今もベネズエラから国外に脱出する人は絶え間なく続いている。その数は将来800万人に到達する可能性も否定できなくなっている。
その一方で、マドゥロ大統領の政権は倒壊されることなく続いている。これまでそれが継続しているのはベネズエラの軍部組織が彼を擁護して来ているからであるが、その根底にあるものは何か。それをロイター通信のベネズエラ駐在記者アンガス・バーウイックが分析している。筆者はそれを分かり易く年代順にして補足説明も加えて以下に要約したい。(参照:lta.reuters.com:es.wikipedia.org)
先ず、マドゥロ大統領が存在できているのには二点が重要な要となっているということを先に言及しておく。それはキューバの存在と国軍諜報局(DGCIM)の存在である。DGCIMというのは第二次世界大戦下のドイツのゲシュタポあるいは日本の憲兵隊のような存在と思ってもらえば良い。
1992年 ウーゴ・チャベス中佐は社会主義革命を目指して秘密結社MRB-200を率いて同年2月にクーデターを試みたが失敗に終わった。当時の大統領はカルロス・アンドゥレス・ペレスの二度目の大統領職であったが汚職スキャンダルで1993年に解任させられた。チャベスがクーデターを決起したのもぺレス大統領の腐敗政治への批判や1990年代に入ってインフレが目立つようになり経済が低迷して貧困者も増えていたというのが理由としてあった。
チャベスを逮捕したのが当時軍事諜報局(DIM)であった。それが後年DGCIMに変身するのである。
1994年 チャベスは釈放された後キューバに向かった。フィデル・カストロに会見するためであった。カストロはチャベスの逸材を見抜き、しかも彼の背後には石油に満たされた豊かな資源があると見てカストロはチャベスに惜しむことなく協力の手を差し伸べたのであった。当時のキューバはソビエト崩壊のあとパトロンを失って貧困に喘いでいた時期であった。
この訪問以後、カストロとチャベスは頻繁に接触を持つようになるのであった。
1999年 チャベスが大統領に就任した。
2000年 フィデル・カストロが初めてベネズエラを訪問。この訪問でチャベスはキューバが必要するエネルギー資源の半分を廉価にて提供することを約束。その量は日毎55000バレル。それと引き換えにキューバからベネズエラに医師、教師、農業専門家らを派遣することで合意が交わされた。
2002年 チャベスの独裁的な政治で不満を表明する主要民間企業は国営化させられた。更に、労働者の為の農地改革や石油と天然ガスや漁業などに関係した法律も改正して議会で反対勢力となっていた企業経営者らにとって不利な政治が実施されていた。それに不満を募らせたベネズエラのエスタブリッシュメントは同年4月に一部軍部を味方につけてチャベスを拘束することに踏み切った。全軍部を味方につけることをしなかったこのクーデターは僅か2日続いただけであった。
この政変以後、チャベスは自分の身の安全を保障すべくキューバの軍人で周囲を固めるようになったのである。そして、軍部の内部の動きを掌握すべくDIMの改革に乗り出すのであった。この改革の担当者として1992年のクーデター未遂に参加したウーゴ・カルバハル中佐を抜擢した。ところで、カルバハルは今年4月、スペインで生活している彼の息子を訪問していた際にスペイン国家警察によって逮捕されがその後釈放されて現在スペインに留まっている。米国は彼が麻薬販売に関与していたとして彼の身柄の送還を要求している。
2007年 チャベスは士官グスタボ・ランヘルを国防大臣に任命して、5月にはDIMの下士官40名をキューバに派遣して諜報活動の養成訓練を受けさせた。この養成訓練はハバナの上級軍事学校で実施された。ここで指導されるのは特に軍の内部に潜伏して軍部をコントロールすることであった。それと同時に、キューバから軍人アドバイザーをベネズエラに送って軍部を検閲させ軍人に諜報活動の指導をしていったのである。DIMの重要な任務は現政治体制を打倒しようとする裏切り者の摘発をより充実させることであった。
同年12月にチャベスは終身大統領になるべく国民投票を実施して敗退した。フィデル・カストロはキューバの経済を保障させるべくパトロンのベネズエラでチャベスが終身大統領として存在し続けることが重要であった。その可能性が国民投票で拒否されたが、カストロはキューバでの影響力をさらに強める方向に動いた。
2008年 両国で以下の内容の合意が交わされた。
- キューバの軍人がベネズエラで兵士を訓練する。
- ベネズエラ軍の組織の再構築の実施。
- ハバナでベネズエラの軍人諜報員の養成訓練の実施。
- 外国の軍人への諜報ではなく、自国の兵士、士官、指揮官らについての監視の強化。
この合意でキューバの軍人がベネズエラ軍の監視により影響力を及ぼすようになることが約束されたのである。ベネズエラに最高1500人のキューバの軍人が駐屯していたという。
2011年 カウンター・インテリジェンスの活動も加えるべくDIMがDGCIMに変名となった。そして、キューバで諜報活動の養成訓練を受けた軍事諜報員が軍の本営などに派遣されるのであった。彼らの一部は一般の兵士に扮装して軍の内部に侵入した。電話での盗聴は彼らの主要業務のひとつである。その相手が軍の上層部であっても見境なく不審と思われる相手はその対象にされた。
「DGCIMに引き渡してやる」というだけで相手に恐怖感を与えるには十分であった。一旦、DGCIMに送られれば拷問を受けるのは常なることである。人体に電流を流す、窒息死の寸前まで水の中に顔を浸す、セックス暴力、水や食料を絶つといった数々の拷問を適用。
装甲部隊の指揮官イグベルト・マルティン中佐は昨年現政治体制に対して陰謀を企んだとして逮捕されてDGCIM送られた。その証拠はビデオに録画されているとDGCIMは指摘したが、今もそのビデオは公開されていないという。マルティン中佐は人望も厚く軍での昇進も早かった。しかし、チャベス支持派ではなくリーダシップをもっているということで現政治体制には邪魔な存在となっていたようである。彼は今も逮捕されたままの状態が続いているが、その行方は不明の儘である。
マルティン中佐のようにDGCIMに拘束されたままの状態になっている軍人は現在少なくとも200人以上いると推測されている。非政府組織「市民コントロール」によると、その数は300人を越えると指摘している。
キューバ革命を起こして現在まで国内の経済発展を犠牲にしてまで現在の政治体制の維持に努めているそのノウハウをフィデル・カストロはチャベスに教えたのであった。そして、2013年にチャベスが亡くなったあと、マドゥロ政権になるとラウル・カストロがフィデルに代わって指導している。
マドゥロ大統領は2017年の演説の中で「我々はキューバ革命軍に感謝する。いつでも我が国は歓迎して彼らを迎える」と述べている。
しかし、それとは裏腹に、ある軍医がロイターの取材に答えて、「軍部には空腹と物資不足が痛烈に打撃を与えている。事態は悪化するばかりだ。多くの軍人は体重が減り、主にパスタとレンズ豆を食べて存続している」と語ったそうだ。
ベネズエラの軍部が一糸乱れることなく現政治体制に従っているのは唯一恐怖感からである。謀反を起こせばDGCIMに拘束されて拷問を受けるだけである。それを構築したのがキューバのカストロ体制であった。また軍部を離れてコロンビアに脱出した軍人は何もすることなく他国に職を求めて国外に脱出した多くのベネズエラ市民と同様の運命を辿っている。結局、現政治体制が崩壊するまで軍人は軍部に残らざるを得ないというのが現在のベネズエラの軍人が考えていることなのである。
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白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家