維新vs毎日新聞「泥仕合」の本質 〜 真の戦犯は総務省

新田 哲史

松井氏の画像は大阪市サイトより

大阪都構想の是非を問う住民投票の論戦は、周知の通り、終盤戦に入って「大阪市4分割ならコスト218億円増」と報じた毎日新聞の記事が思わぬ“場外乱闘”を招いて、泥仕合になっている。

維新側が猛抗議し、毎日記事を後追いしたNHKなどは実質的に訂正した。さらに試算を出した大阪市の財政局は局長が謝罪会見という事態に。局長が謝罪に追い込まれた経緯について、都構想反対派は疑念を深め、郷原信郎氏がツイッターで橋下徹氏に「松井市長の市幹部へのパワハラ」の疑いを指摘。すると松井氏がこれに反論。ここから2人が直接論戦するなど、場外乱闘による混乱が深まった。

また、維新や都構想賛成派からは、橋下氏がツイッターで大阪市と毎日新聞がかつて癒着関係にあったと指摘。毎日新聞が反維新勢力と結託したのではないかといった主張まで飛び出し、馬場幹事長が国会の代表質問で毎日を名指しし「大誤報」と批判した。

これに対して毎日側も社長室の談話を出して「極めて遺憾」と猛反発。投票日直前まで収拾がつかない状態になっている。

トラブルの本質はどこにあるのか

さて、先に筆者の毎日記事に対する見解を述べると、同紙が言う「コスト」は、楊井人文氏の指摘する様に「根拠不明」なのは確かだ。

今回、問題になった「基準財政需要額」なるものは、国から財源不足の自治体に仕送りする「地方交付税」の金額を決める参考として、各自治体の事業でどれくらいお金がかかるか、いわば見積もりだ。地方交付税法などに定められた所定の計算式で算出される。そして、今回の都構想で実際に発生するコストではない。これは維新側の言う通りだ。

毎日がなぜこのような書き方をしたのか、橋下氏らが主張するように都構想の抵抗勢力と利害関係があるからなのか、共産党議員がテレビ討論で報道前に218億円の数字を述べていたことなど、疑念はあるものの、そこは明確な根拠がないので正直なところなんとも言えない。

しかし、今回の騒ぎを機に、賛成派、反対派、そして地方行政に精通した人たちにいろいろ話を聞くと、毎日サイドに謀略的な意図のあるなしにかかわらず、きっかけとなった「基準財政需要額」という言葉そのものにトラブルの本質があるように思える。

撮影:丸岡ジョー/写真AC

毎日の記者は「基準財政需要額」を知っていたか?

実は、基準財政需要額というワード自体、総務省以外の省庁官僚の多くにも馴染みがないどころか、「総務省内でも地方自治をやっていないとわかっていないのでは」(総務省の中堅官僚)というから、ある種の“秘伝”のような位置付けらしい。筆者も正直知らなかったし、大半の大阪市民だって初耳だろう。

必然、毎日新聞の記者も本当に知っていたのか疑わしい。新聞記事のデータベース(日経テレコン)で調べると、記録のある1987年以降の33年間で「基準財政需要額」が掲載された記事はわずか198件。その大半は全国版ではなく地方版の掲載。各自治体の予算記事で使われているが、それらの記事の多くは、筆者の経験上、地方支局の若手記者が付け焼き刃の知識で、役所のリリースをそのまま書きがちだ。

毎日の大阪府政の担当記者も以前から知っていたのか微妙な印象がある。というのも、過去記事リストを見ると、大阪の記事で「基準財政需要額」が登場するのは、今回の都構想の論争が起きる前だと、2011年3月にまでさかのぼる(大阪市の生活保護費算定に関する記事)。

そして昨年12月末に今年の都構想の展望を書いた記事が7年ぶりの登場。しかも毎日の記者が独自に仕入れたというよりは自民党大阪の試算を引用する形で言及している。もしかしたら、このときまで記者たちはそもそも言葉を知らなかった可能性もある。

