江頭2:50さんが日本人歴代2位のスピード記録を達成
東出昌大さんの不倫騒動を受け、「不倫は芸の肥やしだという時代は過ぎ去った」との意見が散見されました。そりゃそうだよなと感じつつも、勝新太郎氏の葬儀で森繁久彌氏が書いた短冊が思い出されるとともに、型破りの芸能人が誕生しにくい時代だということを再認識したのでした。
そばに行くと、何か書かれた汚い短冊を手渡された。
短冊には森繁さんの直筆で、
“サラリーマンの如き役者ばかりなり 久弥”
と書かれていた。
「新伍、これ、どこかで言ってくれよ」
「……でも、誤解されますよ」
ぼくは口でそう言いながら、森繁さんの意は汲んだ。
森繁さんは決してサラリーマンを馬鹿にしたのではない。
少なくとも、もう出ない役者が、最後の役者が逝ってしまったことを、そうやって表現しようとされたのだ。
席に戻ったぼくに、津川雅彦さんがポツリと言った。
「新伍ちゃん、ぼくらはこれから、誰が褒めてくれるのを楽しみに役者をやってったらええんや」
(山城新伍著『若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ』廣済堂出版、2008年)
現在でも、非常識な言動が何故か許されてしまう芸能人がいると思いますが、その数が減っていくことは想像に難くありません。型破りな芸能人はいなくなってしまうように思えます。
そんななか、型破りの象徴と言ってもよい江頭2:50さんのユーチューブチャンネルが快進撃を見せています。チャンネル開設から9日間で登録者数100万人を突破しましたが、これは本田翼さんの18日を上回る日本人歴代2位のスピード記録です。
参考「江頭2:50、登録者数100万人を突破!」(テレ朝news)
人柄のような免罪符があって許される必要悪
立川談志師匠は、落語は非常識(業)の肯定だと定義しましたが、私はこの言葉を次のように理解しています。
常識は大切だけれども、そればかりだと息が詰まってしまいます。しかし、人々が非常識な言動をあちこちでしだしたら社会は混乱するでしょう。そこで、世間の人々に代わって、社会の枠の外にいる落語家が非常識な言動を肯定します。
それを社会の中にいる人々が笑うことで、常識がもたらす息苦しさという名の副作用が緩和されるわけです。社会の外にいる落語家(または芸能人)が常識を破ることで、社会の中の常識が守られるとも言えます。
江頭2:50さんの快進撃は、常識やコンプライアンスに息苦しさを感じていた現代人が、ガス抜きを求めたことと無縁ではないと思います。
また、非常識ぶりが許される背景には、原発事故の影響を恐れ支援が届かないなか、消費者金融で借金をしてまで物資を届けに行ったというエピソードに象徴される、江頭2:50さんの人柄があるのでしょう。
本来は真面目な江頭2:50さんが、私たちのために非常識を演じているのだと認識できるわけです。芸能人だから型破りでも許されるという時代は過ぎ去ったものの、江頭2:50さんの人柄のような免罪符があれば、まだまだ型破りな芸能人が受け入れられるという可能性が見えてきます。
ほんの一時、常識から解放されたいと願う人々は、いつの世にでも多くいるでしょうから、ガス抜きをする存在もなくなりません。そしてその存在は、社会の中にいる人々が過激系ユーチューバーとなり引き受けるのではなく、社会の枠外で生きていると目される芸人が引き受けた方が、社会の常識が守られるのではないでしょうか。