新型コロナが進める「宗教改革」

世界のイスラム教徒は23日、ないしは24日からラマダン(断食の月)に入る。1カ月余り続くラマダンはイスラム教徒の信仰生活では重要な5行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)の一つだが、新型コロナウイルス(covid-19)が世界的に感染している今日、断食明けをイスラム寺院で迎えることは出来なくなった。

▲イラン保健省キアヌーシュ・ジャハンプール報道官が新型コロナの感染状況を報告(IRNA通信から、2020年4月20日)

新型コロナはイスラム教ばかりか、世界の宗教界を激変させている。4月は、信仰の祖アブラハムから派生した3大唯一神教、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教で重要な宗教儀式が続いてきた。キリスト教では12日、ローマ・カトリック教会やプロテスタント教会が、19日には正教会がイエスの「復活」を祝うイースターを迎えたばかりだ。ユダヤ教では8日から約1週間、奴隷生活を強いられたエジプトから出て、神の約束の地カナンに出発した日を祝う「過ぎ越しの祭り」(ぺサハ)を祝った。そして23日にはイスラム教徒はラマダンに入るわけだ。

キリスト教会やイスラム教は毎年、教会や寺院に信者を集めて盛大に祭日を祝うが、今年は新型コロナの感染防止のため、信者を集めて宗教施設内で儀式を開くことができなくなった。そのため、さまざまな代案が提案され、実施されてきた。

バチカンの2020年の復活祭は「信者のいない復活祭」となったことはこのコラム欄でも報道済みだ。バチカンでは毎年、サンピエトロ広場に信者を迎えて記念礼拝が行われ、ローマ教皇が世界に向かって「ウルビ・エト・オルビ」の祝福を発する。今年はローマ教皇がサンピエトロ大聖堂内で儀典長グイド・マリーニ神父や数人の枢機卿、司教だけが参加した中で行った。もちろん、初めてのことだ。バチカン広報担当関係者が大聖堂内の復活祭の様子をビデオで撮り、それを世界の信者たちに配信した。

新教会でも程度の差こそあれ、ビデオ礼拝で挙行するところが多かった。一方、正教会では教会内で復活祭を開くところも一部あったが、教会内には限られた数の信者たちしか参加できない点では同じだ。ほとんどがインターネットやビデオで礼拝をフォローした。外電によると、ベラルーシのルカシェンコ大統領は、「私は教会に行く道を閉ざす者らをよしとしない」と述べ、正教会内の復活祭開催に拘る指導者もいた。

ユダヤ教ではシナゴークで集会を開催することを中止。イスラエルでは「過ぎ越しの祭り(ペサハ)」は例年家族や親戚、友人が集い、「セデル」と呼ばれる夕食の儀式が行われるが、今年は各家庭で祝うケースが増えた。政府は感染拡散防止の措置として祭りの前日から国民の移動を禁じ、祭り初日の夜と最終日の夜は完全な外出禁止となったという。

一方、ラマダンはイスラム教徒が実施しなければならない5行のひとつだ。断食は日の出から日の入りまで食を断つもので、病気や特別の理由がない限り、全てのイスラム教徒が行うことになっている。日が沈むと、多くの信者たちは寺院に集まって断食明けの食事を一緒にするか、友人や知人を家に招いて断食明けの食事をする。今年はそうはいかない。家庭だけで断食明けする。

中東でも感染者が増加してきた。特にイランでは厳しい状況で、国際社会の制裁下にあるため医療物資の不足が深刻だ。同国保健省報道官が発表した18日現在、確認された感染者数は累計8万0868人、累計死者数は5031人だ。

イランの最高指導者ハメネイ師は、「断食はイスラム法の中核。守らないことは赦されない」と強調する一方、「新型コロナ感染拡大のため公の場での集会が禁止される公算が大きい」として、家庭内でラマダンの意識を高めるように呼びかけている。

3大唯一神教を含む宗教界では、重要な儀式やイベントは「教会」、「寺院」、「シナゴーク」(会堂)など宗教施設内で信者たちを集めて挙行されてきた。宗教団体が過去、華やかで豪華な教会や寺院を建設するのは信者たちに見せるために必要だからだ。しかし、今年に入り、事情が激変した。新型コロナの感染拡大を受け、外出禁止、ソーシャルコンタクトの縮小など要請されてきたため、集会開催は基本的には禁止されている。

そこでビデオ集会、TV礼拝の開催となってきたわけだ。同時に、家庭で礼拝を開くケースが増えてきた。俗にいう「家庭チャーチ」だ。家庭で父母が礼拝を司り、子供たちと共に聖歌や讃美歌を歌い聖典を読む。新型コロナ感染期間が長引けば、キリスト教会やイスラム教会では家庭礼拝が信者たちの間で定着するだろう。

宗教改革者マルチン・ルターがバチカンのローマ教皇が支配するキリスト教会から「聖書に戻れ」と叫んで教会の刷新に乗り出したように、21世紀の今日、教会や宗教機関・組織( institution,organization)が主導してきた信仰生活から、家庭に神を迎える「家庭チャーチ」がビデオ礼拝、インターネット集会と共に新しい信仰形態となっていくかもしれない。

興味深い点は、新型コロナは人と人のコンタクトを制限する一方、社会の最小単位の家庭で神との対話の機会を与えようとしていることだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年4月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。