嫌われる中年がやりがちなのは「説教、昔話、自慢話」

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

タレントの高田純次氏は「歳をとってやってはいけないのは、説教と昔話と自慢話」といっている。この言葉は的を射ていると感じる。SNSではこの発言について大きな反響があり、「自分も気をつけよう」といった自身への戒めのような投稿が見られた。

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なぜこの手の話題が嫌われてしまい、なぜ中年世代はやってしまいがちなのか? 原因や対策などを言語化することに挑戦したい。

なぜこのテーマは嫌われてしまうのか?

そもそも、中年がこの話題を出すことでなぜ嫌われてしまうのか?

まずは説教だ。人は皆、自分を認めてもらいたいと思っている。それは自分より年下の人を見るとつい説教をしてしまう側も同じで、この問題行動の根っこには「説教」という行為を自己顕示欲を満たす手段にしているという稚拙な心理の構造が透けて見える。説教というのは相手の行動を「やるべきでない」と否定し、こうするべきだと持論を押し付ける行為である。つまり、相手が求める願望の逆をいくので、当然嫌われてしまうというシンプルなロジックだ。このようなことをするメリットは皆無だろう。

次に昔話である。若い人の立場からすると、年上の人の昔話ほどつまらないものはないだろう。なぜなら共感できるポイントが存在しないからだ。筆者は若い頃、年上ばかりいる職場で派遣社員として働いていた経験がある。その時期、仕事の話をしている途中で頻繁に上の世代同士でのみわかりあえる昔話が差し込まれ「懐かしいよなあ」などと言い合っている場に身をおいたことがある。これをされるととにかく反応に困る。こちらの反応が薄ければ「ちゃんと話を聞いているのか」「ノリが悪い」など言われてしまう。しかし、内容は理解できないし、何が面白いのかも分からない。おじさんの昔話に興味があるのは、おじさんだけである。

最後に自慢話だ。これは中年に限った話ではない。世の中、蓼食う虫も好き好きであり自慢話が好きな人はいるにはいるが、例外的な位置づけと言って差し支えないだろう。相手から積極的に嫌われたいと願望を持っている場合を除いてやるべきではない。特に昔話の中で自慢話が入ることで、ますます対応が難しくなる。俗に言う「武勇伝」である。これをやるとその瞬間に人は離れていく。

なぜ中年は昔話や自慢話をしてしまうのか?

この三大話題は嫌われる中年がやりがちだということは分かった。だが、問題はここからだ。普通に生きていれば、必然的に若い人にできる話題が、まさにこの嫌われがちな三大テーマになってしまうという点である。「普通に生きる」とは、真面目に会社に勤めて働き、これといった散財や贅沢をせず質素に生きているという意味である。

長く会社に勤めていれば、仕事にも慣れ、新人の頃に犯していたミスもしなくなる。結果として、同じ会社に勤めることで同僚からの信用も得ることができるだろう。しかし、そこには大きな変化や挑戦がない。毎日同じ会社に勤め、同じ同僚や取引先と同じ仕事をしていれば、その仕事は洗練されてもやっている仕事のスコープ外のことはまったく分からなくなってしまう。だが世の中は絶えず動き続けており、テクノロジーはドンドン進化していく。そのような人が自分より若い世代にできる話が、自分のスコープ内の世界かつ、話している自分が気持ちよくなれる件の話題になりがちだということだ。

つまり意識しなければ、多くの中年は気づかずに嫌われる話題をしてしまう。だからこそ、意識的に気をつける必要があるのだ。

疎まれない中年になるための2つの方法

筆者が思うに、疎まれない中年にならないためには「勉強をやめない」「市場からフィードバックを得る」という2つがその処方箋になると思っている。

1つ目の勉強を止めない、というのは常に新しき技術や知識をインプットし続けるということだ。中高年のビジネスマンと国際経済の話題になると未だに「日本はモノづくり大国で頑張るべき」とか「中国や韓国は日本より遥かに格下の国家」といった、まるで現代が1990年始めかと思うような時代錯誤なことを、堂々と言うビジネスマンがいる。過去30年間、日本国内は大きな成長はなかったが、海の向こう側は大きく変化した。たとえば中国のGDPについていえば、過去30年間で37倍になるという大きな変化が起きている(同国が発表するGDP統計値の信頼性については別の議論が必要だが)。

だが、勉強を続けてアップトゥデイトな知識や技術を得ることができている限りにおいては、若い世代に自慢話ではなく、現代に合う有益なアドバイスをする力を持ち続ける事ができるだろう。ただし、アドバイスは相手から求められない限り、こちらから積極的にすべきではない。

もう1つの市場からのフィードバックを得るという点についてだ。これは言うは易く行うは難しで、多くの中高年が得ることが出来ていない。客観性を持って自分の振る舞いを冷静に評価する、というのはとても難しいことだ。それ故にフィードバックを外部から得る仕組みを持つことが肝要なのである。

中高年以降に、仕事で役職がつけば、年下の部下は飲み会の場で笑顔で話を聞いてくれるだろう。しかし、その胸中は「つまらない」「早く終わらないかな」と思われていることは往々にしてある。その理由は自分のする話の中身に有益性がなかったり、話し方が自慢話のようになっているからだ。こうした自分では気づきにくい痛い行為を、第三者から教えてもらうのが良いだろう。

市場からのフィードバックの例としては、自分の意見をマーケットに発信することだ。筆者はビジネス記事を書いたり、YouTube動画で英語を教える立場を取っている。意見を出しっぱなしではなく、発信した内容に対する市場の反応は気にするようにしている。ポジティブな反応や「参考になりました!」という感想を送ってもらえたり、アクセス数が大きかった場合は嬉しくなると同時に、自分の方向性の正しさを再確認することになる。だがその逆に、反応が悪かった場合は「自分は何かしら過ちを犯している。次善につなげるには分析をして改善につなげねば」と猛省するようにしている。

ビジネスマンの価値は自分ではなく、常に市場から評価されるものである。市場から支持が得られなければ、すなわちそれは自分がマーケットニーズからズレている証拠となる。その場合は、間違いを素直に認め、改善に努めることが肝要だ。市場からのフィードバックを取り入れるようにすることで、疎まれる人物になるのを回避できるだろう。

最後に…色々と論考したがもっとシンプルに言えば「相手へのリスペクト」さえ忘れなければ、どれだけ歳を重ねても疎まれる人物になどならないと思っている。年下の相手でも「相手は貴重な時間を割いてくれてありがたい。せっかくなら相手に喜んでもらえる場にしたい」という気持ちを忘れなければ、自慢話や昔話などはどう間違ってもならないはずなのだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。