「軽井沢バス事故の原因」についての再考察:事業用自動車事故を「運輸安全委員会」の対象にすべき

2016年1月、長野県軽井沢町で、スキー客の大学生らを乗せた大型バスが下り坂でカーブを曲がりきれず崖下に転落。乗員2人を含む15人が死亡、26人が重軽傷を負う事故が発生した。

長野地検は、事故から5年後の2021年1月に、バスの運行会社「イーエスピー」の社長と、運行管理者だった元社員の2人を業務上過失致死傷罪で在宅起訴し、長野地裁で公判審理が続いている。

軽井沢スキーバス事故 NHKより

検察側は、「大型バスの運転に不慣れで山道の走行経験も十分でない運転手が、速度超過でカーブを曲がりきれなかった」と事故原因をとらえ、それを前提に、運行管理者について「死亡したバス運転手が大型バスの運転を4年半以上していないことを知りつつ雇用し、その後も適切な訓練を怠った過失」、社長については「運転手の技量を把握しなかった過失」が事故につながったと主張している。

それに対して、被告・弁護側は、「死亡した運転手が技量不足だとは認識しておらず、事故を起こすような運転を予想できなかった」と無罪を主張している。

6月2日の公判では、死亡した運転手のT氏を運行会社に紹介した同僚のO氏が出廷し、証人尋問が行われた。

事故原因とされた「運転手の技量の未熟さ」について直接知り得る立場にあるO氏は、事故直後から、事故に関する発信を続けてきた。検察庁でも、多数回、取調べを受け供述調書もとられたようだが、検察官は、供述調書の証拠請求も、証人尋問請求も行っていない。今回、証人尋問を請求したのは弁護側だった。事件について重要人物が、ネットで供述を公開し、その後に証人尋問が行われるというのは、異例のことだ。その「異例の証人尋問」を直接見極めるため、長野地裁に赴き公判を傍聴した。

O氏は、弁護側からの質問に答えて、事故直前に、T氏が運転する大型バスに同乗した際の経験に基づいて「T運転手の運転技術が未熟ではなかったこと」を証言した。

検察官は、事故直後のブログの記載との矛盾などを指摘し、供述の信用性を争おうとしていたが、あまり効果を上げたようには思えなかった。むしろ、O氏のブログのことを公判廷に持ち出したことが今後の公判の展開に影響するように思えた。

公判は、次回以降、被告人質問、論告・弁論が行われ、最終盤を迎える。

警察は事故後1年半で在宅送致、事故から5年後にようやく起訴に至った。警察の事故原因では、「運転手はなぜフットブレーキを踏まなかったのか」という疑問があり、それについて「予見可能性」の立証が難しいことが検察の捜査長期化、処分遅延の理由だろう。

判決では、事故原因自体についての検察の主張を前提に、「予見可能性」の有無の判断だけで結論が決まる可能性が高い。有罪無罪いずれであっても、事故原因自体について裁判所が警察・検察の認定と異なった判断を示す可能性は低い。

事故発生以来の事故原因究明の経過を、報道で振り返り、問題点を指摘してみることとしたい。

事故発生以降の報道に見る事故原因の特定の経過

この事故による死者は15人、そのうち、乗客が13名、乗員が2名である。

警察の過失運転致死傷の送致事実のとおり、運転手の過失によって事故が発生し、乗客が死亡したのであれば、運転手が加害者、乗客が被害者ということになる。

しかし、もし、車両の故障や整備不良による事故で、運転手には事故が回避できなかったのだとすれば、運転手も含め、事故車両に乗車していた人間は、全員「被害者」となる。

2016年1月15日未明の事故発生直後の報道からすると、事故発生直後の警察捜査は、運転手が加害者か被害者か、いずれの可能性もあり得るとの想定で行われていたと思われる。

地元紙信濃毎日新聞の1.16夕刊では、

転落場所直前の路面に1本だけタイヤ痕が残っていたことから、県警の捜査本部が、バスは何らかの原因で制御不能になり、片輪走行の状態になって転落したとの見方を強めている。

車両の故障や運転手の体調不良など、ガードレールに衝突した原因の解明が捜査の焦点の一つ。県警は、バスを運行した「イーエスピー」(東京都羽村市)の契約社員で、死亡したT運転手(65)=東京都青梅市=の遺体を司法解剖し、死因を調べている。道路の構造に大きな問題は見つかっていないという。

同紙1.18朝刊では、

運転手の居眠り運転や運転ミスが原因との見方が浮上しているが、バス自体の不具合も考えられるため、捜査本部は18日から車体を検証して事故原因の解明を進める。17日、バスを軽井沢署から上田市にある自動車メーカーの工場に移送した。

同紙1.19朝刊では、

現場の手前約100メートルにある道路左側のガードレールには、バスがぶつかったとみられる損傷があった。タイヤ痕はこの損傷のさらに手前で始まっており、ガードレールぎりぎりの場所に続いていた。

捜査本部による乗客への聴取で、バスは事故直前に蛇行していた様子が判明。ガードレールに衝突した後の急ハンドルで、逆に車体右側に重心がかかって片輪走行の状態となり、現場のガードレールを突き破ったとみられている。転落した場所直前の路面にも、バス右側とみられるタイヤ痕が1本残っていた。

