ウクライナの犠牲を利用する「市民」運動と報道

沖野 大輔

ロシアによる侵略は南オセチアやアブハジア(2008年)、クリミア(2014年)などかなり以前から繰り返されていたのだが、我が国においては「紛争」と捉えられていたように思う。これらの行動がいわば領土の「切り取り」であったのに対し、今回はウクライナの北・南・東から大規模な攻撃が仕掛けられ、あまつさえ首都キーウの制圧をも企図していた点で明らかに「戦争」と呼ぶべきレベルに達している。

これに対し、ロンドン・パリ・ニューヨークといった欧米各都市で、また我が国でも東京・名古屋・札幌といった大都市や、被爆地広島などで抗議デモが行なわれた。

2月27日、TSSテレビ新広島が「ヒロシマから戦争反対の声を ウクライナ危機で抗議活動」と題するニュースをネット配信した。このなかでインタビューに答えた参加者は「アメリカやNATOが軍事介入したらプーチン大統領は核を使いかねないので、広島が核を使ったらどうなるかを必死になって訴えて、戦争を止めるしかない」と述べている。「核戦争防止のため、アメリカとNATOの軍事行動反対」ということだが、いったいウクライナはどうなってしまうのだろうか。

同じ抗議活動を取材した広島ホームテレビの報道では「この侵略行為を断じて許すことはできないし これ以上ウクライナの人たちを殺すな!」という参加者の声も拾っているので、ロシアの侵略をも批判しているのは確かだが、問題はその主催者である。

さきのインタビューに答えていたのは「8・6ヒロシマ大行動実行委員会共同代表」なる人物、同じニュースに名前が出ている人物はかつて「広島連帯ユニオン青年部長」を務めていた。どちらも中核派の機関紙『前進』に取り上げられている活動家である。

VPanteon/iStock

要するに、テレビ新広島や広島ホームテレビは中核派の集会を「広島市民の反戦の声」として取り上げたのだ。「市民」の「反戦」運動でさえあれば、背景を考慮せず無批判に取り上げる報道姿勢が問われて然るべきである。

ちなみにロシア・ウクライナ戦争に対する中核派の認識はこうである。こうした言説が結果的にロシアを利するのは明らかだ。

ロシア・プーチンのみを非難するのではなく、アメリカ帝国主義とNATO、そして日本の岸田政権、こういう戦争している自国の政府を全員引きずり倒して、戦争のない社会を今こそつくる時だと思います

ロシアの反戦デモは、プーチン政権の許しがたい弾圧のもとで闘いぬかれています。ウクライナでも、新自由主義者のゼレンスキーと対決して、労働組合が闘っています

さて、ウクライナ国内の原発が攻撃されたことを受けて、3月21日には東京で「ウクライナに平和を! 原発に手をだすな! 市民アクション」という集会とデモ行進が行なわれた。登壇者は鎌田慧・落合恵子・澤地久枝・飯島慈明といった人々。この集会も東京新聞朝日新聞などで報道された。

AERA dot.によれば、落合女史は「(ロシアとウクライナそれぞれが主張するのはどれが)事実かわからない中で、今日本にいる私たちは『戦争をやめろ』としか言えない」「カーシェアリングのように核シェアリングを言い出す日本の元首相も現れた。ふざけるな、と怒鳴りたい」と訴えた。

独立国家に対し、ロシアが軍事侵攻したという事実は明白であるにも関わらず、双方の主張の細部に見られる不明確な点を拡大して「どっちもどっち」論に持ち込もうとする落合女史の意図が透けて見える。またロシアが核恫喝を行なっている以上、我が国の核政策があらためて議論されるのも当然である。

鎌田氏は3月8日付『東京新聞』で「プーチンは核兵器使用を脅しに使い、チェルノブイリやザポロジエ原発を制圧」「原発も核戦争の手段になる恐怖を証明した」と述べつつ「日本政府は防弾チョッキの供与を決めた。武器輸出準備のつもりか」と我が国に対する批判を忘れない。一時は共産党でさえ「反対しない」とした防弾チョッキ供与さえも「武器輸出準備」に見えるらしい。

この集会にはウクライナの人々も参加している。彼らはどんな想いでこの集会に参加しているのか。まさか「アベを許さない」だの「ウクライナに防弾チョッキを送るな」だのという気持ちではないだろう。侵略者ロシアの撤兵と、ひとりでも多くのウクライナ人が救われることを祈っているのではないのだろうか。

私自身もウクライナ支援デモへの参加を考えていた。百歩譲ってウクライナや欧米の行動に問題があったとしても、まずはロシアの撤兵が求められるのが当然であり、立場や思想の違いを超えて支援できるのではないかと甘い考えを抱いていたのである。

しかし活動家や「お馴染みの人々」の活動が「市民の声」として報道され、ウクライナの人々の苦難さえも彼らに利用されていることが明らかになった。人々の善意の活動に「プロ市民」がことごとく介入するようでは、一般市民の政治参加が阻害されるばかりではないか。実に暗澹たる思いである。

沖野 大輔
会社員、博士(政治学)。1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。一般企業勤務の傍ら50代で大学院に進学し、放送大学大学院で修士(学術)、国士舘大学大学院で博士(政治学)。政治と宗教との関係に関心を持つ。