有馬純 東京大学公共政策大学院教授
パリ協定が合意される2か月前の2015年10月、ロンドンの王立国際問題研究所(チャタムハウス)で気候変動に関するワークショップが開催され、パネリストの1人として参加した。欧州で行われる気候変動関連のワークショップは概して環境派のプレゼンスが高く、チャタムハウスワークショップもその例外ではなかった。
マーク・カーニーイングランド銀行総裁の提唱で気候関連リスクに関する情報開示のタスクフォース(TCFD)での議論が佳境を迎えている時期であり、「TCFDガイドラインに基づく情報開示を法的義務にすべき」という主張も聞かれた。
それから4年近くたち、上記のような環境派の議論が欧州において着々と実行されているように思われる。英国、スペイン、フランス等では企業による気候変動リスク開示の法的義務化が進みつつあり、金融機関については持続可能な発展に資する分野への資金誘導を目的とした「サステナブルファイナンス」の議論が進められている。
環境に優しい分野に資金が流れるようにしようという方向性は推奨すべきだ。先般、閣議決定された「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」においても「環境と成長の好循環の実現に向けて、企業の気候変動対策に資する取組やイノベーションを見える化し、投資を呼び込む」、「投資家、金融機関等が、長期的視点を持ってリスクとチャンスを見通し、積極的に脱炭素化イノベーションに向けて取り組めるよう、それを後押しする国際的な資金循環の仕組みの構築が重要」という考え方が打ち出されている。
他方、17分野の持続可能開発目標(SDGs)に示されているように気候変動は国際社会が直面している課題の一つであり、唯一至高の目的ではない。気候変動対策と他の政策目的との間にはシナジーもあればトレードオフもある。特に低開発発展途上国においては未だに電力にアクセスを有していない人々が10億人近くいる。彼らにとってエネルギーアクセスを得るのみならず、それが手ごろな価格(affordable)であることは非常に重要だ。温暖化対策を追求する結果、エネルギーコストが大きく上昇することになれば、トレードオフが発生することになる。
「サステナブルファイナンス」が持続可能な発展への金融面の貢献を目的とする以上、こうした点にも配慮した検討が必要であろう。しかし欧州でのサステナブルファイナンス議論をみていると、気候変動防止にバランスを失した重点が置かれているように思われる。
欧州で進行中のサステナブルファイナンスの議論では
- 「サステナブルな取組」の定義のリスト化:タクソノミー(定義のリスト)を作成し、分類ごと(例:製造業、エネルギー産業)に「サステナブル」な取組の定義と具体的基準(例:低炭素自動車の直接排出量)を示す
- サステナブル金融商品(グリーンボンド等)の基準とラベリング
- アセットマネジャーや機関投資家のポートフォリオ規制
- 銀行・保険会社等にサステナブル金融商品提供の義務
- TCFDと連動した企業の非財務情報の開示の義務化
等について検討が進められている。本年6月半ばに技術専門委員会(TEG)が農業、林業、製造業、電力・ガス・蒸気・空調供給、水・下水・廃棄物、運輸、情報通信、建設・不動産分野の67の活動についてタクソノミー案を発表した。電力・ガス・蒸気・空調供給分野については気候変動の緩和に貢献する23の活動(PV、風力、水力、地熱、廃棄物等)の満たすべき基準が示されている。発電所についてはライフサイクルのCO2排出量がkwh当たり100グラム以下であり、2050年までにゼロに低下することが閾値(threshold)とされている。
環境志向の強い欧州において再生可能エネルギーが特筆大書されるのは驚くにあたらないが、石炭火力、ガス火力、原子力については以下のように記されている。CCS設備のない石炭火力、ガス火力はサステナブルファイナンスの基準を満たすとはいえず、原子力は非化石電源であるが、その他の環境目的に有害ではないとは言えないため、現時点においてタクソノミーに含めることはできないとの内容である。
Coal-fired power: unabated coal-fired power generation will not meet the required threshold. Coal-fired power with carbon capture and sequestration may qualify in the short-term, but new coal plants generally have lifetime of 40 years or longer. Under the requirement to reach zero emissions in 2050, coal with CCS would need to demonstrate that it will be able to do this.
Natural gas-fired power: unabated natural gas-fired power generation is not expected to meet the required threshold. Gas-fired power with carbon capture and sequestration may qualify. However, this will be subject to the requirement that fugitive emissions across the gas supply chain need to be measured rather than estimated.
Given these limitations, it was not possible for TEG, nor its members, to conclude that the nuclear energy value chain does not cause significant harm to other environmental objectives on the time scales in question. The TEG has not therefore recommended the inclusion of nuclear energy in the Taxonomy at this stage.
