昨日(19日)は各省庁を呼んで党として来年度予算の概算要求を聞いた。あいかわらず各省庁とも予算獲得競争の体。民間のように支出を収入内に収めるとの意識がほとんどない。お金が余剰の時には正当化される予算でも財政がこれだけ悪化している時にこんなことに予算つけていいの?と思う案件が山ほど出てくる。これではまちがいなく将来赤字のツケを払わされる。それも甚大なツケを。
災害時、患者の数に対してお医者様の数が足りないとき、患者の優先度をつけるトリアージが行われる。それと同様の財政トリアージ(優先度に応じて予算をつける)が必要だ。
国会では財政楽観派のせいで歳出カットを要求しにくい。出てくる予算は、無いよりはあった方が良い予算ばかりだからだ。金が無いから今はやるなという話だから財政は健全だと反論されればそこで行き詰ってしまう。だからこそ国民の間に財政は世界最悪だとの正しい認識が必要なのだ。
災害時、トリアージを認めてもらうにはお医者様の数が足りないことを理解してもらう必要がある。それと同様、財政トリアージでも国にはお金が無いことを理解してもらう必要がある。
2019年度の税収は史上最高、60兆円を超しそうだと聞くが、今年度の社会保障費は31.1兆円。社会保障量は財政学上、所得の再配分なので税収の半分を再配分に回していることになる。さらには過去の借金の尻拭いである巨大な国債費の支出もある。これでは防衛費、教育費、社会インフラに回す金など有るわけがない。厚労省は昨日も社会保険費は歳出の3分の1にすぎないと答弁した。
たしかに税収+税外収入がほぼ歳出と見合う30年前なら歳出の3分の1とは税収+税外収入でも3分の1だから、許容範囲かもしれない。しかし、税収+税外収入で集めたお金の半分を再配分で国民に返しているのだ。
1日1ドル以下で暮らす国民が大多数のハイチで人道上、日本と同じ程度の福祉をと要求しても無理なものは無理だ。
日本も今の程度の社会福祉を削減したくないのなら、真の資本主義国家になってパイを大きくするしかない。分配論で拉致が明かない。競争も激しくなるかもしれないし、結果平等主義はなくなり機会平等主義になっていくかもしれない。自助努力も一層必要になるだろう。しかしそれが嫌なら低成長、低福祉に甘んじなければならないことは理解すべきだ。
編集部より:この記事は、経済評論家、参議院議員の藤巻健史氏(比例、日本維新の会)のFacebook 2018年12月18日の記事を転載させていただきました。転載を快諾された藤巻氏に心より御礼申し上げます。