「核」の議論を提起していた中川昭一元財務大臣が猛烈な非難を浴びていた現象は、多くの方の記憶に残っているだろう。
ソ連崩壊後は特に、日本国内における核に関する議論は、メディアと一部野党によって「封止」されてきた。しかしロシアのウクライナ侵略という現実によって、核抑止議論を掣肘してきた 「憲法9条による抑止」といった「空論」の無力さが容赦なく暴露された。
すると今度は一部ではあるが「核共有の是非を議論すべき」という逆方向への振り子の揺り戻し現象が起きている。日本らしい「ゼロイチ思考」的反応ではあるが極端に振れ過ぎである。
このテーマは重要なので有意義な議論が展開されることを願うが、例によって先行きは怪しい。それはなぜか。一つの要因としては、議論の出発点となった安倍晋三元総理の発言真意を、誤解あるいは藁人形化したうえで自説を展開するマスメディア、あるいは政治家や論者があまりに多いことが挙げられる。その背景にあるのは願望に基づいた「認知のゆがみ」と、最新の核抑止に対する具体的な知識の欠如である。
本稿では、上記2つのうちの前段である認知のゆがみを検証したい。具体的には、建設的な輿論形成に重要な「座標原点」の確認を目的として、安倍元総理の発言内容を精査して行く。
最初に結論を述べるならば、安倍元総理が議論すべきと言ったのは、国際秩序と核抑止力を中心とした「世界の安全がどう守られているか」と「日本の国民の命、国をどうやれば守れるか」という2つの論点である。「核共有」はその一部に過ぎず説明の一環として言及したに過ぎない。決して「核共有」やその使用を肯定する議論を求めたのではない。
発端となった『日曜報道THE PRIME』
ロシアの侵略開始から3日後の2月27日、安倍晋三元総理は『日曜報道THE PRIME』(フジテレビ、地上波)に出演し、核抑止に関する包括的な議論を提案した。時代の変化を捉えて時宜を得た提案であり、日本にとって重要な意義をもっていた。(要旨は本稿の最後に掲載)
「核共有の議論必要」で安倍氏と橋下氏が一致 (fnn.jp)
これは「核兵器の公な議論は禁忌」という日本のタブーを打ち破った。新聞やテレビなどのマスメディアに加え、インターネット上でも話題となった。結局この発言が嚆矢となって、「議論すべき」という世論が「議論すべきでない」という一部(メディアや政治家、専門家)の主張を圧倒しているようである。
しかし、従来通り、安倍元総理の言葉は歪められ、真意がねじ曲がった形で伝播してしまっている。今回の「核抑止と国防」というテーマは、日本の安全保障を担う最重要テーマであるだけに、現在の歪曲された取り扱いは見過ごせない。
安倍元総理が提案した議題
安倍元総理が「議論すべきだ」といったそのテーマの骨格は、次の通りである。
- 『世界はどのように安全が守られているか、という現実』
- 『様々な選択肢を視野に入れながら、日本の国民の命、国をどうやれば守れるか』
つまり、具体的に「“核共有”や“核シェアリング”を議論すべきだ」とは言っていない。実際にそう言っているのは橋下徹氏である。安倍元総理はそれを肯定も否定もしていない。
それにもかかわらず、文脈から、あたかも“安倍元総理が発した言葉”かのように拡大解釈して、読者に誤解させるような不正確な表現で報じていたのが実態である。
しかし、筆者の言っていることを「揚げ足取り」「御飯論法」と感じる読者も少なくないだろう。そこで補足のために図1を添付する。
安倍元総理が議論せよといったのは黒い実線で囲まれた『「世界」の安全を守る仕組み』と青い実線で囲まれた『日米同盟を基軸とした拡大抑止(いわゆる「核の傘」)』についてであって、NATO加盟国のうち非核兵器国が採用する「(NATO型)核共有」ではない。
「核共有」は重要ではあるが「世界を守る仕組み」の一要素に過ぎず、安倍元総理が「核共有」という言葉を口にしたのは、教訓をくみ取ることを目的として「ウクライナがロシアから侵略されることを抑止できなかったことの原因」を簡明に説明するためであった。(この文脈の流れは末尾記載の番組要旨から確認可能。)
筆者自身で番組の文字起こしをして精読した結果、安倍元総理が求める議論の要旨とは、次の通りと考える。ただし、筆者自身の読解力には限界があるため「100%正しい」とも思わない。正しい趣旨は27日当日の安倍元総理のみ知ることである。
安倍元総理が提起した議論の要旨:
ロシアが力による現状変更を試みており、「世界の安全を守る仕組み」を点検せざるを得ない。つまり、前提条件が変わったので、「国連安保理・NPT・米国による拡大抑止・NATO諸国の核共有」など、世界秩序の具体的な仕組みを正しく認識して、変化にどう対応すべきか議論すべきである
数学の問題に例えれば「関数や入力諸元、定義域が変わったので、対応した新たな解を求めよ」ということであろう。
伝言ゲームと藁人形作りに余念がないメディアと一部論者
しかし、マスメディアは安倍元総理の発言を読みたいように読みとり、真意からは乖離した内容で報道している。特に見出しの歪曲ぶりは酷い。また、一部の論者や与野党の政治家はそれらの拡大解釈報道を鵜呑みにし、“事実”として踏まえて発言している。残念である。
新聞の報じ方として例えば東京新聞では、
安倍氏、米との「核共有」議論を ロシア侵攻で「タブーなしに」(これは見出し※引用者注)
