新型コロナウイルスのPCR検査件数が不十分と言われる中、一部で診断の「救世主」として注目を集めているのが、抗体検査の簡易キットだ。
しかしこの検査は、特性を理解せずやみくもに使用すれば、社会混乱を増幅させるだけでなく感染爆発リスクを上げることにもなりかねない。そのことが世間ではまだ十分理解されていないと感じている。
本稿では抗体検査と簡易キットのよくある誤解について解説し、本検査法の限界と可能性を述べる。
抗体検査簡易キットとは
抗体検査の簡易キットは図1に示す通り、少量の血液を載せるだけで抗体陽性かどうかが判定できるものだ(図1)。自分で血液を取ることさえできれば自宅でも検査可能であり、また1キット数千円という安価で入手可能である。日本国内でも研究用の簡易キットが既に市販されている。
英国ではこの簡易検査キットを一般家庭に配り、自己隔離の指標としてもらう方策も打ち出されているようだ(3月28日現在)(1)。
「そんな簡単なキットをなぜ日本では配らないのか」
そういう不満を持っている方もあるだろう。しかし生兵法はけがの元。事前の知識なくこのキットが汎用されることは非常に危険である。
今、この抗体検査をどんどん広めたい、という方の間に見られる誤解には以下のようなものがある。
抗体陽性であれば感染していることになるので、早期発見に役立つ。
抗体が陽性で症状がなければ免疫ができたことになるので安心できる。
抗体が陽性で症状が治まってくれば免疫を獲得しているので感染リスクの高い業務にもつくことができる。
このいずれについても証明はされておらず、誤った認識が人々をリスクの高い行動に走らせかねない。
抗体とは何か
そもそも抗体とはなにか。
私たちの体にウイルスやばい菌などの病原体が侵入すると、その病原体の一部(抗原と呼ぶ)を認識する抗体が作られる。ウイルス感染で主に働くのは「IgM」と「IgG」だ。「IgM」は抗原をつかむ手を5本持ち、ごく簡単に言えば、抗原にくっつきやすいけれども弱い抗体である。
一方「IgG」は手が1本しかないが強い抗体といえる(図2)。いずれの抗体も特定の病原体だけを認識することが多いが、よく似た病原体、例えばSARSウイルスと新型コロナウイルスなどでは同じような抗原を持つことも多く、同じ抗体が幾つかの病原体を認識することもある。
ウイルス感染では初期に「IgM」が作られ、その後に「IgG」が産生される。つまり「IgM」が陽性であれば感染早期である可能性、「IgG」が陽性であれば、ウイルスに対する免疫体制が完成している可能性が示される(図3)。
ここであくまで可能性、と書いたのは、新型コロナウイルスにおける「IgM」と「IgG」の経時変化や臨床的意義につき、まだ十分な知見が得られていないからだ。
まず「IgM」、「IgG」の産生が感染のどの時期に起きるのかが分かっていない。抗体ができる前に重症化する人もいるかもしれないし、抗体ができても症状が出ない人もいるかもしれない。過去の報告では、新型コロナウイルス感染と診断された患者では5日以内に抗体が100%陽性になったという報告があるが(2)、「ウイルスに接触して」何日で抗体が作られるのかは不明である。
また、「IgM」、「IgG」が陽性であっても、ウイルスに対抗できる十分な免疫力を持つ証明にはならない。その抗体がウイルスを殺す能力があるかどうかは分からないからだ。抗体陽性者を感染リスクの高い部署に配属させる、という案も聞かれるが、現状それは危険だと言わざるを得ない。
さらに、抗体陽性でもその人の体からウイルスが消えるとは限らず、無症状でウイルスを運んでしまう「キャリア」となる可能性もある。抗体陽性だからと安心して外出をしてしまえば、むしろ感染爆発のリスクを高めることすらあるだろう。
要約すれば、抗体検査を用いる際には少なくとも以下の点を知る必要がある。
- 抗体が陰性でも、感染していないとは言えない。
- IgM抗体が陽性でも感染症状が出るとは限らない。
- IgG抗体が陽性になっていても抵抗力が十分である保証はない。
- IgG抗体が陽性でも人にうつさない保証はない。
簡易キットの精度
また抗体だけでなく、簡易キットそのものの欠点についても理解が必要だ。簡易キットは大災害後の被災地でも良く用いられるツールだが、これまでの経験から、外気温や湿度、埃、光など様々な環境因子により精度が落ちることが知られている(3)。
また、当然ながらキットは正しく取り扱わなければ正確な値は出ない。しかし家庭などで使用する場合には、不適切な使用が増えるため、市販後には販売会社が謳うほどの精度は出ない可能性が高い。
しかも海外では国が認可しないキット、精度の補償されない粗悪品も出回っているようだ(4)。そういった意味で、簡易キットそのものの信頼性が確立しているとは言いがたい。
簡易キットは無用か
以上のような欠点をもつ抗体検査は、医療現場で用いる意義は低いだろう。では全く無用なのだろうか?私は、それは使用する側がどれだけ検査を理解し、何の目的で使用するかによるだろうと考えている。
たとえば症状があり抗体が陽性だったら、保健所にPCR検査を依頼する一つの理由となり得る。また症状がなく抗体陽性だったら自己隔離の指標になるだろう。あるいは感染者と接触したことが分かった場合、まず抗体を測ることで不要な受診を避けられるかもしれない(ただし陰性でも安心はできず、陽性でも症状がなければ必ずしも受診は必要ない)。
もう一つの利用方法は、集団免疫の獲得状況調査だ。ある程度感染が収束した頃に住民調査を行い、IgG抗体陽性の住民が増えていれば「集団免疫」が獲得されつつある、という指標にはなるだろう。ただしこれについて個人のメリットは少ないし、感染が拡大しつつある現在行うべき調査ではない。
このように検査を理解した上で使用目的を的確に選べば、不完全なキットであっても有効利用は可能だと考えている。
今必要な「多重防護」
今、先の見えない大きな社会不安の中で、多くの人が唯一の「特効薬」を求め、安易に新しい手段に縋りがちである。しかしどんな疾患であっても治療や検査に唯一の特効薬など存在しないし、不用意な神格化はむしろリスクを高めることにもなる。それは我々が福島第一原子力発電所事故でも繰り返し学んできたことだ。
今新型コロナウイルスに対して我々が持つ武器は少ない。個人の衛生管理、保健所のクラスター調査、検査の拡充、治療薬の開発。どれも1つだけでは心許ない武器ばかりである。だからこそ、一つ一つの武器の特性を理解し、全てを駆使することで多重防護に勤めることが必要だ(図4)。抗体検査もその一つとして、特に住民とのリスクコミュニケーションに有用ではないかと考える。しかしそれはPCRの代替品にはなり得ない。
一つの方法に依存してむしろリスクを高めぬよう、多くの方が検査を妄信することなく理解を深めていただければ、と考えている。
- UK coronavirus home testing to be made available to millions(the Guardian.com)
- Molecular and serological investigation of 2019-nCoV infected patients: implication of multiple shedding routes(Taylor & Francis online)
- Strategic Point-of-Care Requirements of Hospitals and Public Health for Preparedness in Regions At Risk(PMC)
- 中国製検査キット6万個が不良品(共同通信)