サッカー女子W杯のなでしこJAPAN vs オランダのゲームでは審判の微妙な判定が勝敗の分かれ目となりました。
[ゲキサカ] 2019/06/26
日本女子代表(なでしこジャパン)は試合終了間際にDF熊谷紗希のハンドによって与えてしまったPKから決勝点を奪われ、敗退が決まった。2019-20シーズンよりより確かになった基準が適用された。国際サッカー評議会(IFAB)は新シーズンよりハンドの基準について具体化。これまでハンドは意図的かどうかで判断されていたが、不自然に大きく広がっているかどうかという基準が重要視されることになった。
情報社会に生きるスポーツ選手が肉体の限界を極めるプレイを展開する中、ゲームの公平性を厳密に確保するにあたって【審判 referee / umpire / judge】による【判定 judge】の重要性がますます増大していると言えます。
このような背景の中でFIFAが導入している【VAR=ビデオ・アシスタント・レフェリー Video Assistant Referee】はプレイの判定を支援するパワフルなツールとなっていますが、最終的な判定を下すのは今なお審判員、つまり人間であると言えます。これは、ゲームのルールには多かれ少なかれ曖昧な記述が存在し、審判員の【裁量 direction】がなければ判定を一意に定めることができないためと考えられます。この記事では、この問題点を少し詳しく述べた上で、スポーツの審判の近未来像について考えてみたいと思います。
スポーツの審判とは?
スポーツにおける審判の職務は、プレイヤーの【時空間挙動 spatiotemporal behaviors】を【認識 cognition】した結果を判定として表明することです。このとき、判定の【確度 accuracy】と【精度 precision】を高めるためには【認識能力 faculty of cognition】の向上が必要になります。
カントは、人間が物事を認識するにあたって次のような三段階があることを示しました。
【感性 sensibility】時空間挙動の情報を感覚によって認識する
【悟性 understanding】情報を基に時空間に存在する複数の事物を認識する
【理性 reason】複数の事物を統合し、体系的に状況を認識する
感性による認識とは、目に飛び込んでくる物体が放つ光や物体が発する音を【五感 five senses】を通して感じとるプロセスと言えます。VARにおける映像・音声情報は、まさに時空間の挙動を再現するものであり、レフェリーの感性による認識を強力にアシストするものに他なりません。VARの導入によって、サッカーのレフェリーは少なくとも従来のように感覚の記憶だけに頼った判定をする必要がなくなりました。
悟性による認識とは、感性で認識した光と音の情報を基に、選手(頭・身体・腕・足)・ボール・ピッチ・ゴール等を物体として把握するプロセスと言えます。これを【カテゴリー化 categorization】と言います。レフェリーはこのカテゴリー化をリアルタイムに行わなければならないため、どうしても認識が不正確になりがちですが、VARの導入によって、例えばハンドの判定の場合には、判定に必要な選手の腕と体の違いをレフェリーがハッキリと区別して認識できるようになりました。
理性による認識とは、悟性で物体として認識した選手・ボール・ピッチ・ゴール等の相互関係を検討することにより、【規則 rule / regulation】に基づく判定を行うプロセスです。例えばハンドの判定の場合には、選手の腕・身体・ボールの位置関係を明確化することで現行ルールに基づき判定を行うことができます。
このように、VARの導入によって、レフェリーの感性および悟性による認識の高度化は十分に達成されたものと考えられますが、理性による認識は人間の審判員の裁量に頼らざるを得ない状況にあります。
裁量による判定の問題点
2019-20シーズンから導入される国際サッカー評議会のハンドの判定基準(女子W杯でも適用)は次の通りです(ゲキサカ)。
▼反則
・手または腕をボールに向かって動かすなど、手または腕で意図的にボールに触れる
・手または腕でボールを触れた後、ボールが保持または操作され、相手ゴールに入るか、得点機会がつくられる
・偶然であっても手または腕に当たった後、そのままボールが相手ゴールに入る▼通常は反則
・競技者の身体を不自然に大きく見せている手または腕にボールが触れる
・肩よりも上にある手または腕にボールが触れる▼通常は反則ではない
・自らの頭や身体から、そのまま手または腕に当たる
