サンフランシスコで100年以上続く老舗クラフトビールの正体 --- 加藤 彰浩

寄稿

はじめまして。在サンフランシスコ総領事館の加藤彰浩です。井上貴至君とは総務省の同期というつながりですが、今回縁あって寄稿させていただくことになりました。

先日、サンフランシスコで一番有名なクラフトビール「アンカースチーム」を製造・販売するアンカー社を訪問しました。アンカー社は昨年、日本のサッポロビールが買収したことが話題になりましたが、アメリカはもとより世界で愛されるクラフトビールが生まれた歴史やこだわりの製法など貴重な話を聞いてきましたので、みなさんとシェアしたいと思います。

さて、みなさん、アメリカのビールと聞くとどのようなイメージを思い浮かべますか?バドワイザーでしょうか?サンフランシスコのあるカリフォルニア州はワインが有名ということもあり、私もアメリカに来るまではビールのイメージが全くありませんでしたが、実際に来てみると、いわゆるクラフトビール(小規模かつ伝統的な製法で作られたビール)の多さに驚きました。現在アメリカではなんと約6,000ものクラフトビール事業者が存在するとのことです。

しかし、なぜアメリカはこれほどクラフトビールが盛んなのでしょうか?その理由の一つが、参入障壁の低さと言われています。アメリカでは一般の人でも自宅のガレージなどを利用してビールを造り始められるなど、誰でも造り手になりえることで、こだわりのビールが数多く生み出され、業界全体の裾野が広がったとされています。

その全米クラフトビール界の中でも老舗中の老舗が、サンフランシスコにある「アンカー社」です。創業は1896年(ちなみにサッポロビールの創業は1876年ですので、アンカー社の20年先輩にあたります)、ロシアンヒルという土地でビールの製造を始めますが、1906年に起きたサンフランシスコ大地震や、1920年代の禁酒法施行など、多くの苦難に直面します。

さらに1950年代には大量生産されたライト系ビールのブームにより、アンカー社は倒産の危機に瀕しますが、これを救ったのが2代目オーナーのフリッツ・メイタグ氏です。

メイタグ氏は、洗濯機などで有名な家電メーカー「メイタグ」社の創業者の孫であり、資産家でした。スタンフォード大学を卒業したばかりの若きメイタグ氏がオーナーとなったことで、アンカー社は倒産の危機を免れますが、如何せんメイタグ氏はビール造りについては全くの素人。しかし、メイタグ氏は持ち前の探究心から、ビール造りに驚くほどの情熱を注ぎ、製造方法を徹底的に研究します


アンカー社にはメイタグ氏が実際に使用していた書斎が今でも存在しており、彼が多くの書物で熱心に勉強していたことが分かります。彼が生み出した製法や伝統は、多くのクラフトビールメーカーが参考にしたこともあり、メイタグ氏は「クラフトビールの父」とも呼ばれています。

なお、メイタグ氏が着ていた作業服や顕微鏡は、現在ワシントンDCのスミソニアン博物館に移管され、アメリカクラフトビールの歴史の一部と認定されました。
余談ですが、メイタグ氏はスタンフォード大学の大学院で日本語文化論を専攻していたようで、サッポロビールが買収する以前から日本とゆかりがあったようです。メイタグ氏は2010年にアンカー社の経営からは退きましたが、現在もご存命だそうです。

アンカー社は現在サンフランシスコ市内のポトレロ・ヒルという地区に本社兼工場がありますが、このこじんまりとした工場で、アンカー社の21品種74種類のビールの生産全てをまかなっています。従業員は125名、意外ですがサンフランシスコ市では最大の製造業となります(確かにサンフランシスコ市にはITを中心としたソフトウェア企業は多く存在しますが、地価や人件費が高いので、目に見える形の製品を製造する企業は多くありません)。


ビール造りは、麦芽から麦汁を作るプロセスから始まりますが、アンカー社ではクラシックな銅釜を用いています。毎日の清掃などとにかくメンテナンスに時間や手間がかかることから世界中でも銅釜を使っているところは希で、銅を使うメリットも特にないとのことですが、これが代々続くアンカー流のやり方で、あえて変えることはしないそうです。

次に麦汁を酵母によって発酵させますが、アンカー社ではまるで「プール」のような容器のタンクを用いて、直に空気に触れることで発酵させています。壁面や空気中の酵母がこのプールに入ることで、いわば「秘伝のタレ」のようにアンカーの基礎となる味を形成しており、このプールが壊れると今のアンカーの味は作れなくなってしまいます。これまで何気なく飲んでいたアンカーの味の源泉を発見した気分で、思わず見入ってしまいました。この一次発酵のプロセスは、3日間ほどかけて行います。

ビールの苦みを出すのに必要なのがこのホップです。アメリカではIPAと呼ばれる苦みの強いクラフトビールがポピュラーですが、IPAとはインディアン・ペール・エールの略で、元々インドがイギリスの植民地だった時代に、インドへの長期間の海上輸送に耐えられるよう防腐剤としてホップを大量に放り込んだのが始まりと言われています。アンカー社は、主発酵後にホップを添加する「ドライホッピング」製法をアメリカで初めて確立し、今では数千社が同様の手法でIPAを製造しています。

一次発酵の後、二次発酵と呼ばれるプロセスへと移りますが、ここで苦みの素となるホップとともに、果汁の素や香料も混ぜて、ビールの味付けを行います。アンカー社は、多品種のビールを同時に製造していることもあって、必然的に多くのタンクが必要となり、その数77個。時間の管理なども全て手作業で動かしており、一見効率が悪そうにも見えますが、その効率の悪さこそがクラフトビールの醍醐味だそうです。

2週間ほどかかる二次発酵を終え、若干残存している酵母を取り除くフィルターを通して、ついにビールが完成します。ビンなどの容器に詰められ、出荷されることになりますが、ビールを詰めた箱がかなり高くしかも斜めに積み上がった光景を目の当たりにし、崩れないのかと心配になりましたが、この積み方で30年間倒れてないので全く問題ないとのことです。


アンカー社の社員はみなアンカー社が好きで働いており、大学を卒業して、新卒から入社し、この道40年という社員もいます。昔ながらの製法をあえて変えることなく伝統として大切にし、変わらないことの良さを社員のみならず、アンカー社のビールを愛する人々もそれを望んでいるという話が印象的でした。 

サンフランシスコという変化の激しい街において、このように100年以上続くクラフトビールの先駆者が存在していたことはあまり知られていません。奇しくも日本の企業が買収したことで日本とのつながりが出来ましたが、アンカー社がいつまでも美味しいビールを造り、日本とアメリカを結ぶ架け橋になり続けてくれることを期待しています。

加藤 彰浩  在サンフランシスコ総領事館
2008年4月、総務省に入省。情報通信国際戦略局、総合通信基盤局、行政管理局などでの勤務を経て2016年6月から現職。


編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2018年11月22日の記事に寄稿されていた加藤氏の記事を転載させていただきました。転載を快諾くださった加藤氏、協力いただいた井上氏に感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。