ルクセンブルク(フランス語ではリュクサンブール)の前の大公であるジャンが23日に崩御された。
2000年に退位されたあと、ひっそりと生きておられた。話題になったのは2003年に嫁である現大公妃が姑によるいじめを記者会見で告白するという事件があったとことと、2005年に妃に先立たれたことくらいだった。
男系から女系へ、生前退位、ロイヤル・ファミリーの内紛など我が国にとっても参考になることが多い君主家であるので、その事情を紹介したい。安直な結婚とか継承原則の変更がいかに戒められるべきものかの典型だろう。
ルクセンブルクは小国だがEU統合の要になっている国だ。ユンケル委員長はここの元首相だ。
EUの事務局はブリュッセルで議会はストラスブールだが、ヨーロッパ裁判所はルクセンブルク大公国だ。オランダとベルギーの弟分みたいな国で国語もフランス語、オランダ語、ドイツ語が併用だ。
君主は大公(グラン・デューク)である。留学中の皇太子殿下も大変お世話になった。このルクセンブルク大公家というのは複雑な家系である。
14世紀から15世紀にルクセンブルク家は神聖ローマ皇帝やボヘミア王を排出した。とくに神聖ローマ帝国皇帝カール四世はボヘミアの全盛期を築いたカレル一世でもある。ヴルタヴァ(ドイツ語モルダウ)川に架かってプラハのシンボルになっているカレル橋はこの王様にちなんだものだ。
しかし、ルクセンブルク家は廃絶し、ルクセンブルクはブルゴーニュ公国領になり、その後、ハプスブルク家やフランスの支配を受けた。
だが、ナポレオン戦争後のウィーン会議では、ドイツ連邦に加盟する一方、オランダ王が大公を兼ねるルクセンブルク大公国となった。そののち、1839年に西半分をベルギーに割譲し、1890年にオランダが女王となったときに、男系相続しか認められないことを理由にオランダ王家遠縁であるナッサウ=バイルブルク家アドルフを大公(グランド・デューク)として迎えた。
ただし、20世紀のはじめにその子のウィルヘルムに男子がおらず、近い親戚にも男子がなく、マリー=アデライドが女大公となったが、第1次世界大戦でドイツに協力したので廃位され、修道女にされてしまった。
そこで、妹のシャルロットが女大公になって、パルマ・ブルボン家のフェリックスと結婚したので、父系からいえばスペイン王家と同様にフランス王家の分家である(パルマ公はルイ14世の子孫であるスペイン・ブルボン家の分家。かつ、女系だが最後のフランス国王シャルル10世の子孫でもある)。しかも、女系で中世ルクセンブルク家につながって権威付けをしている。
シャルロットが生前譲位したのが、亡くなったジャンでその妃はベルギー前国王の姉妹であるジョゼフィーヌ=シャルロット王女である。
さらに、そのジャンから生前譲位されたのが現在のアンリ大公。ところが、キューバ人女性と結婚したのだが、姑との争いが絶えず、ついに2003年に、マリア・テレサは記者会見を開いて「義母は貴族の血筋でない私を目の敵にしている」、「根も葉もない夫の不倫のうわさをばらまいて、夫婦の仲を裂こうとしている」と、20年間の恨み辛みを涙ながらに告白するという大スキャンダルを引き起こしてしまった。
2008年には安楽死を合法化する法案に大公が署名を拒否したために、憲法を改正して、法案を成立させた。
また、ジャンの次男は結婚前に子どもをつくって大公位継承権を剥奪されてしまった。
アンリ大公の嫡子であるギヨームはベルギーの伯爵令嬢と結婚したが、その弟のルイはまたもや婚前妊娠させたのが問題とされ継承権を奪われている。
現在ではスペイン、ベルギー、オランダで生前退位が行われているが、以前は、国王ではないが、ルクセンブルク大公の生前譲位が二代続けて行われたことは珍しいことだった。