日本的考察が求められる女性の社会進出

日経に「日本の女性学長なぜ少ない 津田塾大学の高橋学長に聞く『見えない男女意識』が影響」という記事があります。見えない男女意識が何を意味しているのか、どうも記事では明白ではなく、高橋学長は「在職者の男女比の差が『ワニの口』のように開いている現状が学長への昇格につながらず、女性学長が増えない一因といえる」と述べているので私にはよく見えている現実そのものではないか、という気がします。

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ジェンダー問題については過去に何度も触れてきたように私には確固とした考えがあります。日本における女性の社会進出は十分進んでいます。ただ、賃金や待遇面での男女格差については日本の独自性もあり、その部分だけにフォーカスして男女の差別と捉えるのはやや違和感を持っています。つまり、男女差についてその表現のし方が欧米と違うだけだ、と考えています。

例えば看護師、保育関係、介護、リテールの販売員は女性が圧倒的に多いし、学校の先生も昔から女性が大いに活躍しています。つまり強い専門性をベースに自分のスキルを活かす女性は極めて多いのです。資格所有に強い興味を持つのも女性で日本を含むアジアの特性とも言えます。

一方、欧米で発表されるジェンダーフリー指数は欧米の目線で採点されるようになっています。会社のトップの数や閣僚の人数といった評定の仕方です。これが日本のそもそもの女性社会進出の形態と全然かみ合っていないのです。

学長、社長、閣僚ないし総理大臣などいわゆるトップのポジションは誰がどうやって得るのか、極論を述べればフェアシェアの論理と同じだと考えています。つまり、ここに10人いる候補の中からトップ一人を決めます、というときその候補の中に男性が8人、女性が2人だとして、能力の男女差がなければば男性がトップになる確率は8割です。

大学にも女性の先生は多いでしょう。しかし、准教授になれても教授になる人は少なく、副学長、学長になる人はもっと少ないのは上に上がるには専門性だけではなくマネージメント能力も求められるからでこれをそもそも勝ち取りたいという女性が少ないという背景はあるでしょう。自分の専門分野の研究に没頭したいというパタンです。

私はカナダに30年もいるので女性の能力の高さ、ビジネス上の女性のカウンターパートはごく当たり前です。こう言っては何ですが、女性の方がむしろ仕事の質はしっかりしています。それは女性は比較的情報量も多く、専門能力を継続的にしっかり築いており、業務評価で女性が勝ち抜いているからでしょう。つまり、欧米では男性の仕事は結構オタク系に特化することも多く、女性の方が全体をうまくまとめる能力を持っていることもあり、そのような職種(例えばaccount repなど)についています。

ところが日本はこれが真逆なのです。女性の方が専門性の高い特化した仕事をして、男性がオールラウンダーの業務をします。この社会システムを変えるには時間を要します。潜在能力を考えると本社や事務所業務は男女比率が3:7で女性が多いぐらいでいいのです。日本で男女平等が本格的にスタートしたのは1986年の雇用機会均等の法律施行です。しかし、法律が出来て30年以上もたつのに意識はゆっくりとしか変わりません。

今になってようやく「女子の嫁入り教育」と揶揄された短大が減少し、高専が注目されています。女性が結婚や出産を理由にキャリア構築の停止をしなければ上述の10人の候補はいつかは男女比が5人対5人になります。ただし、まだ相当、時間を要するでしょう。

社会風潮は何が何でも女性の管理職や役員を増やすという風潮が見えるのですが、候補者というコマが足りないところで無理に男女比だけにこだわってもそれはむしろ組織を弱体化させる結果となります。つまり体裁だけでは意味がないのです。

別に社長でも学長でも女性は十分になれます。但し、そこまでよじ登ってくる候補者がまだ育っていない、それだけの話です。日本から女性のノーベル賞受賞者が出ないのはなぜか、といえば育っていないからなのです。儒教的思想が強かった日本が本格的に変わろうとし始めたのはせいぜい50年前です。それなのに流行りのSDGsを持ち出して比率論をされてもそれは無理難題だと思うのです。

少しずつ確実に増えてくるであろう女性の各分野のトップが次の女性候補者たちを激励し、また女性の社会進出に対する意識改革を更に進める、これしかありません。それには男性以上に賢くなってほしいのです。それとバランス感覚と数的(=デジタル的)判断力の強化です。デジタル的判断力とは女性にやや強めに出るとされる「感性、感情によるふらつき」で判断がブレるのを徹底的に排除し、男性以上に論理的思考の積み上げで論破できるような取り組みをすることでしょう。

但し、日本人の特性も考える必要があります。日本人女性が欧米の女性のように強く逞しくなれるか、といえば私は本質的な点でそもそも違うのだろうと思います。あたかも血液型やDNAの特性が欧米と日本で違うのと同じです。

私は学長や社長や政治家の数で男女の社会進出を測ること自体が無意味であり、社会への参画の仕方は各国の特徴があればよいと思っています。その点からすれば日本の女性の社会進出は世界の中でもかなり進んでいる方だとする日本的見解もまた訴えていく必要はあるのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年2月20日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。