緊急事態宣言で命を大事にするのは結構だが、日本のコロナ死者はきのうまでに累計350人。これを増やさないために全国民が経済活動を自粛する意味はあるのだろうか。まず自粛で何人の命が救えるのか考えてみよう。
きょう現在のコロナ死亡者は全国で累計376人だが、20日ごろピークアウトしたように見えるので、今がピークとすると合計750人。これは甘すぎるので、緊急事態宣言をやめるとその2倍になると見積もり、1500人が死亡すると考えよう。この場合は「8割削減」で約1000人の命が救われることになる。これは今シーズンの季節性インフルエンザの死者とほぼ同じである。
現役世代の命と高齢者の命の選択
それに対して緊急事態宣言による大不況で失われる命は、どれぐらいだろうか。よく知られているように、日本では失業率と自殺率には強い相関がある。舞田敏彦氏の計算によると、完全失業率が1%上がると、自殺率は約2%上がる。この相関は次の図のように、1970年代から最近まで一貫している。
これからコロナで同じぐらいの不況が1年続き、同じく失業率が0.7%上がるとすると、8000人ぐらい自殺者が増えるだろう。つまり失う命は8000人で、救う命は1000人である。緊急事態宣言をこのまま続けると、差し引き7000人の命が失われるわけだ。
この他にも医療資源がコロナに過剰に取られるため、他の重症患者の手術が延期されて死亡している。大不況が冬まで続くと、餓死や凍死も出てくるかもしれない。いずれにせよ緊急事態宣言を続けると失う命が救う命より多いことは明白である。
これに対して「自殺は自由意思だが、コロナで死ぬのは自分の選択ではない」という反論がある。だが失業して自殺するのは現役世代の男性が多く、コロナで死ぬのは上の図のように基礎疾患をもつ70歳以上が多いので、余命も社会的コストも少ない。
緊急事態宣言による経済の崩壊を避けることは金と命のトレードオフではなく、現役世代の命と高齢者の命の選択なのだ。これが安倍政権が、スウェーデン政府のように高齢者を隔離して企業活動を制限しないという合理的な政策をとらないで、国民に一律に犠牲を強いる理由である。先進国でもっとも恵まれた状況にある日本がこのチャンスを見逃すことは、取り消しのつかない損失になろう。