経済産業省が、健康経営に取り組む企業を認定する「健康経営優良法人2020」の申請期限が今月末に迫っています。健康経営に取り組む企業は毎年急増し、中小企業の関心も高まっている一方で、健康経営に関心はあるものの「何から始めればよいのかわからない」と悩む経営者も少なくないといいます。
健康経営に取り組む企業はどこから手をつければよいのか、そして健康経営にどんなメリットがあるのか?近年の動向を解説します。(加藤 梨里 ファイナンシャルプランナー)
健康経営に取り組む中小企業が急増中
健康経営において優れた取り組みを行っている企業を、経済産業省が認定する「健康経営優良法人」。中小企業の認定数は、初年度であった2017年度には318社でしたが、2018年には775社、2019年には2501社。わずか2年で約8倍に増加しました。
すそ野はさらに広がっています。現在は来年度の「健康経営優良法人2020」の認定に向けた申請受付中ですが、昨年以上に多数の企業が認定を取得するとみられています。9月から10月にかけて、経済産業省が認定取得を希望する企業向けに全国8か所で実施した説明会では、数百名の座席がすぐに満席になる会場も相次ぐほど、多くの企業担当者が詰めかけました。結果が発表される2020年2月には、今年以上に多数の中小企業が健康経営優良法人として認定されることは間違いないでしょう。
なぜここまで健康経営が注目されているのか?
わずか数年で、これほどまでに企業が健康経営に熱視線を送るようになったのはなぜなのでしょうか? もともとは、公的な医療保険制度がないアメリカで、従業員の傷病により負担する医療費が経営リスクになるとの考えから、従業員の健康に投資をしようとする動きが出たのが始まりです。1990年代に普及し始め、日本にも2009年ごろからは取り組む企業が出てきたようです。
しかしこの2,3年で爆発的な健康経営ブームが訪れたのは、長時間労働やそれに伴う従業員の過労死や自殺が社会問題として広く認知され、そのような事案の起きた企業がメディアやインターネット上で批判を受けたこと、そして国が働き方改革を進めたこと、また中小企業で深刻な人手不足が慢性化していることが関係しているように思います。
かつては個人が自分で管理するものとされていた従業員の健康について、企業が主体的に責任感をもつことを求める価値観が広がっているなかで、優れた人財を確保するにはいまや「ホワイト」なイメージは欠かせません。そのブランディングとして、健康経営への取り組みが注目されているのでしょう。
健康経営で労働生産性を年間2000万円向上できる?
もうひとつ、健康経営による経営面での効果が数字として出始めてきたこともひとつの要因ではないでしょうか。
「健康」は、生きている誰にとっても自分事である反面、なにをもって健康といえるか、健康になれば具体的にどんな利益があるのかを直感的に理解するのが難しい概念でもあります。心身ともに健やかに過ごすことが幸せな人生につながることは知りながらも、目先のメリットを自覚できなければ、つい後回しになる課題でもあります。
しかしそれが、売上に直結する数字として出てきたら、話は変わるでしょう。いま、健康経営に取り組む企業での生産性向上の効果が、研究によりエビデンスになってきています。
横浜市が、市内6つの中小企業を対象に東京大学未来ビジョン研究センターと協働で行った研究(※1)によると、体調不良などによる労働生産性の損失は年間で従業員一人あたり76.6万円、1事業所あたり約2,000万円と推計されました。
また、職場で行う体操や、運動などへのインセンティブ付与の取り組みを行ったところ、従業員の健康意識や生活習慣が改善したことも示唆されたそうです。
健康的な活動が直接的に企業の売り上げを向上させる因果関係までは実証されていませんが、健康経営が企業の業績向上に寄与する可能性をうかがわせる結果といえるでしょう。
(※1)出典:横浜市「労働生産性損失は年間 76.6 万円(従業員一人当たり)!健康リスクと労働生産性損失の関係が明らかに!」
健康経営は何から始めればよいのか?
