ロック歌手の内田裕也さんが17日、肺炎のため79歳で亡くなった。妻の樹木希林さんの逝去から半年で後を追うようなかたちでの訃報に週明けのネット世論も衝撃が広がった。生前の内田さんといえば、芸能活動以外でも社会派ロックンローラーとして政治行動も辞さないバイタリティーを発揮した。
その中で、もっとも世間の注目を集めたのが1991年都知事選だった。この選挙では、4選を目指した鈴木俊一知事を、小沢一郎氏が幹事長だった自民党本部が老齢などを理由に公認せず、代わりに元NHKキャスターの磯村尚徳氏を擁立。反発した自民党都連が鈴木知事を支援する分裂選挙となり、鈴木氏が健康体操で元気をアピールすれば、磯村氏も対抗して銭湯でお年寄りの背中を流す庶民派を演出するなど劇場型選挙として異例の盛り上がりを見せた。
そして、この都知事選に当時、スポーツ平和党所属の参議院議員だったアントニオ猪木氏が出馬を模索したが、選挙直前に立候補を突然断念。すると、内田さんは「行動派として尊敬していたアントニオ猪木氏が突然、知事選出馬を取りやめたことがきっかけ」として、告示2日前に選管で手続きを行い、いきなり出馬して世間を驚かせた(参照:内田氏公式サイト)。
当初は都民にほとんど相手にされないと目されたが、空中戦で得意のパフォーマンスを披露した。政見放送では、ジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」をアカペラで唄い、スピーチの大半を英語で行うなど有権者に衝撃(?)を与えた。ネット時代のいまも“伝説の政見放送”として動画が出回るほどの存在感を発揮し、国政政党が推薦・支援する候補者以外では最多となる54,654票(5位)を集めた。
訃報が集まったこの日のネットでも当時を知る人たちが「政見放送がカッコ良かった」「ブッ飛んでいた」などと思い出語りが多数見られた。
近年も政治や社会問題への関心は衰えず、民主党政権下で事業仕分けも傍聴。「仕分けの女王」として一躍時の人となった蓮舫氏は当時を振り返り、「事業仕分けの時、必ず会場に傍聴に来てくださり『税金の使い方を見たい』とお話しされていました。いつも赤い薔薇を一輪くださいました。粋な方です」と偲んだ。
2016年都知事選の後、小池知事の都議会での所信表明演説の際には議場で傍聴。報道陣に感想を尋ねられ、「期待外れ。公約を並べていたけど全部はできない」と、その後の小池都政の混乱をその慧眼で予見するかのようなコメントも。さらにはその直後の映画祭に登壇した際にも、
「小池(百合子)都知事の初登庁の日に、あまりに格好いいことばかり言っているから(傍聴席から)『言ったことは全部実行しろ!!』と怒鳴ってやりました」
「自民党の都議会のドンが内田(茂都議)なんで『内田ってヤツで悪いヤツはいないんだよ』って言ったら(周囲が)爆笑になりました」
などなど、小池知事への批判は止まらなかった(産経新聞より)。
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国政、都政の迷走は、内田裕也さんの目にどう映っているのだろうか。ご冥福を心よりお祈りいたします。