イチロー選手をステレオタイプ化するメディアの愚問

藤原 かずえ

日本の報道の画一性の源泉はマスメディアによる事案の【ステレオタイプ化 stereotyping】にあります。例えば政治報道におけるステレオタイプとしては「日本を戦争に導くために独裁を強める首相官邸」「権益をむさぼる腐敗閣僚」「私利私欲に走る金権政治家」「政治家に忖度する御用官僚」「金儲けしか頭にない悪徳財界人」「多様性のために戦うリベラル政治家」「弱者の味方である人権派弁護士」「権力を追及する良識派ジャーナリスト」「戦争を阻止する進歩的文化人」「巨悪に屈しない勇気ある市民活動家」などがあります。日本の政治報道は、基本的にこのような偏見に溢れた滑稽なまでのステレオタイプを前提とするコンテクストの中で展開されています。

なぜ、日本のマスメディアが三文ドラマ風のステレオタイプ化を報道に多用するかと言えば、単純に「大衆受け」するからと考えることができます。縮小する一方のマスメディア業界において、少しでも報道の注目度を上げるためには、事案をドラマ化する演出が効果的であることは自明です。複雑な事案をわかりやすい構図に無理矢理落とし込むことによって、かつての勧善懲悪の時代劇や犯人バレバレの2時間サスペンスなど、思考が停止していても楽しめる「超大衆ドラマ」を再現することが可能となります。また、ステレオタイプ化により、事案の分析を省力化することも可能となります。実際には様々な因果関係によって成立している複雑な事案を一つの単純な図式に無理矢理落とし込むことによって、いつも同じパターンの安易な報道を展開することが可能となります。政治報道は勿論のこと、経済報道、社会報道、国際報道、災害報道など、結局どれをとっても最終的に「アベが悪い」に繋がる(笑)のは、明らかにステレオタイプ化によるものであり、けっして偶然ではないのです。

政治報道と同様にステレオタイプが氾濫しているのがスポーツ・文化報道です。マスメディアが報じるスポーツや文化活動の成功者は、ほぼ共通して、極めて優れた人格を持っていて、誰よりも努力家で、挫折の経験もあり、成功の背景には献身的な家族や周辺の支えがあります。ところが実際には、これらの特徴は必ずしもスポーツや文化活動の成功者に共通した特徴ではありません。例えば、スポーツの成功者は、個人によってはパワハラを起こしていたり、薬物を使用していたりするなど、必ずしも社会が認める人格者ではないケースも散見されます。このように、スポーツ・文化を「道」と考える日本人の基本認識とは異なり、実際には人格とスポーツ・文化の成績とは必ずしも一致しないのです。そして、このような場合に、個人のすべての属性をステレオタイプというセットにして報道するマスメディア報道は、当然のことながら妥当ではないということになります。

そもそも、マスメディアによる最近の記者会見は、予めマスメディアが会見相手に対して割り当てたステレオタイプを証明するための傍証集めの場と化しています。例えば、東京新聞・望月衣塑子記者の菅官房長官に対する敵対的質問は、「日本政府は巨悪である」という東京新聞が日本政府に割り当てたステレオタイプを印象付けるための支援活動に過ぎません。自らの論調を支えるためのイメージが得られれば、質問自体が不合理でも全く構わないのです。

さて、そんな中、シアトル・マリナーズのイチロー選手が2019年3月21日に現役引退を発表しました。当日深夜には引退記者会見が開催されましたが、この会見においても、マスメディアによるステレオタイプ化の様相が随所に認められました。イチロー選手というステレオタイプとは対極にある極めて興味深い人物に対して、日本のマスメディアが投げかけた質問の多くは、他愛もない一定の範囲内に入る回答をするしかないような見え見えの誘導質問でした。これはメディアが既に造ったステレオタイプのヒーロー像を肯定するだけの傍証集めであり、真のプロフェッショナルであるイチロー選手を在り来たりの人気者として安易に捉えようとするものでした。これはイチロー選手を見下すだけでなく報道を受ける大衆をも見下すものです。

ただ、多くのメディアの質問が稚拙であったにもかかわらず、幸いにもイチロー選手の回答は非常に興味深いものが多かったと言えます。これは、イチロー選手がマスメディアの質問に安易に迎合することなく、質問とは必ずしも一致しない回答を丁寧に行ったことによります。このように相手が投げるボールに対して、それを特別な思考で見極めて対応し、変幻自在に打ち返すところこそがイチロー選手のイチロー選手たる所以であると考えられます。少しやり取りの例を挙げてみたいと思います。

禅問答的質問

記者:イチロー選手が現役時代に一番我慢したもの、我慢したこと、何だったのでしょうか?