そして、さらに「基準財政需要額」は、1年近く住民投票の選挙直前まで紙面に登場せず、告示前日の紙面で在阪メディア主催の主要4党代表者討論会の記事で“復活”。松井氏と自民・川嶋広稔市議のやりとりの中で登場するのだが、毎日新聞の府政担当記者たちが足を使って、第三者の地方財政の有識者らに取材するなど独自に検証したようには見受けられない。

総務省が“秘伝”扱いする背景

「基準財政需要額」を巡る維新と毎日新聞の紛争。ある知事経験者は「今回突然注目されているが、知る人ぞ知る地方行政の“業界用語”。総務省の『由らしむべし知らしむべからず』という体質が表れた」と指摘する。

皮肉な響きのある「由らしむべし知らしむべからず」とは、「為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)という意味だ。

写真AC:編集部

それは国側にとって、“秘伝”の細かい計算式や位置付けを一般国民にいちいち知らせる意義が薄いというだけではない。基準財政需要額を“秘伝”扱いにしていることについて、前出の総務官僚は「国にとっては、いまの地方交付税制度が自治体に対する力の源泉なので、制度維持に必要」と打ち明ければ、元知事も「総務省による“鉛筆なめなめ”」となかなか辛辣だ。

また不交付団体の東京都を除く、大半の自治体にとっても自主財源で100%予算を確保できないのが実情とあって、仕送り額を決める際のプロセスをつまびらかにすることは、ある種の「小っ恥ずかしさ」が自治体側に付きまとっている側面があるように見える。

こうした実情の「基準財政需要額」。小泉政権のときに当時の竹中総務相が改革の意欲を示すなど「時代に合わなくなってきた」との指摘が絶えない。

安倍政権時代の2014年にも政府の経済財政諮問会議で槍玉に上がり、「需要額の測定に使う指標が、道路面積や小中学校の学級数、農家の戸数などとされ、全国一律に試算した額に基づき交付税を算出する点を問題視」(当時の産経新聞)された経緯がある。

「問題」について、もう少し具体的な話をすると、全国の児童公園にどこもかしこもジャングルジムが設置されるといった、画一的、没個性的な、いかにも高度成長期のような街づくり、予算活用につながってしまうといった弊害が象徴的だったようだ。

竹中総務相のメスでも切れず

無論、そのあたりは竹中総務相のことだ。交付税の算定方法の抜本的な改正を掲げ、人口と面積を基本とする簡素化を進めるはずだった。しかし、総務省内はサボタージュした。政治学者の小寺元氏は「竹中交付税改革」が挫折した実相をこう喝破している。

竹中と諮問会議における民間議員は、旧企画庁出身者と「竹中チーム」の官僚の協力を得て、マクロな予算過程を変えて行った。しかし、彼らはマイクロな予算過程に関与するために必要な知識やノウハウを調達することはできなかった。交付税改革も竹中らは専門的執務知識において優位に立つ旧自治官僚の協力を得られず、抜本的な改革には至らなかったのである。(出典:小寺元『地方制度改革と官僚制』)

サボタージュの原因は明らかだ。前述した「力の源泉」を手放したくない一心であろう。

結局、今回の泥仕合の本質を突き詰めていくと、こうした旧態とした、霞が関の中央集権志向にまみれた制度の問題が浮かび上がってくる。だから大阪都構想という新制度に適合した尺度として相応しいのだろうか。

投票までわずか1日。賛成派も反対派も最終日くらいは、大阪のこれから、国と地方の関係性、あるいは令和の時代の自治制度について、本質的な論戦をしてはどうか。

それにしても菅首相にとっても今回の騒ぎは皮肉な事態だ。首相は表向きは住民投票のことは静観しているが、これまでの発言から維新をアシストしたい本音が見え隠れするし、“総務族”のドンとして長年、側近官僚に都構想実現時の移行準備を入念にさせていたとも聞く。

毎日新聞の「誤報」は、維新にとって敵の伏兵だっただけでない。菅首相にとってもヤブ蛇の事態だったかもしれない。