2022年2月27日 17時23分 (共同通信)
自民党の安倍晋三元首相は27日のフジテレビ番組で、北大西洋条約機構(NATO)加盟国の一部が採用している、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有」政策について日本でも議論すべきだとの考えを示した。ロシアのウクライナ侵攻を踏まえ「世界の安全がどのように守られているのか。現実の議論をタブー視してはならない」と述べた。(東京新聞より引用、太字は引用者)
安倍氏、米との「核共有」議論を ロシア侵攻で「タブーなしに」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
同じ事象についてNHKは、
安倍元首相 “同盟国で「核共有」 タブー視せず議論を(これは見出し※引用者注)
2022年2月27日 19時24分
ウクライナ情勢を踏まえた今後の安全保障政策をめぐり、自民党の安倍元総理大臣は、アメリカの核兵器を同盟国で共有して運用する政策について、日本でもタブー視せずに議論すべきだという考えを示しました。(NHKニュースより引用、太字は引用者)
ここで例示したNHKに至っては、誤報といっても過言ではない乖離を感じる。
またデイリースポーツが報じたところによれば、ある特徴的な傾向が際立つ地上波テレビ番組の「サンデーモーニング」(筆者は当該番組を見ない)に至っては、出演者の一人が「『核共有』ということを安倍元首相が言い出した」とまで発言したという。報道が事実であれば典型的なストローマン論法であろう。
田中氏は続いて「『核共有』ということを安倍元首相が言い出したことに驚いたんです」とコメント。「自民党の中には、核共有、核の使用ということを許容する考え方があるんじゃないかと思いました」と推測した。(デイリースポーツ3月20日記事より引用)
丁寧なインタビューで真意を伝えたのは産経新聞
いつものことではあるが、マスメディアの歪曲は度を越していた。結局、当事者である安倍元総理が産経新聞インタビューに答え、3月25日にその真意をまっすぐに伝え直すこととなった。
ロシアによるウクライナ侵攻について、安倍氏は改めて「日本にとって決してひとごとではない」と述べ、今回の事態から日本が学ぶべき「教訓」として集団的自衛権の重要性を指摘した。「ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だったらロシアに侵略されることはなかった。同盟国以外はともに戦う国は存在しない」と強調した。
ロシアの侵攻にウクライナが徹底抗戦している現状や、ドイツが露軍のウクライナ侵攻後に国防費を大幅に増額したことを踏まえ「自分の国は自国の努力で守ることが基本だ」と述べた上で、敵の基地を攻撃する「打撃力」を自前で持つ必要があると訴えた。先の衆院選で自民党が公約に掲げた防衛費の「国内総生産(GDP)比2%以上」の増額幅は「当然だ」と語り、「国の防衛に努力しない国のために一緒に戦う国はない」とも述べた。
結び:有意義な議論のために、脅威の認識と知識の更新が必要
核抑止や米国の拡大抑止という極めて重要なテーマにもかかわらず、多くのマスメディアの取り扱い姿勢は皮相的である。今回ロシアによる侵略が世界に投げつけた問題は数多く、とりわけ次の五点は深刻である。
- 武力を背景とした威嚇(恫喝)または行使による侵略をどうやって抑止するか
- 「国連安保理の常任理事国が(侵略)当事者であった場合は、国連は機能しない(安倍氏)」
- 自縄自縛状態で反撃を米国任せにする日本に対し、日米同盟の拡大抑止は本当に機能するのか
- 「核の恫喝」を突き付けて、覚悟を決めて核戦争のエスカレーションラダーを上る秩序破壊国に対して、核兵器の使用を防ぎつつ主導権を取り戻す決定的な手立てはあるのか
- 核兵器を使用された場合、どうやって世界を回復させるのか
例えばあくまでも思考実験として、「中国が核の使用を仄めかしつつ台湾や沖縄に武力侵攻を開始した場合、米国は台湾関係法に基づいて中国との全面戦争のリスクを本当にとるのか。ブダペスト覚書のように機能しないことはないのか」という問いを立てた場合、いかなる解を見出せるのだろうか。
日本において、この事態の深刻さを理解しているのは一部の専門家と政治家だけのように見える。マスメディアで声の大きいコメンテーター等が論点のずれた主張で世論を刺激しているが、全く問題の核心に到達しておらず、むしろ議論を核心から遠ざけてしまう点で害悪でさえある。核の問題について忘れていて良い時代は終わったのである。
自戒も込めて、日本国民の多くはまず、事態の深刻さと、世界の安全を守る仕組みに対する知識の更新が大切だ。
結局、安倍元総理が言う通りではないか。
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【補足:日曜報道 THE PRIME 2022年2月27日放送回の核に関する部分の記録】
文脈に沿って当該部分を要約すると以下の通り。(話し言葉は読みやすく整えた。また、切れ目なく流れて行く話の主題ごとに、筆者が小見出しをつけパラグラフ化した。)
<露による侵略から得る教訓>
MC:敵基地攻撃能力については、どう考えているか?
