国際機関がウィーンから引っ越し?

“音楽の都”ウィーンにはモーツァルト、ベートーベン、シューベルトなどの音楽を愛するファンが世界から集まってくる。市郊外にある中央墓地にはベートーベン、シューベルト、ブラームス、ヨハンシュトラウスをはじめとした楽聖たちが埋葬されているから、音楽ファンにとっては必須の訪問先だろう。 若い時、大学でピアノを専攻したという日本人女性はベートーベンの墓の前で涙ぐみながら墓石に触っていたのを思い出す。

▲ウィーン国連都市の全景(ウィキぺディアから、ヘルバルト・オルトナー氏撮影)

モーツアルトの生誕地はウィーンではなくザルツブルクで、ベートーベンはオーストリア人ではなく、ドイツ人だ、といっても“音楽の都”ウィーンはびくともしない。生誕地や国の違い云々ではなく、彼らがウィーンを居住とし、そこで数多くの名曲を世に出したという事実こそ評価すべきだろう。若くして亡くなったシューベルトはベートーベンを愛し、死後はベートーベンの墓の傍に埋めてほしいと言い残した話はよく知られている。音楽は生誕地、民族、国境を越えて人々を結び付けるものだ。

“音楽の都”ウィーンを宣伝するためにこのコラムを書き出したわけではない。そもそも、当方が宣伝しなくても、ウィーンは有名だ。そのウィーン市がここにきて頭を痛めている。エジプトに移民したイスラエル人がモーセの主導のもと、エジプトから出ていき、“神の約束の地”カナンを目指した話は旧約聖書「出エジプト記」に詳細に記述されている。ウィーン市は今、同市を拠点とする国際機関、組織がウィーンから次々と出ていくのではないか、という悪夢に怯えているのだ。

以下、国際機関の「出ウィーン記」について紹介する。

ウィーン市には約40の国際機関、組織の本部があり、その下に世界から来た6000人の人々が働いている。文字通り、国際都市だ。ニューヨークの国連本部、ジュネーブの国連欧州本部などと共に、ウィーン市は「第3の国連都市」と呼ばれている。「ウィーン国連シティー」開設40年を祝うイベントが今年9月挙行されたばかりだ。

国連都市には国際原子力機関(IAEA)の本部があり、そこでイランや北朝鮮の核問題が話し合われる。北朝鮮が核実験をすれば、ウィーンに事務所を置く包括的核実験禁止機関(CTBTO)の国際データセンターがキャッチし、世界の加盟国にデータを配信する。

また、アフリカやアジアの開発途上国を支援する国連工業開発機関(UNIDO)の本部もある。薬物・犯罪を取り締まる国連薬物犯罪事務所(UNODC)本部もウィーンの国連都市の中に入っている。市内にはホーフブルク宮殿に欧州安全保障協力機構(OSCE)の事務局、世界の原油輸出を管理する石油輸出国機構(OPEC)本部がある、といった具合だ。

すなわち、ウィーンは単に「音楽の都」ではなく、「国際機関の主要拠点」の一つだ。その2つの王冠を持つウィーン市だが、ここにきて後者の王冠がずれ落ちそうな気配が出てきた。その最初の兆候として、サウジアラビアが出資して開設された宗教の対話センターがジュネーブに移転するのではないかという噂が流れているのだ。

▲ホーフブルク宮殿で開催されたKAICIID創設祝賀会(2012年11月26日、撮影)

オーストリア国民議会で今年6月12日、ウィーンの一等地に宗派間の対話促進を目的で創設された通称「アブドラ国王センター」(正式には「宗教・文化対話促進の国際センター=KAICIID)の閉鎖を求める動議が賛成多数で可決された。その結果、2012年11月に華々しく創設された同センターは、ウィーンの事務局を閉鎖し、他の都市に移転するかの選択を強いられることになったのだ。

KAICIIDはキリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンズー教の世界5大宗教の代表を中心に、他の宗教、非政府機関代表たちが集まり、相互の理解促進や紛争解決のために話し合う世界的なフォーラムだ。設立祝賀会には日本から仏教代表として立正佼成会の庭野光祥・次代会長(当時)が出席した。

同センターがサウジの拠出(年間1500万ユーロ)に依存していることが明らかになると、欧米社会では批判の声が上がった。サウジ国内で少数宗派の権利、女性の権利が蹂躙されていることもあって、人権団体やリベラルなイスラムグループから国際センターの創設は「サウジのプロパガンダに過ぎない」という批判が飛び出した。

サウジはオーストリア議会の決定に強く反発し、「ウィーン市が願わないのならばジュネーブに移転するかもしれない」と言い出したわけだ。それだけではない。サウジが主要出資国の「OPEC国際開発基金」(Ofid)はウィーンに本部を置くが、「これも移転だ」と脅迫。そこまでは予想されたことだが、「OPEC本部もウィーンから出ていく」という情報が流れると、オーストリア外務省も慌てだした。

オーストリアは過去、OPECをウィーンに留めるために新しいOPECビルを提供するなど多くのオファーを出してきた経緯がある。そのOPECが出ていけば、国際都市としてのウィーンの名声が傷つくだけではなく、OPEC関係者がウィーンに落とすさまざまな財政的恩恵も失うことになる。

KAICIID、Ofid、そしてOPECと3つの国際機関がウィーンから出ていけば、他の国際機関にも少なからずの影響を与え、オーストリア政府の待遇が悪くなれば、ウィーンから出ていくことを考える国際機関も出てくるだろう。

オーストリア政府は国際機関の「出ウィーン」が起きる前に早く対応しなければならない。オーストリア代表紙プレッセは7日付一面トップで「Amtssitz Wien geraet in Misskredit」(国際都市ウィーンが不評に陥っている)という見出しを付け、国際都市ウィーンの評価が揺れ動いていると警告を発している。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月11日の記事に一部加筆。