捜査本部は18日、上田市の自動車メーカーの工場に運んだバスの検証を19日午前に始めると明らかにした。速度や距離を自動的に記録する運行記録計(タコグラフ)の記録や、車両の不具合の有無なども調べる。

とされている。

少なくとも、この時点までは、事故原因として、体調不良などの運転手の側の問題と、車両の故障、整備不良などの車体の不具合の問題の両方が想定されていたことが窺われる。

ところが、事故車両のバスは、17日、軽井沢署から上田市にある自動車メーカーの工場に移送され、19日午前から検証が開始された。この「自動車メーカーの工場」というのが、「三菱ふそうトラック・バス 甲信ふそう上田支店」であり、本件事故車両のメーカーである三菱ふそうトラック・バス(以下、「三菱ふそう」)の整備工場である。

この検証開始の翌日の1.20朝刊では、

現場の約250メートル手前に設置された監視カメラに、事故を起こしたとみられるバスが蛇行しながら走る様子が写っていることが19日、国土交通省への取材で分かった。県警の捜査本部もこの映像を入手。死亡した運転手が大型バスに不慣れだったとの情報があることから、運転技術に問題がなかったか捜査する。

バスの運行会社「イーエスピー」(東京)によると、死亡したT運転手(65)は昨年12月の採用面接で「大型バスは慣れておらず、苦手だ」という趣旨の話をしていた。

と、「運転技術の問題」が、にわかにクローズアップされる。

同日の記事では、

自動車はフットブレーキを過度に使うと利きが低下する「フェード現象」が発生する。事故現場は国道18号碓氷バイパスの長野・群馬県境の入山峠から下って約1キロ地点。バスが何らかの理由でフットブレーキを多用した可能性もある。同センター調査部によると、ブレーキ部品を解析すればフェード現象が起きていたかどうかが分かる。

一方、三菱ふそうバス・トラックによると、今回のバスはフットブレーキやサイドブレーキのほか、エンジンの排気に圧力をかけてエンジンブレーキの効果を増す補助ブレーキ「排気ブレーキ」も装備。フットブレーキを多用しなくても峠を下る手段はあったとみられている。

とも書かれており、この時点での「運転技術の問題」は、フットブレーキを多用したことによって「フェード現象」が起き、ブレーキが利かなくなったことが想定されていたものと思われる。

ところが、21日には、「軽井沢署の捜査本部による事故車両の検証の結果、バスのギアがニュートラルになっていた可能性がある」、同22日には、「一方でフットブレーキには目立つ異常がなかった。捜査本部は、バスは何らかの異常により下り坂で速度を制御できなくなり、事故現場の左カーブを曲がりきれずに転落した可能性があるとみて調べている。」と報じられ、この頃から、「運転手のミスで、ギアがニュートラルのまま速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーが、徐々に固まっていく。

28日の同紙朝刊では、

軽井沢署の捜査本部による原因究明作業は、バスのギアがなぜニュートラルになっていたかが大きなポイントだ。ニュートラルではエンジンブレーキが利かず、速度の制御は難しい。現場の国道18号碓氷バイパスで運転経験がある大型バス運転手や、事故分析の専門家は、操作ミスが原因との見方を示している。

としている。

「捜査本部は車両の不具合の可能性も視野に入れ、慎重に調べている。」とも書かれているが、実際に、この時点で、「車両の不具合」について、何か具体的に調べていたという話は全くない。この頃以降の報道では、「運転手の操作ミスによってニュートラルで走行した」ということが強調されていく。

そして、それ以前から報じられていた、「死亡したT運転手が『大型バスは慣れておらず、苦手だ』と言っていた」という話と関連づけられ、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーを前提に、刑事事件についての警察の捜査と、事業用自動車事故調査委員会(以下、「事故調査委員会」)の調査が行われていった。

警察の書類送検、検察の捜査・処分、事故調査委員会報告書公表

そして、長野県警は、翌2017年6月27日、死亡したT運転手を自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で、運行会社「イーエスピー」の社長と運行管理者だった元社員を業務上過失致死傷容疑で、長野地検に書類送検した。送致事実は、T運転手(被疑者死亡)については、

「運転技術に習熟していなかったため操作を誤り、時速96キロで道路右のガードレールに右前部から衝突し、ガードレールをなぎ倒して約5メートル下の崖下にバスを転落させた過失」

社長と運行管理者については、

「大型バスの運転に不慣れなT運転手に運行管理上実施すべき教育などの指導監督を怠った過失」

だった。

その2日後の6月29日に公表された事故調査委員会の報告書も、警察の送致事実と平仄を合わせたものだった。事故原因については、以下のように記載されている。

事故は、貸切バスが急な下り勾配の左カーブを規制速度を超過する約95km/h で走行したことにより、カーブを曲がりきれなかったために発生したものと推定される。

事故現場までの道路は入山峠を越えた後にカーブの連続する下り坂となっているが、貸切バスの運転者は、本来エンジンブレーキ等を活用して安全な速度で運転すべきところ、十分な制動をしないままハンドル操作中心の走行を続けたものと考えられ、このような通常の運転者では考えにくい運転が行われたため車両速度が上昇して車両のコントロールを失ったことが、事故の直接的な原因であると考えられる。

