マスク着用「シンボル」か「愛国的」か

オーストリアは24日からスーパー、銀行、郵便局に行く場合、マスクの着用が義務化される。同国では3月中旬、マスク着用の義務化が施行されたが、新規感染者が減少したこともあって、6月15日に医療関連施設、薬局、地下鉄や市電など公共機関を除き、マスク着用は解除された。しかし、規制緩和後、感染者が増加する傾向が見られてきた。ウィーン市(特別州)、オーバーエストライヒ、ニーダーエストライヒ州の3州でクラスターが生じ、新規感染者数が3桁入りする一方、7月に入り、観光シーズンを迎え、新型コロナが猛威を振るう西バルカン諸国への観光で感染が拡大する懸念が出てきたからだ。

(出典:トランプ氏Facebook、編集部)

クルツ首相、コグラー副首相、アンショ―バー保健相、ネーハマー内相は21日、記者会見し、スーパー、郵便局、銀行などで再びマスク着用の義務化を表明、24日から施行されることになったばかりだ。

クルツ首相は、「マスク着用はシンボル的な意味合いがある。早急に対応しなければならない。また、西バルカン諸国では新型コロナの感染が広がっているのも大きな懸念だ」と指摘、西バルカン諸国からの出入国を厳しく制限すると述べる一方、国民には、「この夏は不要不急のバルカン旅行は避けるべきだ」と呼び掛けた。

同国保健省によると、7月22日午前6時(現地時間)、累計感染者数は1万9866人、死者数686人、感染者のなかで入院患者数は96人、集中治療室患者18人だ。ここ数日、クラスターで新規患者数が100人を上回ったが、21日は再び2ケタ台に戻った。他国のコロナ事情からいえば、オーストリアは依然、コロナ対策では成果を挙げている。アンショ―バー保健相は、「コロナ感染の第2波を阻止するためにも対策は迅速さが大切だ」と述べ、今回のマスク着用義務化の意義を強調した。

ところで、新型コロナ感染で、世界で最も多くの感染者、死者を出している米国でトランプ大統領が20日、マスク着用を国民に訴え、「ソーシャル・ディスタンスが取れない場合、マスクを着用することは愛国的だ」とツイッターに投稿したことが明らかになった。

トランプ氏はコロナ禍の当初、マスク着用を拒否してきた指導者の1人だった。南米ブラジルのボルソナロ大統領も、トランプ氏と同様、マスク着用を拒否してきたが、自身が感染したこともあってマスク着用を強いられている。トランプ氏の場合、感染はしていないが、米国内のコロナ感染は拡大傾向が見られる。そこでトランプ氏もコロナ対策でマスク着用の必要性を感じ出したのかもしれない。「マスク着用はコロナ対策で重要だ」とはいわず、「マスクの着用は愛国的だ」と表現したところは、トランプ氏らしい。

ところで、マスク着用は本当に愛国的だろうか。CNNではないが、トランプ氏の発言を少し検証してみたい。トランプ氏はこれまでマスク着用を拒否するだけではなく、その効用を過小評価してきた。米国内のコロナ感染は沈静化せず、増加傾向が続いている。そこでトランプ氏は遅かったがマスクの着用に踏み切ったわけだろう。

間違いを理解し、それを修正することは正しい姿勢だ。感染症への対応は国民一人一人が対応しなければならない問題だが、マスク着用を軽視した結果、コロナ感染で犠牲となった国民への責任は一国の指導者としては当然背負わなければならないだろう。そこでマスク着用に踏み切った。見栄も外聞もない。国民の命がかかっている。そのような思いがトランプ氏にも湧いてきたと信じたい。

オーストリアのクルツ首相は、マスク着用を、「新型コロナ対策で成果のあるアジア諸国から学ぶべきだ」と国民にアピールし、マスクの効用を国民に訴えてきた。その首相がマスク再導入に際して、「マスク着用はシンボル的効果がある」と語ったが、トランプ氏はクルツ首相の発言を「余りにも官僚的だ」と感じたのではないか。そこで「シンボル的効果」ではなく「愛国的だ」という少々大袈裟だが、インパクトのある表現となったのだろう。

トランプ氏がマスク着用が「愛国的だ」と表現したのは、11月の大統領選を意識したこともあるだろうが、非常にセンスのある表現だ。ツイッター発信では意味のない表現や発言が多かったトランプ氏らしくない、啓蒙的で正確な表現ではないだろうか。

マスクは本来、医療用マスク以外は外からの新型コロナの感染を完全に防止することはできないが、相手に感染を広めないという意味で効果はある。最近は外部からのウイルスを防止できるマスクが開発されてきたが、マスクは本来、相手を感染から守るのが目的だ。その意味でマスク着用は非常に利他的であり、人道主義的な愛の表現だ。「自分も相手もマスクを着用すれば、両者が感染から守られることになる」といった人がいた。その通りだろう。

当方の一方的な深読みだが、米大統領の立場にあるトランプ氏は「愛の表現」では余りにもダイレクト過ぎるから、国民を感染から守るという意味合いを込め、「愛国的だ」という表現を選んだのだろう。

マスクの着用は新型コロナ感染で現代人が学んだ貴重な経験ではないか。自身の利益ファーストのワイルドな資本主義社会に生きている現代人にとって、「相手のために」マスクを着用するという精神は、新型コロナ感染が終息した後も持ち続けたいものだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年7月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。