年号だが、すでに来年の5月1日から変わるということがはっきりしているので、「東京五輪は平成32年開催」などといえず、「2020年」ということで統一されてきている。これまでのように、天皇陛下が崩御された場合だけ年号が変わるというなら、平成32年と書いていてもいいのだが、すでに平成32年は存在しないことが分かっているのではそう書く気も起きない。

せめて、十分な余裕をもって発表すれば、新しい年号で書く機会も増えただろうが、原則論にこだわったことが、年号が廃れる原因をつくってしまっている。

また、元日に改元にすればまだましだったが、5月1日という年の途中というのは不便で仕方ない。大晦日御退位、元日に即位にするべきだったし、そうしないまでも、年末に交代するが、改元は元日でもよかった。あるいは、来年は平成31年でもあり新年号元年というような解決もありえて、公文書は平成のままという手もあった。

実用的には西暦に統一して、元号は雅称として扱えばいいのでないかと思う。表彰状などは元号というとありがたみがあっていいかもしれない。あるいは、陛下だけが年号を使うというのはどうか。

陛下がやめられることをどう表現するかも、退位とか生前退位とかはおかしいとか、譲位であるべきだとかあるべきでないとかいう議論も困ってしまう。退位というのは普遍的な表現であるから、否定する理由はないはずだ。

譲位というのは不適切とはいえないが、江戸時代までの譲位と同じとも言い切れない。どっちにしても、法令で決めるとかすれば良かったのだが、しないからややこしくなっている。

皇后陛下が生前退位という言葉に違和感を持っておられるとか言う話も噂されているが、「生前」というのは「生前贈与」という法律用語もありおかしくはまったくない。

私などは、このごろは、譲位というのにも抵抗があるし、退位というと文句言う人がいるので、「御退位」と書いてごまかすことが多い。

そして、陛下の代替わりをどう呼ぶのかというと、なにも公式のものはない。「代替わり」「天皇陛下の交替(継承)」などかなと思うが、決まった用語法がないので不便だ。

このアゴラの記事などは今上陛下と書いておけばいいのだが、単行本の場合には御退位の前でもあとでも読む人がいるので不便だ。両方で使える名前を宮内庁か政府も考えるべきだと思う。といっても仕方ないので、『平成の陛下』『平成の天皇陛下』と少し書いてみて反応をみたりもしている。皇太子殿下については、もう「2019年にご即位予定の皇太子殿下」「平成の皇太子殿下」とか書くしかない。

私が提案させてもらうなら、もう、明仁天皇、徳仁皇太子とかいう言い方にしてはどうかと思う。それなら、交代後も誰のことか間違わない。そもそも、海外ではエンペラー・アキヒト、グランド・プリンス・ナルヒトだ。日本でも外国の君主については、エリザベス女王とか呼んでいるのだから、それで不敬でないはずだ。

雅子様とか悠仁様とかいうのはダメで、殿下ときちんと呼べというのも、それなら、海外の王族もそういわないとおかしい。チャールズ皇太子などといわすに、英国皇太子殿下とかいうべきだろう。自国の皇族だけに殿下をつけるのはおかしい。

海外では、教授とか博士とか、あるいは辞めたあとも大使などにはミスターでなく、プロフェッサーとかを肩書きにするのに日本ではしないのと不均衡だ。戦後、閣下とか言うのも含めてさまざまな尊称をやめたのだから、皇室も簡素化しても不敬ではない。

皇族がお亡くなりになったときにも、崩御とか薨去とかいうべきだという人もいるが、そういうのは、公式発表のときだけでいいのではないか。これについても、外国の王族についてはなぜ使わないのだろうか。

私は皇室制度は熱烈に支持しているし、敬意も払うべきだとも思うが、惰性であまりアンバランスだったり、実用性の低いものになっているのはどうかと思う。

明治150年を機に、全面的に見直して整理してもいいのでないかと思う。そもそも、現代の皇室用語の大きな部分は、明治になって欧州をみならってつくったり復活させたりしたものだ。

天皇とか陛下とかいう呼び方はほとんどされていなかったし、皇后は鎌倉時代を最後に存在せず、皇后を陛下と呼ぶことは明治以前にはまったくなかったのだから、伝統でもなんでもない。

八幡和郎
イースト・プレス
2018-04-08