20代議員、若手議員、最年少…。地方選挙のたびにこうした表現を見る機会が増えた。いつのまにか若手議員が市民権を得、全国の自治体で若手議員がトップ当選する現象が長く続き、今では珍しい存在でなくなった「若手議員」。私自身がその渦中で20年に渡り若手議員と向き合ってきたこともあり、誰も書かない超マニアックな地方若手議員史なるものを紐解いていきたい。
第1世代 1995年当選組
地方議会にとって1995年というのは節目の年だった。それまで全国の地方議員は3万人以上いたが20代議員というのはほぼ世襲でずっと一桁台だったが、突如100人の20代議員が誕生した。55年体制の崩壊と松下政経塾の台頭という時代背景に後押しされたこともあり、また社会の変革期にあって触発された若者が次々と地方議会へ参画、また有権者も温かい目で受け止めたことが要因だった。
この当時、初当選した20代議員の特徴は、選挙に必要な三バンである「地盤・看板・かばん」なし!というスタンスで、しがらみ無き政治を掲げて当選した議員が多い。松下政経塾出身者に倣い、駅頭で朝の街頭演説をし、コツコツと戸別訪問をするスタイルで、現在の若手議員の原型がこのとき誕生している。
もちろん、本家の松下政経塾出身の地方議員も続々と誕生した。のちに松下幸之助さんが政経塾を作った功罪がいわれるが、若手地方議員の台頭は政経塾無くして発生しなかったことは間違いない。また、92年に設立された大前研一氏主宰の平成維新の会が誕生し、ここからもニュータイプの政治家が誕生した。
この世代は既に政界を去った方も多いが、代表格は内閣府副大臣を務めた中根一幸氏で「地方議員に就職転職する方法」といった著書を出すなど有名地方議員として名を馳せた。また橋下知事初当選を裏方で支えた宮本正一元寝屋川市議や京都では荻原豊久府議、広田一衆院議員、大西宏幸衆院議員などが数少ないこの世代のひとりだ。
当時はまだ今の様な政治が開かれた環境ではなかったため、二世、または旧来型の国会議員の書生や秘書などを経て地方議員になっている。例えば先述の広田議員は小渕恵三元首相の書生という出自だ。日本新党系や政経塾系の議員にしても、選挙はまだまだ旧来型の自民党型が中心で、しっかり後援会を作り足で稼ぐという武骨で筋肉質なタイプが多く生き残っている。
真摯に、徒手空拳で正論を吐き続ける先輩方を見て私も地方議会に夢を見出した。学生時代に彼らと会わなければ私の人生は違ったものになっていたに違いない。
第2世代 1999年当選組
99年、地方分権一括法が成立し、これからは地方の時代だと声高に言われた年で、さらに全国の地方議会に若手議員が誕生。若手議員の会なども誕生し、史上最年少当選が各自治体で続々と更新された。とはいえ、まだまだ20代議員が珍しい時代。若手同士での連携が進み、自転車に旗を立てて選挙活動するスタイルや本人と書いたタスキ(諸説あるが最初に始めたのは河村たかし名古屋市長だと言われている)をかけるパフォーマンスが全国へ浸透していった。
また、松下政経塾ほどの本格的ではないものの、選挙の登竜門として政治塾が活発になり、その先駆けとなったのが94年に設立された大前研一が設立した一新塾で、当塾出身の地方議員が多く誕生したのもこの世代からだ。ちなみに一新塾だけはその後も継続的に活動が続けられ、2019年の統一地方選でも75名の地方議員を輩出する名門塾としてその名を政界に留める。
既に引退された今村岳司氏(元西宮市議、前西宮市長)や渡嘉敷奈緒美氏(元東京・杉並区議、現衆院議員)、井坂信彦氏(元神戸市議→前衆院議員)などが99年組の代表格でした。京都では田中英之氏(元京都市議、現衆院議員)などもこの年に28歳で市議初当選組だ。
当時、私は21歳、岩手の第一世代だった及川敦前県議の選挙ボランティアをしておりました。
第3世代 2003年当選組
私が初当選したのがこの年で、まだ地域によっては20代が珍しく新鮮に受け止められていた時代。既に若手議員は全国的にみると爆発的に増えており、第1世代、第2世代から国政へ飛び出していく議員も出始めた頃だった。越田謙治郎氏(元兵庫県川西市議、現市長)や鬼木誠氏(元福岡県議、現衆院議員)、高野光二郎氏(元高知県議、現参院議員)など現在も活躍する人材が安定的に輩出されている。今思えばスタートするには一番いい時代だった。
