実業家として活躍され、世界の経済界に通じられている松本徹三氏がSF小説を書かれたことは、やはりどうしても読者に伝えたいテーマがあったからだろう。異星人の地軸大変動という計画を詳細に、そして専門的にも論理的に説明しながら、地球が直面している未曾有の危機に立ち向かう人類の姿が冷静に描写されている。
松本氏には「AIが神になる日」という著書があるが、AIの近未来を睨みながら、人類が直面する世界を、今回はSFという枠組みで展開されたのだろう。その試みは成功している。ただ、事例が事例だけに、その説明に多くの頁が費やされ、登場人物の心情的な関りなどの展開については少々急ぎすぎ、といった感があるが、仕方がなかったのかもしれない(異星人の3性生殖は非常にユニークな視点だ。カトリック教義のトリ二ティ=三位一体を想起させる)。
奇妙なことだが、400頁余りの同著には悪人が1人も登場しない。困惑し、疑惑に陥る人物が出てきても、根っからの悪人はいないのだ。悪者がいて、それをやっつけるといった筋展開ではないのだ。地球の地軸変動を予告する異星人も純粋理性を思わせるような存在であり、地球人に対して敵意はまったくない。人類史上、最悪の事態となった状況の中、登場人物は等しく優しく、協調的であり、最終的には結束する。1人ぐらい悪者が登場してもいいと思うのだが、悪意を最後まで持ち続ける人物はいない。
ロシア、中国の指導者もそうだ。世界の政治で対立している大国の指導者、そして宗教界ですら、“地球の地軸大変動”という事態の前に、最終的には結束して、最善の解決策を見つけるめに腐心する。それ以外の選択肢がないからだ。著者は、従来の善、悪、黒白と言った二元論の世界では危機に対応できないことを示唆している。同時に、「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや」といった親鸞の世界にも通じるものを感じさせる。
思想的な相違や国益の対立で機能しなかった国連が地軸大変動に直面し、必死に解決を模索し出す。例えば、地軸の大変動で熱帯地域から極寒帯地になるアフリカ大陸の人々を救うために世界の指導者たちは英知を結集して、地軸の変動が開始する前にアフリカ国民を安全な地域に移住させようと史上最大規模の移住計画が立てられる。アフリカは多くの犠牲を払いながらも、アフリカ連邦共和国として存続していく。
米国務省のスタッフのスーザンは、再会した友人の日本人ジャーナリストの俊雄から、「どうして弁護士業を止めて国務省で働くようになったのか」と聞かれた時、「世界のことが心配になったから」と答えている。松本氏もひょっとしたら同じ思いから、押し出されるようにしてSF小説を書かれ出したのではないか。スーザンと著者が重なる場面だ。
松本氏がSF小説で表現したかったテーマはズバリ、石橋首相の国連演説の中に凝縮されているのを感じる。当方の一方的な推測だが、この内容を書きたいために、松本氏はSF小説に挑戦されたのではないか。石橋首相は、「世界は地球存続の危機をいかに克服すべきか」を真摯に語りかけている。その演説内容は松本氏の考え、哲学ではないか。その演説部分の一部を紹介する。
「世界中のすべての人たちが、強い立場にいる人たちも、弱い立場にいる人たちも、皆が等しく、『自分たちは人類の一員であって、それ以外の何者でもない』ことを、そして、『この世界の全ての人たちは自分たちの同胞であって、それ以外の何者でもない』ことを、強く心に刻み、同じ人類に属する他の人たちが、自分たちの近くで苦しみ、死んでしまうかもしれないのを、決して見過ごさなければ、我々は、人類の一員である自分たちを、いつまでもきっと誇りに思うことができるでしょう」(311頁)。
松本氏は1939年東京生まれ。京都大学法学部卒後、伊藤忠商事(米国会社エレクトロニクス部長、東京本社通信事業部長等)、米クアルコム(米国会社上級副社長、日本法人会長)、ソフトバンクモバイル(取締役副社長)での勤務を含め、60年近く実業の世界で過ごされてきた。その体験、経験を踏まえて同氏はSF小説を書き、地球が対峙している様々な危機に対して、読者に語りかけている。“実業界出身の現代の伝道師”ともいえる。
英グラスゴーで国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が今月12日までの日程で開催中だ。地球の温暖化対策のために世界から政治指導者、環境専門家などが結集して対策を協議している。2019年秋からは中国武漢発の新型コロナウイルスの感染が広がり、パンデミックとなり、500万人以上の人がこれまで亡くなっている。松本氏の新著は非常にタイムリーだ。
ところで、グラスゴーで開催中のCOP26では「ネットゼロ(温室効果ガス排出量実質ゼロ)」を達成するために話し合いが行われているが、関係国の利害の相違もあって容易ではない。スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさんは「COP26は失敗した」と既に審判している。一方、500万人を超える死者を出した新型コロナウイルスの感染対策でも同様だ。そのウイルス起源調査は感染発生2年が過ぎた今日も、中国の抵抗にあってほとんど進展していない。すなわち、地球温暖化、ウイルス感染対策といった地球レベルの問題について、21世紀のわれわれは連帯し、結束して解決策を見いだせず、国家、民族といった従来のしらがみを越えることが出来ないでいる。
本を読み終えて、少し心配になってきた。異星人の襲撃を恐れているのではない。21世紀の世界の現状についてだ。本の中でスーザンの夫ポールは、「バンスル(異星人)という奴が、たまたま我々のところに漂着してくれたおかげで、だいぶ賢くなったのは事実だ。彼にはお礼を言わなくちゃ」と語り、「バンスルは人類にとってはむしろ救いの神だったんだよ」と述べている。これは正直な告白だが、同時に、地軸大変動という大異変が生じない限り、世界は結束し、連帯することが出来ないことを認めたことにもなる。
それゆえに、と言ってはおかしいが、「2022年地軸大変動」の著者松本氏には今後も警告を発し続けていただきたい。
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編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。