1989年の11月9日にベルリンの壁が崩壊して、あと1ヶ月で30周年を迎えます。当時私は入社したての会社員だったのですが、月曜日の朝礼で、「この意味するところは大きい」と部長が話すのを聞いていて、「そんなものかな」と、遠い国の他人事のように思っていましたが、実際その通り世界は大きく変わりました。
それまで、分断されていた東側社会主義国が西側資本主義経済に組み込まれ、世界は単一の共通市場となりました。いわゆるグローバリズムの始まりです。1993年のEU誕生で、「国境に壁を作らないことが良いこと」というコンセンサスが形成されます。
IT革命と資本の自由化によって、情報とお金が国境を軽々と国境を越えて高速回転し、少しでも労賃の安い国で、規格品が大量に生産され、輸送され、消費され、その度ごとに世界のGDPが積み上がって行きました。さらに、労働力自体も流動化を始め、特に欧州で移民が急増しました。
しかし、ボールペン1本でも、世界を駆け巡ればその分だけ金銭的な付加価値が積み上がっていくのは、本当に価値と呼べるのかという疑問は呈されず、実物価値以上に膨らんだGDPが正当化され、この30年間ドル換算の一人当たりGDPが急速に伸びていきました。
日本は、幸か不幸かこのGDPバブルに乗り遅れ、結果一人当たりGDPでランキングを下げて、数字上では相対的に「貧しい国」になっていきました。
それから30年が経ち、今、世界中でこのトレンドに逆バネが急速に効き始めています。世界大競争は、富の偏在化をもたらし、割りを食った先進国マジョリティの不満が爆発して、選挙による多数決で貿易相手国を敵視する政策が選択されていきます。
トランプ大統領は、メキシコとの国境に壁を作り、米中貿易戦争を引き起こしています。英国のBrexitも同様です。韓国の日本に対する動きも、「ヘル朝鮮」というスラングの表す中流階級の生き辛さから目を逸らすことを狙っているのかもしれません。
実は、2001年のノーベル経済学賞受賞者、ジョセフ・E.スティグリッツはその本質を喝破し、2002年の著作「世界を不幸にしたグローバリズム」で警告を発していのですが、「他国がフェアでないので自国民が割を食っている」という各国政府のアジテートにより、没落した中産階級が一時のカタルシスを得るという、「劇場型貿易戦争」が勃発し、30年間続いたグローバル経済が限界を迎えています。
しかし、国境を遮断すれば、またグローバリズム以前の社会が復元され、中流階級が復活するという考えはあまりにもナイーブすぎるでしょう。
というのも、グローバル経済の本質は、先進国の国民に消費財が行き渡り、ものが売れなくなったので、新興国市場にお金をばらまいて、国民の購買力を高め、有効需要を創出して世界のGDPを積み上げることにあったわけです。ですので、先進国の有効需要はもともと減衰していて、そこに新興国からマネーが還流し、実需がないのでマイナス金利という異常な状況を引き起こしているわけです。
さらに、IT革命はIoT革命という次の次元に入り、付加価値を生む高度なテクノロジーは、雇用をあまり必要としない一握りの企業に集約されていきます。つまり、国境を閉じても、いつまでたっても富の偏在化は是正されず、中産階級は復活できないという事実に国民はそう遠くない時期に気づいてしまいます。その時にマジョリティの不満は頂点に達し「ベルリンの壁崩壊」に匹敵するパラダイム転換が起きるでしょう。
それを一言で言えば、パクス・ブリタニカ、パクス・アメリカーナと150年以上続いたキリスト教ユニラテラリズムの下で醸成された資本主義と民主主義という基盤パッケージが、世界各国で変容していくだろうということです。
当然、社会主義・全体主義指向を強める国、軍事的覇権拡大を狙う国も現れるでしょうから、我が国としても相応の対策を講じるべきでしょう。その一方で、我が国は、成熟国家として、お金だけが唯一の豊かさの尺度であった市場経済を超克する、新しい基盤パッケージとそのアプリケーションについての熟議を深めていくべきだと思います。
次回、その新しいパッケージについて書かせていただきます。
株式会社電力シェアリング代表 酒井直樹
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