韓国、李仁栄新統一相の「セカンド志向」

韓国紙中央日報(日本語版)を開いていると、興味深い記事に出くわした。李仁栄新統一相が27日、初出勤の際、記者団に「歴代統一相のうち2番目にうまくやる自信がある」と述べたという。そして統一問題を「米朝の時間」から「南北の時間」中心に戻すというのだ。換言すれば、「南北朝鮮半島の再統一問題で米国が傍でうるさく言うな、南北間で話し合って決めるべきだ」というメッセージが込められているわけだ。新統一相の最初の発言は、かなり挑発的なものだ。

▲韓国の李仁栄新統一相(韓国統一省公式サイドから)

ここで問題としたいのはその点ではない。学生時代、主体思想に惹かれ、左翼学生運動のリーダーだった李新統一相から反米、親北的発言が飛び出したとしても不思議ではない。問題は「自分は歴代統一相で1番ではなく、2番目にうまくやる長官(大臣)になりたい」という部分だ。

この発言は新統一相が稀に見る謙虚な人格者だからだろうか。それとも自信のなさの表れに過ぎないのか。韓国メディアによれば、李新統一相は「彼にはかなわない」と尊敬している歴代ナンバー・ワンの統一相の名前を明らかにしなかったが、「1番」ではなく、「2番」を目指していくというのだ。これは韓国社会では珍しい発言だ。

韓国社会では誰でも1番を目指す。それはスポーツ分野だけではない。会社、学校、共同体でもそうだ。どこかの集会で「社長さん……」とコールしたところ、そこにいた大部分の男性は手を挙げた、という話は良く語られるエピソードだ。韓国では皆、社長を目指している。「自分は副社長を目指す」という男性がいたら、「何かがあったのか」と怪訝に思われてしまうだけだ。

にもかかわらず、李新統一相は「2番目でいい」というのだ。もちろん、李統一相は病気ではないだろう。それでは「歴代2番目の統一相になりたい」という李仁栄氏はどのような人物か。根っからの謙虚な人格者ではないとすれば、覇気のない従順型人物に過ぎないのか。それとも責任を担いたくないため常に予防線を張る官僚主義者だろうか。

「ファースト」をこよなく愛し、それ以外は価値がないと考えるような社会で、李氏は「自分はファーストを目指さない。2番目にいい長官(統一相)でありたい」と宣言したのだ。革命的な発言だ。韓国社会に定着する「ファースト志向」から脱皮し、「セカンド賛美」という新しい文化を築こうとしているのだろうか。

日本では一時期、ゆとりある教育が叫ばれたことがあったが、韓国は新型コロナウイルス感染時代、パリパリ(早く早く)と走り回る社会から脱皮し、ゆとりをもって生きて行こうというアピールかもしれない。当方の推測が当たっているとすれば、李新統一相は就任早々、学生時代に夢見てきた「主体思想革命」ではなく、一種の韓国社会の覚醒を促す文化革命に火をつけたことになる。

韓国の若い世代では「ヘル朝鮮」という言葉がよく聞かれる。韓国の若者にとって、厳しい受験競争、就職難などがあって、地獄のような社会だという思いが込められている。一流大学に入り、一流企業に就職することが多くの若者とその家族の願いだが、それを実現できるのはごく限られているから、大多数の若者は劣等感、敗北感、絶望感、自暴自棄の状況に陥りやすくなるわけだ。「ファースト」志向社会の負の問題だ。

少し、社会学的、文化的観点から「ファースト」と「セカンド志向」について考えてみたい。「ファースト」は栄光だが、それは「上がり」だ。その上はない。「ファースト」後はそれを維持することが次の目標となる。防衛戦に備えるボクサーのチャンピオンだ。人によっては傲慢になったり、ワンマン社長となり、独裁的になるかもしれない。なぜならば、ナンバー・ワンだからだ。一方、「セカンドの場合」は目指すべき目標はまだ前方にあるから、傲慢になったり、独裁的になる余裕はない。セカンドは成長の途上だからだ。

このように見ていくと、李新統一相の「セカンド」発言は自己コントロールの極みというべきかもしれない。それとも、北朝鮮に心がどうしても傾斜する李氏にとって「主体思想の北は常にファーストであり、堕落・腐敗した南はそれには及ばないセカンドの立場だ」という世界観から抜け出せないのかもしれない。

いずれにしても、韓国民の生き方が「ファースト」から「セカンド」志向に緩やかに移行できれば、「反日」も次第に消えていくかもしれない。韓国の「反日」志向は歴史的背景は別として、韓国の「ファースト志向」から生まれてきた副産物の面も否定できないからだ。

李新統一相が「誰が歴代ファーストの統一相か」に答えなかったように、「セカンド」志向の生き方になれば、「誰がファーストか」はあまり意味がないのだ。誰の後ろを走っていてもいいのだ。そのような社会で反日が生まれてくる土壌はあるだろうか。

李仁栄新統一相の「2番目」発言は、本人の意向とは別に、単に韓国社会のメンタリティ―を変えるだけではなく、日韓関係にも大きな影響を与えるかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。