5月の文春オンラインに御厨貴さん(東京大学名誉教授)が「知事たちの通信簿」と題して、全国の知事のコロナ対応を評価した記事を出した。
これが、あまりものデタラメなので、私はアゴラや月刊誌『正論』の記事でも批判したし、『日本人がコロナ戦争の勝者となる条件』(ワニブックス)では、1章を割いて徹底的に糾弾した。
それを読んで少し反省したかどうかは知らないが、こんどは、「【知事の通信簿】東京小池「やりすぎ×」、北海道鈴木「失速×」、大阪吉村「逆方向×」、和歌山、鳥取、岩手「○」」と小池知事らを正反対に彼らをぼろくそに書いた記事を出したのである。
なにしろ、前回○をつけていた東京の小池、大阪の吉村、北海道の鈴木に×をつけるなど評価をまったく正反対にした記事を載せている。言ってみれば前回は「優」をつけていたのに軒並み「不可」というようなもので、ここまで極端なことしたら学生はパワハラかなんかだといって大学に訴えるであろう。
つまり、これは実質的には修正記事に近いのである。文春オンラインと御厨氏は「その後の変化を踏まえて改めて聞いた」といっているが、その間に、小池知事らの姿勢が大きく変化したわけでない。実質的にお詫び付きで修正記事告知でもするべき所を「その後の変化」とかで誤魔化したといわれても仕方なく、前代未聞だ。
御厨氏の理解不能な“修正”の中身
前回は、『北海道鈴木、愛知大村は○、宮城△、石川、千葉、神奈川×、小池都政は? 政治学者・御厨貴「知事たちの通信簿 東日本編』、『大阪吉村、和歌山仁坂、鳥取平井は○、広島△、兵庫、福岡は×… 西日本編』と書いていた。
それに対して、私は、「これは、パフォーマンス偏重だし、国に反抗的姿勢を見せれば実質と関係なくよしとする『地方分権ごっこ』だし、些細な失敗談ひとつで罰点というのもよくない」とした。
そもそも、私も政府が大胆な「自粛政策」をとりあえず構築するにあたって、小池氏というジャンヌ・ダルクがいたことは良かったと認めている。
だが、「医療現場の統率という場面では、東京都の対応は混乱を極めている」と指摘し、さらに、「広汎な厳しい休業要請をする一方、財政調整基金というへそくり6500億円を使って、気前よく出し、コロナと戦うイメージを出すとともに、業者からも喜ばれて選挙対策にしたかったのだろう。しかし、バラマキの度が過ぎて他の道府県は追随できず全国的混乱を招いた」「さらに、これは、首都直下地震などのときの備として大事なものなのに使ってしまったともいえ、いざというときどうするつもりなのだろう」と文春・御厨の記事を批判したのである。
そうしたところ、今回の記事では、「流石にやりすぎた面もある。というより、小池さんの持っている「手口」が使い尽くされた。小池さんには頼りになる参謀や盟友もいませんから応用が利かない。次の一手もなく、限界に直面しています」としてなんと×という最低評価なのである。
北海道の鈴木直道知事は、「圧倒的な道民からの支持と中央政界とのパイプで引っ張ってきましたが、長期戦になるにつれて中央行政との連携がさらに求められるようになってきているのです。公務員出身ではありますが、中央官庁出身ではない難しさにぶち当たっています」と評価。
大阪の吉村氏についても、「また、『大阪モデル』など独自政策を打ち出して脚光を浴びた吉村洋文知事も、正念場を迎えています。「5人以上の会食はやめてください」(7月28日)など具体的な数字をはっきり出す「言葉の人」ではありますが、これだけ大阪で感染拡大が起きている中でどういう手を打てるのか。コロナ解決には地域に密着して、小さな単位に落とし込んで解決していくことが不可欠ですが、秋に住民投票を控えている大阪府と大阪市の統合は、ともすれば逆方向の話。長期戦の中でどういう手を打っていけるのか」としている。
はっきり言って何を言いたいのかさっぱり分からないし、それがどうして「○」だったのが「×」なのか理解不能である。
前回と続いて高評価の知事も「官僚知事礼讃論」
一方、一貫して高く評価しているのは、「元通産官僚で、地域の実態を読み切ってPCR検査などで国とは異なる独自路線を歩んだ和歌山県の仁坂吉伸知事。総務省出身で中央省庁の機微を熟知し、感染症対策として医療や保健所の体制整備を進めながらエリアを区切って対策を進める鳥取県の平井伸治知事」、それに外務省出身で長い間、感染者ゼロだった岩手県の達増知事を「中央の政府・官庁の状況がよく分かっているからこそ、無用な対立をおこすことなく、住民と一緒になってコロナ対策に当たることができている」としているのだが、単なる官僚知事礼賛論に過ぎない。
そのうち仁坂、平井の2人がよくやっていることに異議はないが、ほかの県知事より立派なのかどうか比較はしているように見えないし、岩手県については、感染者ゼロを守るために息を潜めて県全体が沈滞してしまっているわけで、そんなの自慢しても仕方ないというか、県民の幸福とは関係ない話だ。
そうでなくともますます進む東京一極集中のなかで、地方はインバウンドに活路を見出し、明るい兆候も見えてきていた。それが、コロナ禍のなかで、いろいろチャンスと捉えるべきこともあるのだが、全体としては、インバウンドもこりごり、いまいる高齢者主体の住民をコロナに罹らないように守れば十分で、子や孫の帰省もせず、姥捨て山チックな環境で地域全体が静かに朽ちていくのも仕方ないかと言う方向になってしまった。
国がこのまま無策でいるわけがない
そして、御厨氏は妙に冷静に、「いまや各知事は、コロナを巡って「とにかく言ったもん勝ち」とも言える状態になっている」「知事たち側の事情を考えてみれば、国があまりに無策で、日本中の知事が積極的に発信を続けたことで、独自のコロナ政策を訴えるのが「ウケる」ということが明らかになったという事情もある。もはや「いわないと損」な状況とも言えます」などといっている。
しかし、国がどうして無策だなどといえるのだろうか。経済のためにはアクセルを踏みたい、しかし、医療崩壊を起こして多くの死者を出すようなことにならないようにしたいので、薄氷を踏む思いで対策を進めているし、その結果、感染者数は増えても死者が増えていないのだからうまくいっているのである。
御厨氏は、地方が国の悪口を激しくいわないと次の選挙で危ない実情など分析しているのだが、前回の記事でそういうタイプの知事を称賛してそう言う流れをおおいに後押ししたのは自分たちであることを忘れている。
いまのところ知事さんたちは、感染者数を抑えることを国に強く要求しているかどうかだけで仕事を評価されており、経済不振の責任を問われずにすんでいる。しかし、そういう偏った態度を取っていると、いずれ、経済について後ろ向き過ぎるとかいう責任をとわれてくるに決まっているというか、政府もやられっぱなしにするはずもない。無責任な言動をしてなにも経済のためにはしない知事にはお灸をすえることになるのは当然というものだ。状況が落ち着いたら、経済対策の差が有権者にもわかってくるはずである。
また、財政についても、いまやっている大盤振る舞いを取り返すために、地方へまわす財源はかなり犠牲になることも分かりきったことだ。