安倍元総理:今度の出来事(:露による侵略)で教訓を得なければいけない。
- 国連の安保理の常任理事国が当事者であった場合は、国連は機能しない。
- 「自分の国を自分で守る」という決意と防衛力の強化を常にしなければならない。
- 同盟国との関係を強化していくことが決定的に重要である。
ウクライナは米国との同盟国ではないので米国は同盟義務を負っていない。NATOとの関係においてもそう。一方日米は同盟国であり、米国は安保条約の5条によって共同防衛義務を負う。
<日本の防衛は万全か>
安倍:今、日本は攻撃を受けた際、反撃・打撃力を全てアメリカに頼っているが大丈夫か?
例えば、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んだ場合、第二撃第三撃を阻止するためにアメリカは三沢基地からF16が爆弾を積んで攻撃に行く。米が「日本も一緒に行こう」といったとき(日本が)「行けない」と言えば(米国は)「やられたのは日本ではないのか?なぜ、アメリカの若者だけがリスクを負うのか?」となる。これでは同盟は危機に瀕する。
だからこそ日本も打撃力を持つべきであろう。米国との関係において、本格的な打撃力の行使はもちろん米国がやるが、日本も一緒にやらなければ、それはなかなか実現しないだろう。
<核抑止の問題>
橋下徹氏:中距離ミサイルをアメリカと共同的に日本に置いて行く、更に言えば日本が「核保有する」というのは難しい。しかし非核三原則で、「持ち込ませず」のところは、これは「アメリカと共同で」ということも議論をして行く(べきである)。
この話をすると、一部メディアから思いっ切り叩かれるが、日本の防衛において「全部そういうものは持たない」で行くのか、「核を考えていく」で行くのか、次の参議院選挙で争点にしてもらいたい。
安倍:二点。
- 「敵基地攻撃」という言葉の問題。(攻撃対象は)「基地」ではなく、「軍事中枢自体」、「軍事を司るインフラ」である。そして先制攻撃は国際法違反だからしない。「攻撃」ではなく「反撃」。
- 「核」の問題。NATOにおいても、例えばドイツやベルギーやオランダ、イタリアも、「核シェアリング」をしている。「自国にアメリカの核を置いてそれを落としに行くのは夫々の国が行う」という「Dual Key System」である。おそらく多くの日本の皆さんもご存知ないのだろう。日本はもちろん、NPTの加盟国でもあり、非核三原則があるが、この「世界はどのように安全が守られているか」という現実について議論して行くことを、これをタブー視してはならない。かつて中川昭一さんが「議論すべきだ」と言ったら物凄いバッシングを浴びて(MC「ありましたね」)議論そのものが委縮してできない状況にあるが、議論は行って行くべきだろうと思う。
<抑止に資する「反撃力としての中距離ミサイル」>
MC:中距離ミサイルの配備については如何ですか?
安倍:「中距離ミサイルの配備」
予算で、「12式(ヒトニイシキ)」、射程が約千キロに近い空対艦ミサイルの開発がスタートしている。これは国産。安倍政権時代にスタンドオフミサイルという相当射程の長いミサイルを発射するものができるようになった。(地対艦の)12式を飛行機に積んだり(空中発射巡航ミサイル、ALCM:Air Launch Cruise Missile)、あるいは潜水艦から発射(SLCM:Submarine-Launched Cruise Missile)したりできるようになれば、防衛力を相当強化することにつながって行く。我々は、実際打撃力を物理的には持ちつつある。
橋下:「核シェアリング」もこれから日本で議論して行くべき。そのNATOは現実核シェアリングをしているからロシアも簡単には手を出せない。核は絶対使ってはならないが、そういうものもしっかり議論するってことはこれから必要だ。
安倍:かつてウクライナは世界第三位の核保有国だった。そしてブタペスト覚書によってそれを放棄する。その代わり、ロシアと米国とイギリスが「安全を保障する」と、「国境や独立を守る」と言ったが、それは反故されてしまっている。だから、「もしあの時に一部戦術核を残して彼らが活用できるようになっていればどうだったか」、という議論も今行われている。
そういう意味において冷静な議論は行う。ただもちろん、被爆国として、「核を廃絶する」という目標は、掲げなきゃいけないし、それに向かって進んで行くことは大切だが、現実に「日本の国民の命、国をどうやれば守れるか」、ということについては、様々な選択肢をしっかりと視野に入れながら議論すべきだろう。