98年に産声を上げた議員インターンシップ制度の運営を行うNPO法印ドットジェイピーが飛躍的に成長。これまで、政治家と若者の距離は遠く、政治家になる方法がそもそもわからないという政界だったが、多くの学生が若手議員の下にインターンシップに行くようになり、一気に政治家と若者の距離が縮まった。
この制度がない時代は、私もそうだが、自ら知らない政治家の事務所の門を叩くか、早稲田大学の雄弁会など政治家とのコネクションを持つところを探して門下生になるという方法しか政治家になる道はなかったように思うが、インターン制度が出来て以来、インターン経験者が続々と地方選挙に名乗りを上げていく。
第4世代 2007年当選組
ある程度成熟市場を迎えつつある若手議員だったが、このあたりから徐々にボロも出始める。クリーンなイメージが売りの若手議員から不祥事が飛び出したり、トラブルを起こしたりする議員が出始め、若手議員への風当たりが強くなる。
ドットジェイピーというインターン制度のおかげで、多くの人材を地方議会に輩出するようになったが、一方でかつての若手のように修行らしい修行もせず、就職感覚で議員になるような若手も出始め、質が低下し始めたのもこの頃だ。若手議員の玉石混合化が進むが、第4世代の代表格は、熊谷俊人氏(元千葉市議、現千葉市長)や南出賢一氏(元大阪府泉大津市議、現同市長)で、彼らもこの年に市議初当選を果たしている。
同時に、数が増えると有権者の見る目も厳しくなり、これまでの「最年少は当選しやすい」という土壌から、若いだけでは当選しない時代へ突入。大して活躍しない若手などもいたことから、最年少ブランドが役に立たないばかりか、地域によっては20代候補が一つの選挙に何人も立候補するということが多発。若手議員の当選が一気に難しくなったのもこの世代からの特徴と言える。
第5・6・7世代 2011・2015・2019年当選組
その後、第5,6,7世代へ紡いでいくが、もう社会的にも若手議員は珍しい存在ではなく、若手プレミアムもない。この世代で初当選を果たし、現在も活躍する議員はそういう意味で厳しい戦いの末、生き残っている世代だと言える。
この世代の特徴は、働き方に対する社会的思考が変わってきたこともあり、生涯政治家というこれまでの議員のスタイルから、ステップアップの為の政治家、政治家も社会経験の一つと捉えるタイプの議員が増えた。
事実、2019年の統一地方選では、落選ではなく、立候補をせず引退をしていった若手議員が沢山いた。これはこれまでの政治史の流れから見ても極めて稀有な事象だと思う。また、都市部では後援会を持たず、空中戦一本で選挙をするというスタイルも議員も増え、選挙の形も多様化してきている。そういう意味でブロガー議員という新ジャンルを開拓した音喜多駿氏(元都議、現参議院議員)などは5・6世代の代表格だろう(なお都議選は時期が外れており、彼の初当選は2013年)。
また、20代議員の多くは無所属系だったが、このあたりから新興勢力(みんなの党、維新など)が若手候補の擁立に力を入れたこともあり、新興政党系の若手も増えた。
私が地域政党を立ち上げ、若手候補を擁立してきたのもこの第5世代からだ。
20代議員ブームの終焉
こうしてみると、松下政経塾とNPOドットジェイピーが今日の流れを築く非常に大きな役割を果たした。それが社会ニーズとうまく合致し、長らく「若手議員」という新ジャンルを支えてきた。
現在、99年組は既に7期目を迎え全員50歳を超えた。現在1期目の20代議員は第7世代でみんな平成生まれの世代に突入した。この25年間の歩みで、政治に多く若者が参画、全国的に議員の平均年齢も大幅に若返りし、世代間のバランスはとれるようになった意義は大きい。
若手議員の台頭の成果として、かつては蚊帳の外にあった子育て支援や若者の就職支援、財政の将来負担といった若者が直面するテーマも身近な議題として取り上げられるようになった。
そして、その数が今や十分充足し、かつての若手議員を増やそうという時代使命は終わりを告げた。今は、女性が社会でどんどん活躍する時代という時代背景に裏打ちされ、女性議員を増やそうということが時代使命になっている。
そして、もうひとつ地方選挙で深刻化している問題は、「地方議員のなり手不足」という問題だ。以前は考えれらなかった社会課題だが、既に定数を割り込む選挙が地方で発生し始めており、地方議会存亡の危機を迎えている自治体が出てきている。こうしてみると、四半世紀で色々とあったものだとつくづく思う。