経産省の不祥事(虚偽報告)は早く見つかって良かったのではないか?

4月1日の読売新聞朝刊(社会面)に「経産省職員が虚偽文書 関電改善命令 ミス隠ぺい、幹部ら処分」と題する記事が掲載されています。すでに報じられているとおり、経産省は関西電力に対して業務改善命令を発出したわけですが、手続上は取引監視委員会の意見を聴取しなければ命令を出せないにもかかわらず、委員会の意見聴取を担当者が失念していた、とのこと。後で気が付いて、慌てて委員会の意見を聴取したのですが、その聴取の日付けを命令発出前に書き換えていたそうです。担当部局の幹部も許容していたこと、担当者が相談した他の部局の職員も黙っていたことが判明しています(3月31日付け経産省によるリリースはこちらです)。

(編集部)

残念なのは、この隠ぺいの発覚は、改善命令に関する決裁文書への情報公開請求がなされたことがきっかけ、という点です。組織の自浄能力の欠如が露呈されてしまいました。もし情報公開請求がなければ、経産省内部で隠ぺいは(誰もトップに報告することもなく)そのまま眠ってしまうはずだったということです。

3年ほど前、人事院からの要請で、各省庁の幹部160名を集めたコンプライアンス研修の講師を務めましたが、その際「公務員の無謬性」についてお話させていただきました。なぜそこまで「無謬性」にこだわるのか?公務員だって「人生山あり谷あり」ですから不正に手を染めることだってありますし、ミスも起こします。なぜご自分の過ちを認めないのか、不思議でならないことを申し上げました。

このたびの経産省の件も同様であり、私には隠ぺいするほどのミスであることが全く理解できません。どうして「法令の認識不足で手続にミスがありました。現時点の命令を取消して、あらためて明日、命令を発出します。失礼しました」と言えないのか?上司もなぜ、その隠ぺいを了承してしまうのか…、私にはそれほどまでにコンプライアンスよりも「無謬性」を重視する発想がわからないのです。この公務員の発想を心底から理解できなければ、公務員の隠ぺい体質は直せないだろうし、森友問題の解明もむずかしいのではないかと考えます。

しかし、今回の経産省の件は、情報公開請求によって早めに発覚し、関係者の処分を終え、経産省にとってはとてもラッキーだったと思います。もしこのまま隠ぺい問題が放置され、数年経過してから「虚偽文書疑惑」のような形でオモテに出たとしたらどうなっていたでしょうか。おそらく「関電と経産省とのなれ合い体質(疑惑)」「手心を加えた経産省(疑惑)」といった形で週刊誌ネタになっていたはずです。経産省は強く否定したいのですが、根も葉もない噂に(確たる証拠をもって)反論できないがゆえに、手続ミスの隠ぺいでは到底すまないような組織の信用毀損に至ってしまう可能性もあります。

上記経産省リリースによると、再発防止策として「二度と起こさないための研修」をされるそうです。しかし、私は「残念ですが、どんなに立派な研修をしたとしても、また同じようなミスはかならず起きます」と言いたい。再発防止策は、起きたときにどうするのか、ということを省内、担当部署を越えて議論することです。あの大阪府警ですら、証拠偽造が頻発した折、府警本部長の指揮で「もし、偽装を署内で見つけたら、君はどう対応するか」というDVD研修に至りました。(※1)公務員の「過剰な無謬性」を捨て去ることが再発防止の第一歩です。

今年も財務省ほか、人事院研修の講師をさせていただきますが、同様のことを強く公務員の方々にお伝えしたい。

(※1)2012年、新聞でも報じられましたが、大阪府警でコンプライアンス e ラーニングの DVD が警察官2万3000 人に配られました。2年間続けて非常に大きな不祥事が大阪府警に続きました。7年も前の事件の証拠を紛失してしまったから自分で作ってしまったとか、証言の調書を偽造してしまったとか、本当に恥ずかしい不祥事が7件も続きました。

このことによって本部長が交代しましたが、大阪府警のコンプライアンス教育も変わりました。府警教育では「あなたが上司として、部下の不正を見つけたときにどうするか。」「あなた自身が証拠をなくしたときにどうするか、誰に報告するか」こういうことを e ラーニングで始めたのです。あの大阪府警で、警察官は不祥事を起こしてはいけないという今までのスタイルから、起こしたときにはどうするかという発想に変わったのです。


編集部より:この記事は、弁護士、山口利昭氏のブログ 2020年4月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、山口氏のブログ「ビジネス法務の部屋」をご覧ください。