女性社会進出と少子化のジレンマ

こども家庭庁の設置法案が衆議院を通過し、参議院での採択後今国会で通過する見込みと読売新聞が報じています。こども家庭庁は内閣府の管轄下に置かれます。これはいわゆる縦割り行政の弊害で、子供に関する行政が文科、厚労、警察など複数の省庁にまたがっているうえに、内閣府も少子化対策を直接しています。更に少子化担当大臣がいたりと誰が何をやっているかわからない状態でこれを多少は分かりやすくするのが目的とされます。

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こども家庭庁は少子化問題からこどもの貧困、虐待まで広範囲の問題を取り扱うとされます。これはこれで結構です。ただ、少子化担当大臣は2007年に初めて任命されて以降その成果がどれぐらいあったのか、数値化するのは難しいでしょう。担当大臣は15年間で21名にも上ります。これでは印刷した名刺が余ってしょうがないでしょうね。

一方、ひと月ほど前に21年度の日本の人口が64万人減ったという報道があり、イーロンマスク氏が「当たり前のことだけど、出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう」と述べたことがちょっとしたニュースにもなりました。

私はマスク氏がこの発言をした際に「彼にしてはずいぶん単細胞な発言をしたものだ」とやや驚きました。彼のこの考え方は完全に足し引きだけのストレートラインの発想ですが、彼は種の保存の法則や環境適応を無視しています。人類は地球が激変し存続しえない事態が生じない限り、形を変えながらも生き延びようとします。そして恣意的にしない限り、民族や人種での指向性は少ないはずです。

もちろん部分的な遺伝は月日がたてば変化がでます。例えば今回退任するアメリカのサキ報道官のような赤髪は劣性遺伝で長い目でみれば赤毛の人はどんどん少なるなるはずです。しかし、それは部分的な変化です。アメリカ人、特に女性が中年になると腰の部分が異様に肥満になるのも遺伝子が理由です。ところが隣国であるカナダにはあの体型の人は少ないのでアメリカ人に強く表れる傾向ではありますが、あくまでもそれはカラダの一部分の問題で生存を脅かすものではありません’。

本題に戻りましょう。日本で今の人口減少が続けば200年後にはなくなるとどこかで報じていましたが、それはありません。ただ、今日は科学的な話よりも社会的問題の観点から見たいと思います。

女性社会進出と少子化はなぜジレンマなのでしょうか?タッチーな問題ですので言葉を選ばねばならないのですが、女性の結婚観とはリアリストそのものではないか、と想像しています。結婚する時、自分の老後を瞬時に計算します。ロマンチックに「あなたと一緒なら四畳半の暮らしでも…」なんて言うのは現代では通用しません。そういう地に足がつかない恋愛はすぐに消滅です。

女性が期待する男性像、それは安定的に年収600万円程度を稼いでくれる人だともされます。この年収がどこから出てきたかわかりませんが、平均的な30歳前後の男性の稼ぎは400万円程度です。それより5割多い収入はサラリーマンの枠組みでは基本的に起こりえません。とすれば女性は成功している起業した人などを探すか、かなりの年齢差を覚悟するしかありません。これが日本では顕著に目立つ不倫要因の一つにもなりえます。私も読みましたが、三浦瑠麗と中野信子の対談書「不倫と正義」が話題になるのもわかります。

本来の日本女性の気持ちは男性に頼りたいのだと思っています。ところが男性からすれば結婚すれば半分持っていかれると考え始めます。これではそもそも一緒になる前提が違い過ぎるのです。私の見方はややユニークかもしれませんが、日本を含む東アジア全般では女性の物欲と消費欲が欧米の人に比べ非常に強く、経済発展と共に女性の消費意欲がより亢進し、男性がついていけなくなったのかな、と考えています。つまり、現代の少子化はモノとサービスの経済環境がもたらした可能性が高いかもしれません。

戦国時代、山内一豊という貧乏な武士がおり、その後、土佐の藩主となる立身出世の話があります。この一豊は嫁の千代との間に娘一人しかもうけられませんでした。側室が当たり前だった時代、それを否定した「夫婦の鏡」ですが、当時としては例外中の例外でした。なぜ側室が必要だったかと言えば家を継ぐことが最重要課題でした。ところが戦国時代(あるいは先の大戦前も同じ)では子供が何人死ぬかわからないのでとにかく生むしかなかったのです。当時、妻に子供が出来なければ妻がご主人様に側室をあてがう行為もあったとされますが、それを嫌がった豊臣秀吉の妻、寧々の話も有名ですね。

これは家族や家系をベースにした社会が形成されていたことがポイントであり、この4-50年で子供たちが親元を離れ小家族を作ったことも少子化の根本原因の一つでしょう。「サザエさん」のような家族構成が本質的には一番よい、だけど、今さらそこに戻れない、これが私の分析です。

一方、政府は女性の社会進出を後押しします。それは労働力不足を補い、女性の地位を上昇させる点では素晴らしいことですが、その弊害もありそうです。「パートナーに男性を要するか」と言えば「彼に半分持っていかれるなら私、結婚しない」になりかねないのです。つまり上述した男性が「嫁に半分持っていかれるなら結婚しない」のとまったく同じ発想が生まれるわけでこれでは将来、婚姻数が激減してしまいます。

これが私の言うジレンマです。さぁ、どうしますかね?この問題は現代社会の極めて大きな課題であり、容易には解けないと思います。価値観そのものを変えない限り、小手先の政策では無理だと私は思います。妙案はあるのでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年5月17日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。