これは日本のマスメディアが得意とする唐突で思わせぶりな禅問答的な質問です。一見深い質問であるかのような印象を与えますが、実際には回答者に回答のすべてを委任する極めて無責任な質問です。何を聴きたいのか質問意図も示さずに「我慢」という曖昧で抽象的な言葉を回答者に勝手に解釈させて何かしらの回答を得ようとする安易なスタンスは、ジャーナリズムを最初から放棄しています。マスメディアは過剰な美談を造るネタさえ得られればそれでいいのです。イチロー選手はこの質問に対し暫く絶句した後、次のように答えています。

イチロー選手:難しい質問だなぁ。僕は我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で、楽なこと、楽なことを重ねているという感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねているので我慢の感覚がないんですけど、とにかく体を動かしたくてしょうがないので、こんなに動かしちゃダメだっていって、体を動かすことを我慢するということはたくさんはありました。(中略)今聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらないですね。おかしなこと言ってます、僕?

素直に解釈すれば「今聞かれたような趣旨の我慢」とは「好成績をあげるには何かを犠牲にしなければならない」という思い込みを前提にした我慢であると考えられます。この質問に対してイチロー選手はその思い込みを完全否定して回答したものと推察します。何かを我慢して目標を達成するというのは「欲しがりません、勝つまでは」を過去に実践した日本独特の考え方であり、星飛雄馬のように子供の頃から遊ぶことを我慢して大リーグボールを完成させたり、男女交際を我慢して名門大学に入るなどの成功ストーリーが美徳とされてきました。ただ、少なくとも、イチロー選手の成功の背景には、成功との因果関係が不明な思考停止の我慢はなかったものと考えられます。

意味不明質問

記者:開幕シリーズを大きなギフトとおっしゃっていました。でも今回私達の方が大きなギフトを貰ったような気持でいるんです。
イチロー選手:そんなアナウンサーっぽいこと言わないで下さいよ。
記者:これからどんなギフトを私達にくださるのですか?
イチロー選手:ないですよ、そんなの。無茶言わないで下さいよ。

既に大きなギフトを貰っていながらさらにギフトを貰おうとする強欲な記者です(笑)。このような何の意味もない小学生並みのインタヴュアーを相手にしなければならないイチロー選手は本当にお気の毒です。ただ、イチロー選手はめげることなく「でも、これは本当に大きなギフトで・・・」と、質問内容を自ら変えて「大きなギフト」の意味について語り始めました。インタヴュアーの程度は低くても、深夜の会見を不毛なものにしない大人の対応です。

自己アピール質問

一種の知識のアピールなのでしょうか、イチロー選手のメジャーリーグのデヴュー戦と最終ゲームとのアナロジーを長々と展開しました。質問する側もプロであるのならば、もっと違う聞き方もあったのではと思います。例えば「今日の4打席目にデヴュー戦の4打席目を想い出しませんでしたか?」と聞けばそれで済んだはずです。「事実に基づかない長い質問」には東京新聞・望月記者の香りがプンプンしました(笑)

繰り返し質問

会見の終盤には、一度回答した質問が繰り返されました。イチロー選手という最高のプロフェッショナルの引退会見において、日本のマスメディアの低調な質問内容とプロ意識の欠如は深刻であると考えます。

イチロー選手によるカウンタークエスチョン

イチロー選手:えっ?おかしなこと言っています?僕。大丈夫ですか?

イチロー選手が繰り返し投げかけたこの言葉は、スポーツ選手の成功要因を完全無欠な人格に求めてきた日本のマスメディアに対する皮肉であると考えます。実際にはメンタルを含めた技術こそが最も重要な成功要因であることを最もよく知っているイチロー選手は、成功したスポーツ選手を一定のステレオタイプに割り当てようとする日本のマスメディアに対してインダイレクトな抵抗を試みたものと推察します。成功を人格に求めること自体は、失敗を人格に求めることと同様の【人格論証 ad hominem】に過ぎません。なお、もちろん私は、イチロー選手が人格者ではないと言っているのではありませんので誤解なきようお願いします(笑)

先述したように、この会見自体はイチロー選手がマスメディアの質問の内容を確認・修正して答えたことから非常に興味深い内容でした。ただ、もし可能であれば、プロフェッショナルなスポーツジャーナリストやプロ野球を経験した解説者の参加の下に、イチロー選手の現役生活を総括するとともに、ファンが野球観戦をもっと愉しめることができるようになるためのワークショップのような会見を再度開いていただきたく心より願う次第です。

藤原 かずえ
ワニブックス
2018-09-27

編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2019年3月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。