今後、健康経営による企業の生産性向上効果はより明確なエビデンスが出てくるでしょう。それとともに、実践しようとする中小企業はこれまで以上に増えるはずです。
しかしながら、いざ健康経営に取り組む現場ではハードルもあるようです。
最も多いのが、「健康経営」といっても具体的に何から始めればよいかわからずに実践できない例です。東京商工会議所が行った調査では、健康経営に取り組むうえでの課題として「どのようなことをしたらよいか分からない(45.5%)」、「ノウハウがない(36.6%)」が上位に挙げられました。
そこで活用できるのが、各地域の協会けんぽ支部や健康保険の保険者、商工会議所です。中小企業向けに健康経営を支援するしくみを整えており、健康に関する従業員向けのチラシやポスターの提供、研修講師の派遣などのサポートを受けられるところがあります。支援企業には「健康宣言」をする企業としてウェブサイトで公表する、独自の認定を付与するところもあります。こうしたスキームを通して健康経営に取り組む企業は、全国で3.5万社を超えています(出典:日本健康会議)。
パイオニアの企業が中小企業向けの支援サービスを展開
健康経営の先行事例を持つ企業には、そのノウハウを中小企業向けのサポートサービスとして事業展開しているところもあります。
AIG損保など保険会社の一部では、中小企業向けに健康経営の取り組み支援を行っています。従業員の健康管理や増進の体制について社内の現状を把握し、何から取り組むとよいかアドバイスを受けることができるようです。
凸版印刷は、健康経営に取り組むための社内認知や定着のサポートから、健康ポイントプログラム、行動変容プログラムなどの導入支援を行っています。本業でのCSRレポートやアニュアルレポートなどの制作実績を活かし、「健康経営レポート」や「健康宣言ハンドブック」のような情報発信ツールの企画・制作も行っているようです。
社内のハード面から健康に取り組む際には、セントラルスポーツなどフィットネスクラブの支援も検討できそうです。移動式フィットネスクラブ、健康度測定や出張講座の派遣のほか、オフィス内にトレーニングスペースを設置する「健康オフィス」の設計も手掛けているそうです。
社員旅行を行う企業では、ヘルスツーリズムの導入も有効でしょう。温泉療法や森林療法など、健康回復や増進効果の期待できる要素を取り入れた旅行は、JTBなどの旅行会社が手掛けています。
健康経営のハードルは今後上がる?
現在受付中の「健康経営優良法人2020」では、昨年度に比べて認定要件を満たすための項目数が増え、定期健診の受診や過重労働の防止はもちろん、運動や食事、コミュニケーションの促進や喫煙対策など、幅広い取り組みが求められるようになりました。
また来年度の「健康経営優良法人2021」の認定では、健康増進・過重労働防止に向けた具体的目標(計画)の設定が任意項目から必須項目へ変更されるなど、認定基準がさらに上がる見込みです。
出典:経済産業省「健康経営優良法人2020(中小規模法人部門)昨年からの主な変更点」
健康に関心はあっても、人手不足に悩む中小企業の多くでは日々の業務が優先され、なかなか従業員を巻き込みにくい、何からどう取り組めばよいかわからないといった課題は少なくありません。しかし1社2000万円とも推計される損失を考えれば、限られた人財の健康をいかに守るかは重要な経営戦略になる可能性があります。
一方で健康経営をブランディングに活かすハードルは上がりつつあります。普及がすすみ、企業にとって当たり前のものになれば、「どのように」健康経営をするかの差別化も必要になるでしょう。今後、健康経営のあり方や手法は多様化し、進化していくような気がします。
加藤 梨里(かとう りり)
ファイナンシャルプランナー(CFP®)、健康経営アドバイザー
保険会社、信託銀行を経て、ファイナンシャルプランナー会社にてマネーのご相談、セミナー講師などを経験。2014年に独立し「マネーステップオフィス」を設立。専門は保険、ライフプラン、節約、資産運用など。慶應義塾大学スポーツ医学研究センター研究員として健康増進について研究活動を行っており、認知症予防、介護予防の観点からのライフプランの考え方、健康管理を兼ねた家計管理、健康経営に関わるコンサルティングも行う。マネーステップオフィス公式サイト
この記事は、AIGとアゴラ編集部によるコラボ企画『転ばぬ先のチエ』の編集記事です。
『転ばぬ先のチエ』は、国内外の経済・金融問題をとりあげながら、個人の日常生活からビジネスシーンにおける「リスク」を考える上で、有益な情報や視点を提供すべく、中立的な立場で専門家の発信を行います。編集責任はアゴラ編集部が担い、必要に応じてAIGから専門的知見や情報提供を受けて制作しています。