北の核問題とIAEAの「失った10年」

国際原子力機関(IAEA)の今年初の定例理事会(理事国35カ国)が4日から5日間の日程でウィーンの本部で開催される。理事会の主要テーマはイランの核合意後の進展具合と北朝鮮の核検証だ。

▲北朝鮮使節団と協議するIAEA査察関係者(1990年代、ウィーンのIAEA本部で撮影)

イラン核協議はイランと米英仏中露の国連安保理常任理事国にドイツが参加してウィーンで協議が続けられ、2015年7月、イランと6カ国は包括的共同行動計画(JCPOA)で合意が実現したが、トランプ米大統領が昨年5月、核合意から離脱を宣言した。米国以外の関係国は核合意の堅持を表明しているが、対イラン制裁を再開した米国抜きのイラン核合意の行方は不明だ。

一方、北朝鮮の核問題では、トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との2回目米朝首脳会談が開催されたばかり。査察官が2009年、北朝鮮から追放されて以来、IAEAが北の核関連施設へのアクセスを失って来月で10年目を迎える。そこで「IAEAの失った10年」を振り返りながら、北の核問題をまとめてみた。

トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長との2回目の米朝首脳会談が先月27、28日両日、ベトナムの首都ハノイで開催され、北の非核化問題が協議されたが、協議は決裂したばかりだ。トランプ米大統領は、会談直後の記者会見で米国が寧辺の核施設の廃棄だけではなく、「プラスアルファの非核化措置」を要求し、北側がそれを拒否したために協議は決裂したと明らかにした。具体的には、平壌近郊にある秘密ウラン濃縮施設「カンソン」などを含む非核化だ。

大量破壊兵器の原爆を製造する方法は2通りある。使用済みの核燃料を再処理して出来るプルトニウム239を利用して製造するプルトニウム型原爆(長崎)と、濃縮ウラン235を使ったウラン型原爆(広島)だ。北朝鮮は過去、寧辺の核関連施設で5MW黒鉛減速炉を利用してプルトニウム型原爆を製造してきたが、濃縮ウランによる原爆製造にも乗り出していることが明らかになっている。

寧辺の核関連施設が集中する核エリアに入ると、左側にロシア型研究炉、右手には5MW黒鉛型減速炉が見える。隣接していた冷却塔は2008年6月に破壊された。その近辺に軽水炉建設敷地がある。九龍江を超えると核燃料製造工場にぶつかる。同工場を通過すると、北のウラン濃縮関連施設に到着する。同施設は長さ約130m、幅約25m、高さ約12mの細長い施設だ。北のウラン濃縮施設は40余りある核関連施設の一つで、「4号ビル」と呼ばれている。北は2010年、北西部・寧辺のウラン濃縮施設(4号)を米国のシーグフリード・ヘッカー博士ら米核専門家に公開している。

北側は米国との非核化交渉では寧辺の核関連施設の破棄を提案し、その引き換えに2016年以降の対北制裁の完全な解除を要求。それに対し、米国側は使い古された寧辺の核関連施設の破棄では十分でないとして、ウラン濃縮施設カンソンの破棄などを含む非核化を求めたわけだ。

カンソンのウラン濃縮施設の存在はこれまで明らではなかった。アジア太平洋地域の外交・安全保障専門のオンライン誌ディプロマットが昨年7月16日、米ミドルベリー国際大学院モントレー校不拡散研究センターの情報に基づき、平壌郊外の千里馬に2003年から稼働しているウラン濃縮施設の存在を報じた。寧辺ウラン濃縮施設からは1年間に核兵器1~2基分の高濃縮ウランを作り出せると予想される一方、ディプロマットによると、カンソンのウラン濃縮施設は寧辺の施設の2倍の能力があるというから、米国がカンソンのウラン濃縮施設の申告を強く要求したのは当然だ。

北朝鮮は核開発の能力を急速に発展させてきた。2006年10月に1回目の核実験を実施し、17年9月3日には爆発規模160ktの6回目の核実験を行った。故金日成主席、故金正日総書記の時代は過ぎ去り、3代目の金正恩党委員長時代に入り、北は核保有国の認知を要求し、もはや核計画を放棄する考えはないはずだ。

IAEAは核エネルギーの平和利用の促進を目的で設立されたが、北朝鮮問題はIAEA歴史の汚点といわれる。IAEAと北朝鮮との間で核保障措置協定が締結されたのは1992年1月30日だ。IAEAは1993年2月、北に対し「特別査察」の実施を要求したが、北は拒否し、その直後、核拡散防止条約(NPT)から脱退を表明した。しかし、翌年の1994年、米朝核合意が一旦実現し、北はNPTに留まったが、ウラン濃縮開発容疑が浮上し、北は2002年12月、IAEA査察員を国外退去させ、その翌年、NPTとIAEAから脱退を表明した。

そして2006年、6カ国協議の共同合意に基づいて、北の核施設への「初期段階の措置」が承認され、IAEAは再び北朝鮮の核施設の監視を再開したが、北は09年4月、IAEA査察官を国外追放。それ以降、IAEAは北の核関連施設へのアクセスを完全に失い、現在に至る。すなわち、IAEAは過去10年間、北の核関連施設へのアクセスを完全に失った状況が続いているわけだ。核専門家が「IAEAの失った10年」と呼んでいる内容だ。

IAEA査察局は2017年8月、北の核問題検証専属のチームを発足させた。天野之弥事務局長の説明では、同チームの発足目的は、①北朝鮮の核関連施設へのモニター能力の向上、②最新の検証履行を維持し、査察官が北に戻ることが出来た場合を想定し、その準備を怠らず、検証技術や機材を確保することだ。同事務局長は、「北朝鮮は国連安保理決議やIAEA理事会決議を速やかに履行すべきだ」と重ねて要求する一方、「IAEAは政治情勢が許せば北で査察活動が再開できるように常に準備態勢を敷いている」と述べてきた。

IAEA査察官が北に戻る日が到来するかは不透明だ。北側は非核化を認め、核関連施設の検証を受け入れた場合もIAEAの査察ではなく、米国の専門家による査察以外に認める考えはないといわれる。IAEAが1993年2月、特別査察の実施を要求して以来、北はIAEAに対して強い不信感を有しているからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。