言葉尻をあげつらってはいるが、その元祖は学術会議自身
日本学術会議の会員任命拒否をめぐっては「学問の自由の侵害」「官邸支配」などが必要以上に喧伝されている印象を受ける今日この頃。とりわけツイッターでは、菅総理が答弁で用いた「総合的、俯瞰的」という言葉がにわかに、リベラル系の識者や著名人によってあげつらわれる様子が目立ちます。
中でも東京新聞などは特報で「90年代から使われてきた政治用語」として政府の総合科学技術会議の下の調査会が2003年にまとめた報告書を取り上げています。
ところがそもそもの原点は、他ならぬ日本学術会議にこそあります。政府の調査会が報告書をまとめる4年前の1999年10月27日、日本学術会議は相次いで「日本学術会議の位置付けに関する見解(声明)」、「日本学術会議の自己改革について」と題された文書をまとめています。中でも同声明には自己改革に関する記述もあり、次のような見逃せない一文が記されています。
4.所感
日本学術会議は、国の学術重視の姿勢を反映して、「日本の科学者の内外に対する代表機関」にふさわしく、内閣総理大臣の所轄の下に、総理府に「特別の機関」として置かれている。
(中略)
しかも、日本学術会議は、俯瞰的な視点に立って、学術の在り方についての基礎的見解を提示できるわが国唯一の組織である。
5.自己改革
日本学術会議は、様々な課題が待ち受ける21世紀を迎えるに当たり、その組織と活動について自主的に点検・評価を行った。その結果、明確にされた問題点を反省するとともに、それらを速やかに克服して新たな出発をするために、自己改革プランを作成した。
(中略)
日本学術会議は、学術の発達向上を図り、学術の社会に対する責任を果たすことを目標とするが、今後特に力点を置くのは、俯瞰的視点から取りまとめる科学的知見を日本の行政、産業、国民に提供すること、及び国際学術団体への情報発信を通じて、世界の中で学術を先導することである。(太字部分は筆者)
そうした声明から導き出された自己改革案には、次のような記述が見られました。
(4.3.1) 現行の会員選出方式の問題点
現行の会員選出方式には,登録学術研究団体(学協会)を基盤とする利点がいくつかあるが,その方式の運用に関して是正すべき点もある。特に,学協会における会員候補者の選出過程が見えにくく,また日本学術会議と学協会との情報交換が十分でないことから,会員選出にかかわらない科学者一般の日本学術会議に対する関心が低下してきている。
(5.1.1) 審議の方向の見直し
(中略)
様々な政策の形成に役立つ科学的知見を政府に提供する方向や,国民のニーズに対応する方向での審議には,特別な注意が払われなかったきらいがある。そこで,今後は,行動規範を求める社会のニーズに先見性をもってこたえ,総合科学技術会議の政策立案についても,それに資する俯瞰的な科学的知見を提供できるようにする。こうして,学術の成果を行政,産業及び国民生活に還元することによって,日本学術会議の職務に対する行政及び社会の期待に添うことができる。(太字部分は筆者)
「俯瞰的」という言葉が学術会議のお気に入りなのはさておき、会員候補者の選出過程においては果たしてどうだったのか。20年前の声明とはいえ、今も疑問がぬぐえません。
己の理解度不足を差し引いても、私には学術会議の下部組織である学協会への責任転嫁にしか読み取れないのです。
それが今回の任命拒否によって関心が急上昇したのは皮肉というよりありませんが、これでは到底、自己改革には及ばないでしょう。もちろん、その後どうだったのか、継続的な検証や取り組みの証跡は見当たりません。
菅総理の対応も手放しで褒められたものではありませんが、国民の一人としては、学術会議にも俯瞰的の意味を伺いたいと思います。
安全保障に福島、コロナ、そして自省を求めたい何よりの理由
今回の任命拒否の発端は、同じく同会議のサイトに掲載されている「軍事的安全保障研究に関する声明」が引き金になっているという見方もあります。
改めて検討委員会の一覧も拝見しましたが、委員長はじめ幹事における安全保障分野の研究者や専門家はゼロ。かろうじて調査員に川名晋史・元平和安全保障研究所員の名前が見られるのみでした。論ずるべきテーマの専門家が不在の状態で、一体どうやって議論を深めることができたのか。声明に行きついたのか。これではフェアな議論の成果とは到底いえません。
今回の6人の任命拒否とは別問題だという向きもあるでしょうが、私は今回の事象を特定の一点ではなく、一本の線として見ています。
ふたたび前述の学術会議・自己改革案に戻ってみましょう。改革案のトップには、このような文言が掲げられていました。
組織・運営に関しては,日本学術会議のもつ潜在力を顕在化するために,社会のニーズに役立つような審議の方向の見直し,新たな課題への機動的な対応,ボトムアップ機能の強化,審議体制の効率化,成果のタイムリーな公表,新たな学術領域の開拓などを提示した。
安全保障分野の忌避については改めて触れませんが、その他にも福島原発の汚染水処理をめぐる問題や、新型コロナをめぐる各種対応など、学術会議が本来耳目を集めるべき分野は多岐にわたるはずです。
無為無策とまでは申しませんが、少なくともわが国喫緊の課題に対して「学術会議、ここにあり」と言わしめるだけの提言や声明はあったでしょうか。そこを冷静に自問自答いただきたいのです。
なぜ、そこまで言いたいのか。様々な理由がありますが、大きくはふたつです。
ひとつは、学術会議が本来の役割である「政府に対する政策提言」に立ち返っていただきたいこと。本来は諮問機関として政府からの問いかけや審議依頼に応えることであるべき筈が減少の一途にあることは、政府が学術会議を活用しきれていない面も否めません。
もうひとつは、学問を志す人の頂点よりもその入り口、あるいは裾野にこそ大きな課題があることを自覚いただきたい。
新型コロナの問題が表出する以前から、学資をめぐる返済苦や就学困難の問題が後を絶ちません。当然ながら、その中には未来の学者も含まれます。こちらの問題のほうが任命拒否をめぐる騒動よりもはるかに大きいです。(参考:「奨学金支給基準に合わぬ 中間層で修学困難 大量に」)
私自身、大学時代は新聞配達の住込みをはじめ、複数の仕事を掛け持ちしながら足かけ6年がかりでようやく卒業に漕ぎつけた経験があります。仕送りは一切ない、それどころか時には私が逆に仕送りをしていました。それだけに就学困難の問題はただ事ではありません。
今回の6名の任命拒否は学術会議にとって晴天の霹靂だったかも知れませんが、こうして注目を集めたからには少しでもわが国の「未来のために」提言を行ない、国民の理解を得られる組織に変わっていただきたい。私の切なる願いです。