石炭がCO2含有量の高さ故にダメ出しをされる一方、非化石電源であっても原子力については認められない等、一読して欧州の環境NGOの主張に極めて近い。
更に化石燃料の中でもCO2含有量が低く、再生可能エネルギーのバックアップ電源として機能している天然ガス火力についてもCCSがついていなければサステナブルではないとされていることは、環境派の攻撃対象が今や石炭からガスを含む化石燃料全体に拡大していることと符合する。
昨年12月のCOP24でシェールガス革命による石炭からガスへの転換により電力分野のCO2排出削減を達成している米国に対し、「天然ガスも化石燃料であることは同じ」と論難したNGOのコメントが想起される。
欧州域内には石炭火力依存度79%のポーランドや52%のチェコのような国があり、ロシアへのガス依存懸念も強い中で石炭、原子力オプションを「サステナブルではない」と仕分けされることには反発があるだろう。また石炭から天然ガスへの燃料転換すらもCCS付きでなければサステナブルではないと言われるのでは、他の欧州諸国にとってもハードルが高い。
しかし欧州では本年6月の欧州議会選挙で中道右派、中道左派が議席を減らす中で欧州緑の党が議席を伸ばした。ドイツでは社民党を超え、緑の党が第2党の勢いである。アンチEUの極右政党も議席を伸ばした中でEUアジェンダを進めるためにはプロEUの緑の党の協力が必要であり、彼らの影響力がますます強まることになる。
スウェーデンの高校生グレタ・トウーンデルに端を発するYouth Movementも強い。タクソノミー案はパブリックコメントに付された後、秋以降、欧州委員会の正式提案がまとめられることになるが、こうした諸情勢を考えると原案からの大きな変更はないと考えるほうが自然だろう。
タクソノミーは、EUグリーンボンド基準やエコラベル、銀行の健全性規制、サステナビリティ・ベンチマーク等に使用され法制化されていくことが想定されているため、欧州委員会において規則が成立すれば、欧州域内の金融機関の商品を直接規制するものとなる。欧州の金融機関の活動は欧州域内にとどまらないため、域外にも影響を及ぼすことになる。
更に欧州の基準は国際発信力が強いため、域外においても、タクソノミーが事実上ベンチマークとして参照されることにより、パッシブ運用や、タクソノミーに入らなかった経済活動に対する金融機関の今後の投融資の方針に影響を及ぼす可能性が高い。事実、ISOにおいては英国の提案によりサステナブルファイナンスの策定作業が始まっている。明らかに欧州基準を世界標準に広げようという画策であり、EUのタクソノミーの考え方を踏襲したISOが制定されることになれば、欧州の金融機関のみならず、世界の金融機関の投融資に影響を与えることになるだろう。
成熟した先進国の集まりである欧州において温暖化防止、環境至上主義的なタクソノミーを制定し、欧州の金融機関を縛るのは、究極的には欧州の勝手である。しかしそれを世界全体のスタンダードに拡大することについては強い疑問を感じる。持続可能な発展の在り方、換言すれば気候変動を含む17の持続可能開発目標のバランスのとり方は各国のおかれた事情によって異なることを考えれば(例えば途上国であればあるほどエネルギー価格のaffordabilityの重要性が高い)、気候変動防止に偏重した欧州発の基準をISOにそのまま引き写すことは最大多数の最大幸福に逆行する可能性が高い。
今後、エネルギー需要が大幅に拡大するアジア諸国においては、今後数十年にわたって化石燃料依存が引き続き高いものと見込まれ、既存火力発電所のリプレースや新規火力発電所のニーズも高い。EUのタクソノミーの考え方を踏襲したISOの下で温室効果ガスを唯一の評価軸として高効率石炭火力、ガス火力が「サステナブルではない」とされれば、これらプロジェクトの資金調達のハードルを上げることになる。
再生可能エネルギーが本当に競争力を有するのであればこのような介入は本来不要であり、逆にこのような介入を通じて資金の流れを人為的にコントロールすることは余分なコストを途上国に負わせることになる。持続可能な開発におけるエネルギーインフラの評価軸が温室効果ガスに偏重するのもバランスを失している。本来エネルギーインフラは安価で安定的なエネルギー供給が可能であることが重要なのであり、更に自然災害に対する強靭性(レジリエンス)も重要な評価軸であるはずだ。ISOでサステナブルファイナンスを議論するのであれば、こうした側面も考慮に入れなければならない。
国際政治学者・高坂正堯は、晩年の論考において「核の廃絶とか、全面軍縮とか、世界的通貨制度の確立などはすべてできもしないことで、それを根拠にできることを批判する風潮が強まる時、結局何もできなくなってしまう」「理想家風の偽善者が力を持ちすぎていて、その結果、少しでも責任ある行動をしようとする人を苦しめている」と述べた。温暖化国際交渉を通じて国際政治の一面を見てきた筆者はこの高坂の議論が気候変動問題にもあてはまると感ずる。
EUがサステナブルファイナンスの議論を進めている淵源はパリ協定の1.5℃~2℃目標であるが、筆者の観るところ、非連続的なイノベーションが実現しない限り、「できもしないこと」であり、高効率石炭火力の導入、石炭からガスへの転換、原子力の導入はそうした中で「できること」「少しでも責任ある行動」である。1.5℃~2℃目標を根拠にこれらの漸進的オプションを否定することは「理想家風の偽善者」の弊風でしかない。
ISOにおけるサステナブルファイナンスの議論は各国の国情を踏まえた弾力的な運用を可能にするようなプラグマティックなものであるべきだ。