コロナワクチン予防接種の「任意」は本当か? --- 田中 奏歌

一般投稿

コロナワクチンの2回接種者の比率が国民の6割近くになってきた。そろそろ集団免疫もできつつあると思う。そうはいっても、まだ、ひと山どころかふた山・み山もあると思うので、ワクチン接種済みの人が増えることはまだまだコロナを抑制するには有効であると思う。

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3回目接種の話もあるが、希望する人への接種は終盤になり、残るは希望しない人の接種をいかに増やすかが一つの大きな課題になってきたようにみえる。

ワクチン接種は「任意」もしくは「選択制」であるという記事をよく見る。気になって調べてみたが、一部の弁護士の皆さんなどには申し訳ないが、素直に法律を読むとどうやらそうではないように見える。

※あらかじめ断っておくと、私は法律の専門家ではないうえ、一部の専門家の意見とは違うことも認識している。あくまで法律をみて感じた私見であり、解釈などに明らかな間違いなどがあれば、ご教示いただきたい。
※さらに、以下の文章は、体質など物理的にワクチン接種できない方への文章ではないことに留意いただきたい。これらの人には別の対応が必要と考えている。

予防接種法によればコロナワクチンは臨時接種として「努力義務」である、となっている。つまり「努力義務」であって「任意」ではないと解釈するがいかがであろうか。(インフルエンザのワクチン接種は努力義務ではないらしく、法律上の表現としてもコロナとインフルエンザの接種は違うことにもご注意いただきたい)

参院法制局のページ「法律の[窓]」によると、「努力義務規定とは、規定自体が理念的・抽象的であるなど強制になじまない場合、強制するまでの合意が得られない、時期尚早であるというような場合に努力義務規定が置かれる」とある。予防接種については理念的なことではないので、後者の強制するまでの合意が得られない、ということであろう。

さて、そこで・・・である。

確かに努力義務は義務とは違い強制力はないし、厚労省も「最終的には、あくまでも、ご本人が納得した上で接種をご判断いただくことになります」といってはいるが、強制ではないからといって「任意」もしくは「選択制」なのか、というとそうではなく、それでも「国民に対し努力は求めている」と理解するべきだと思うがどうだろうか。そう解釈しなければインフルエンザ予防接種との法律上の違いが見えない。

コロナワクチン接種に関しては、少数意見はあるものの、国として弊害より利益が大きいと判断して、ほぼ安全と認可された予防接種をインフルエンザワクチンより強く推進しているのである。

法の書きっぷりとしては「納得しない方に強制まではしたくないけど、国としてはやったほうがいいと判断しているので、努力だけはしてください」といったところではないだろうか。もう少しいうと、好き勝手に「嫌よ」は許されておらず、「努力はしたけど納得できない」ので接種しませんでした、でなければいけないということではないだろうか。

この点は大きな違いであろう。「任意」と言われれば深く考えずに打ちたくない人も、「罰則はないけど努力義務」といわれれば、そこまで大事なことなら打とう、となる人も多いのではないだろうか。

それでも打ちたくないという人にもう少しいうと「厳密には努力したことを説明できるくらいでないと」くらい言っておいてもいいのではないだろうか。

法律には詳しくないが、接種を受けなかったらといってそれを理由に民事で損害賠償を受けるとか、行政処分を受けるとかの法的制裁を受けることはほぼないだろう。しかし努力義務の違反行為の度合いが過ぎれば訴訟その他不利益を被ることはありうるのではないかと思っている。この点は努力義務という法律用語は任意とは違うものであり、言い換えてはいけないように思う。

例えば、ほとんどのメディアがなぜか報道しないが、5月にクラスターが発生し入院患者17名が死亡した沖縄の病院で、医療機関にもかかわらず接種を希望しなかった十数名の看護師のうち12名がクラスター発生時にコロナ陽性者であった事実をみると、この件は予防接種法ではなく感染症法の感染予防・蔓延予防努力義務の話ではあるが、努力義務に対して厳格な法の適用が求められてしかるべきであると思う。

予防接種を受けない医学生や看護学生の実習拒否や医療従事者の直接の医療行為の禁止は当然だと思う。厚労省から、医療従事者や医学生にワクチン接種拒否を理由とした不利益を与えてはいけない、という事務連絡が発出されているようだが、ここは誤解を生むので法律を優先し修正すべきであろう。消毒液が苦手だからといって手を消毒しない医者の手術は受けたくない、とは思いませんか(熟慮の結果接種しないと判断する「権利」はあっても、その権利を行使したことによって患者と接するような医療行為をする「能力」をなくしたと考えるべきである、配置転換などできる限りの配慮は必要だが、自由は両立しないこともありうるのである)。

不用意な適用は厳に慎むべきで厳格にチェックされるべきだが、誤解を恐れずに言うなら、一般の企業でも、医療に関する業種や配置転換の可能性が考えられないケースなどでは、状況によっては接種拒否が労働契約更新や所属先等に不利になったりすることも、「自分の意志で接種拒否したものに対しては」認めるべきであろう。

公共の福祉を判断基準にすれば、通例としては一般の人には大きな不利益は少ないとは思うものの、これくらい努力義務と任意とは違いがあるのでは、ということを述べたつもりである。

もちろん、法律に「努力」の明示規定などはないわけで、一般の方に強制せよと言っているわけでもない。医療従事者やそれに準じる方は別だが、要は、国民が正確に判断するために「任意」という不正確な言換えはせず、国は国民に「努力」を求めていることが伝わるように広報することが大事なのではないか。

「任意」だという報道やそれに迎合した政治家に「そうではないです、努力の義務はあります、法律の意図をしっかり考えて判断してください」ときちんと言わないといけないのではないだろうか。

この考え方を周知できれば、ワクチンを接種しないことに対しては積極的な個人の責任ある判断が求められていることが伝わり、報道などで流されてしまっている方のワクチンの接種希望も少しは増えるだろうし、自分の確固たる意志で接種しない人に対しての「ワクチン非接種者の入店拒否は人権侵害」というような話に違和感を持つ人は増えるのではないだろうか。飲食店や観光業界だけに不利益を背負わせてはならない時期に来ているのでは、と思う次第である。

※誤解がないように再度記載させていただくが、上記の意見は、体質など物理的にワクチン接種できない方への文章ではないことに留意いただきたい、これらの人にはできる限り不利益を減らすような別の対応が必要と考えている。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て2021年4月より隠居生活。