コロナ対策についての私の提案のほとんどは、「医師会は医師に年末年始返上を呼びかけるべきだ」、「ワクチンを何ヶ月も遅らす日本の医療界の利権構造」「コロナに負けた日本の医療の抜本的改革を提案する」といった医療関係者への批判だ。
「いや政治や行政が悪いのだ」という反応もあるが、医療行政は厚生労働省でも都道府県でも、医務官僚が握っているし、医師会や病院関係者の意向を尊重しながら行われているのであって、彼らを押さえ込むことが容易でないのだ。マスコミ関係者なら知っているはずだが、政府批判にしたいだけだ。
アビガンの認可、PCRの拡大の遅さ、ワクチン接種の遅れなどすべて医療マフィアの仕業だ。私は東京五輪についても、ここ数週間、これまでよりは、悲観的になってきた。理由はただひとつ、ワクチン接種の遅れだ。ワクチンの接種が何ヶ月も遅れている国で五輪などしたくないと思う世界の人は多いに違いない。
というように、コロナ対策の要諦は日本の医療界との戦いだと思うのだが、それ以外についても、Facebookで書いて好評だった視点をいくつか書いておきたい。
短期的なコロナ対策と国民生活・経済の維持とは、本来的に、相反するものだ。人が動けば感染は拡大する。もちろん、経済が疲弊すれば、そのことで、コロナ対策にもお金を回せないし、自殺者だって増えるが、それは中期的な問題だから横に置いておく。
そして、コロナ対策と国民生活・経済の維持の最適解を賢く求めるなら、その活動によってもたらされるコロナ拡散の程度と、経済を回す効果との費用対効果で、効率が悪いものを止め、効率が良いものは認めるのが上策だ。
そう言う意味からすると、金をたくさん使ってそれなりの防御対策も取っているGoToキャンペーンは最高の上策であり、これを止めるのは愚策だった。逆に、政治家の集会など元気な高齢者のおしゃべりや合唱などが最悪であることは間違いない。
学校は比較的、安全であるが、これを止めることは費用がかからないから、しばらく休校にする。できるだけリモートでやるのは悪くない。ともかく、高齢者にも子供にも、オンラインでコミュニケーションを取るように推奨するという大原則を、総理からも呼びかけるべきだ。
各地で成人式の中止が相次いでいるが、私は中途半端な形でオンラインで済ませるとか中止するのでなく、夏休みとか、来年、必ずやると約束をすることの方がいいと思う。会合の趣旨から言って、マスクして集まって何がうれしいかという気もする。成人式の意味は、幼稚園、小・中・高校の同級生に会えることと、和装振興、そして、親などへの感謝の食事会などの機会を提供することだと思っている。市町村区長のお話を聞く機会ではない。
フランスで二千人規模の年越しパーティーが行われて、マクロン大統領も真っ青だった。日本人はそこまで大胆でないが、それにしても、ストレスが溜まらないための心理面の対策は、社会全体でもっとあったほうが良いと思う。
比較的に安全なものまで止めないほうがいいし、かわりに何かを提供することも大事。その意味でも正月のテレビのつまらなさはなんとかして欲しかった。「鬼滅の刃」を政府で援助して地上波で放送とかしたら、国民のかなりの部分が大人しくテレビ見てるから良かったのではないか。
橋下氏が「十分な補償・給付金なく店名を公表し『店を閉めろ!!』コールを誘発した場合には、営業の自由の侵害の可能性がある」と指摘。「これをやるならコロナ対応を拒否した病院名も公表すべきだ」と投稿したそうだ。前段については、最初から私の意見は違う。閉店を要請された店と損害を被った店とは、一致しないからだ。
そもそも、自然災害であれ、コロナであれ、そういうときに閉店するのは、誰かの犠牲になるということでなければ、補償にはなじまない。一般的な経営支援策の枠内でするべきだ。時間短縮で客が減った飲食店と、そこに納品する食材を扱う食材店と違いはないはずだからだ。
一方、後段の「コロナ対応を拒否した病院名も公表すべきだ」は大賛成。
初詣の参拝者数は、地方は激減し、東京などはあまり減らず。帰省することをやめて代わりに初詣に行った人が多いと言うだけのことでは無いのか? 年末年始いつもの通り休みたい医師会と野党系マスコミが思いつきでGoToキャンペーンが原因だと騒いだが、彼らはどうして初詣を叩かないのか。
帰省だって、その前後はできるだけ感染しないように気をつけて、帰省先では家にじっとしていたらそんな問題があるとは思えない。少なくとも、東京に住んでいる親と会うよりなんで危険なのか不明だ。
たとえば、正月に東京にいる片方の実家には行くのは止めろといわず、地方にいる片方の親には会うなと言うことの理不尽は容認できないと私は思う。