・近くの相手選手の頭や身体から、そのまま手または腕に当たる
・手または腕が身体の近くにあり、不自然に身体を大きく見せていない
・倒れている状態にあり、身体を支えるために手または腕が地面と身体との間にある
ここでW杯サッカーの熊谷紗希選手の事例について考えます。熊谷選手のプレイがハンドと判定されたのは「競技者の身体を不自然に大きく見せている手または腕にボールが触れた」と理性によって認識されたためであり、逆に「手または腕が身体の近くにあり、不自然に身体を大きく見せていない」と理性によって認識されれば、ハンドではなかったと言えます。
ここで、私が理解に苦しむのはハンドの反則が「身体の近く」「不自然に」という極めて曖昧な概念によって定義されていることです。この曖昧な概念こそがレフェリーが裁量を行わなければならない元凶なのです
伏角約45度で下方に伸びた熊谷選手の手が「不自然」かと言えば、プレイ中の選手としては必ずしも「不自然」と決めつけるわけにはいきません。その証拠として、シュートを蹴ったオランダ・ミデマー選手は熊谷選手以上に手を広げています(写真)。また熊谷選手とボールが接触したのは上腕から肘の部分であり、「身体の近く」と言えば「身体の近く」です。
ちなみに熊谷選手が意図的にボールに触れた可能性はありません。オランダ・ミデマー選手のキックする脚と熊谷選手の腕の距離は約1mであり、信号に対する反応時間(反応し始めるまでの時間)を超一流の陸上選手並みの0.1秒としても絶対に避けることはできません。ボールの速さを100km/h程度と考えれば、0.1秒で2.8mも進むからです。
もちろん、サッカーのゲームはレフェリーの判定に従うというのがルールなので、オランダチームの勝利は間違いありません。ただ、ペナルティエリア内のハンドには極めて重大なペナルティが科されることから、今後のことを考えれば、プレイヤーの外形的な挙動のみを基準とするようなルールの改正が必要です。
6G時代のスポーツ審判
私が予測するに、それほど遠くない将来に、ピッチの周りに複数台のスマホを置くだけで審判を自動的に行ってくれる無人審判システムが開発され、プロゥからアマチュアまで広範に利用されていくのではないかと考えます。大量データをリアルタイムに高速に飛ばすことが常識になっていると考えられる6G時代には、現場での大がかりなハードウェアは不必要です。
判定に必要となる認識の三段階のうち、VARによって既に「感性による認識」は可能になっています。また、顔認証などの形状認識技術が実用化されている現在、「悟性による認識」の自動化も困難ではないと考えられます。また、自動運転などの動的認識技術が実用化されている現在、外形的な挙動のみを判定基準とすれば、通常の画像処理により「理性による認識」も可能となります。
もちろん、このシステムはサッカーに限ったものではありません。野球でもラグビーでもすべてのスポーツに応用可能です。なぜならばスポーツの審判は基本的に非接触型の観察によってのみ判定を行っているからです。
もしもこのようなシステムが実用化されれば、野球のストライク/ボールの判定は確度も精度も飛躍的に向上することになるでしょう。バスケットボールの3秒ルールなどのバイオレーションの判定も正確になります。多くのファンは望まないかもしれませんが、スピードがレフェリーによって異なるプロレスの3カウントの公正化も簡単です(笑)。
オプションでサッカーボール、ラグビーボール、フットボールの内部に位置センサを埋め込めば正確にゴール判定を行うこともできます。また、ボクシングのグラブに圧力センサを貼って無線で飛ばせば、判定に資する客観的な採点もできるようになるでしょう。音波情報からバレーボールのダブルコンタクトを判定することもできるかもしれません。
もちろん、暴言を吐く選手に退場を宣告することも可能です。ただ、これは、人の話を全然聞いてくれないアレクサでもやってくれるかもしれませんけどね(笑)。
ちなみに、あまり意味はありませんが、現在と同じレベルの人間の裁量による判定をこのシステムに適用することも可能です。現在の審判員の判定事例をAIに学習させてそれを判定のソルバーとして用いれば、一定確率での誤審も含めて再現してくれるはずです。
ただし↓こういった感じの極悪レフェリーによるケイオティックな判定を再現することはちょいと難しいかもしれません(笑)
編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2019年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。