同運転者は、事故の16日前に採用されたばかりであったが、事業者は、同運転者に健康診断及び適性診断を受診させていなかった。また、大型バスの運転について、同運転者は少なくとも5年程度のブランクがあり、大型バスでの山岳路走行等について運転経験及び運転技能が十分でなかった可能性が考えられる。このような同運転者に事業者が十分な指導・教育や運転技能の確認をすることなく運行を任せたことが事故につながった原因であると考えられる。

そして、警察の書類送検の後、長野地検の捜査は長期化し、刑事処分が行われたのは、送致から3年半後の2021年1月だった。結局、T運転手を「被疑者死亡」で不起訴にしたほか、社長と運行管理者については、送致事実とほぼ同様の過失で、業務上過失致死傷罪に当たるとして起訴されたものだった。

「運転手のミス」と「車両の不具合」の関係

事故に関して、客観的事実として間違いなく言えることは、以下の2点である。

第1に、T運転手は、体調面の問題はなく、意識喪失、自殺、いずれの可能性もない。事故車両が道路から転落する直前まで、事故回避のための措置をとり続けていた。

第2に、事故車両が事故直前の下り坂を走行する際に、ギアはニュートラルであり、エンジンブレーキが利かない状況だった。しかし、エンジンブレーキが利かなくても、フットブレーキが正常に機能すれば、安全に停止できた。

ということは、直接の事故原因は、次の二つに集約できる。

① T運転手が、フットブレーキを踏めば安全に停止できるのに、何らかの事情で、フットブレーキを踏まずに下り坂を走行した。

② T運転手は、フットブレーキを踏んで減速しようとしたが、何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが利かず、減速できなかった。

①であれば、運転手は、自らも死亡しているが、「加害者」の立場、②であれば、乗客やもう一人の乗員とともに「被害者」の立場となる。

そのいずれであったのかで、警察の捜査の方向性は全く異なってくる。

事故原因究明のための警察捜査は、①②のそれぞれについて、原因となるあらゆる要素を想定し客観的な立場で、その可能性、蓋然性の有無を検討していくことが必要となるはずだ。

長野県警の捜査は、事故直後は、①②のそれぞれを想定して行われていたと思われるが、1月17日に、事故車両のメーカーである三菱ふそうの整備工場に事故車両が持ち込まれて検証が開始されて以降は、①の方向に集中していく。そして、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーに収れんしていく。

一方で、②については、具体的にどのような捜査が行われたのかも明らかにされていない。

そもそも、②の方向の事故原因の可能性について検討するのであれば、事故原因如何では重大な責任を負う可能性のある事故車両のメーカーの整備工場に事故車両を持ち込むこと自体に重大な問題がある。本来、事故車両と無関係な整備工場に運び込んで、第三者的な立場の専門家による検証を行うべきであった。三菱ふそうの整備工場で事故車両を検証することにした時点で、②の方向での事故原因は、事実上棚上げしたように思える。

事故原因から②を排除することになると、 ①しか残らないことになるが、この警察ストーリーに対しては、当初から疑問視する見方があった。

「鑑定士のブログ」での指摘

事故直後から、「鑑定士のブログ」と題する個人ブログで、事故に関する発信を続けてきたO氏は、事故当時、運行会社のイーエスピーに勤務していた大型バス運転手であり、事故で死亡したT運転手を同社に紹介した人物であり、T運転手の運転技術のレベルを最もよく知る人物だ。

1月24日のブログでは、以下のように述べて、T運転手の運転ミスが事故原因だとする警察の見方に疑問を呈している。O氏が、事故原因が運転技量の問題とされたことについて、亡くなったT運転手に代わって、反論を述べているように思える。

まず、T運転手の運転技量について、

Tは、大型ダンプと中型バスの経験はしっかりとあり、合計で20年以上の運転経験から考えたら、同じシステムのブレーキやシフト関連での経験不足という事はあり得ないし、大型ダンプの車幅はバスと同じ、長さの違いさへ(原文ママ)クリアすれば、大型バスへの移行はそんなに難しい事ではない。

現在では、中型バス以上や4t以上の車では、シフトレバーはフィンガーという形式が大多数で、昔ながらの棒シフトは、皆無と言って良いほど少ない。

と述べている。

この点に関連して、事故現場に至るまでのルートについて、以下のように指摘している。

国道18号線を高崎市から事故現場まで走行すれば判る事だが、あの下り坂に近い道路状態は幾つかある。

安中市から碓氷バイパスに至る途中の、松井田から横川付近は、急な下り坂にカーブもあり、あの事故現場と同等か、それ以上の危険を感じる場所もある。

松井田妙義インター手前の急な下り坂にカーブ、その先の陸橋からインターに至る下り坂のカーブ、それを通過して、釜飯のおぎのやさんに至る下り坂とカーブに、碓氷バイパスと旧道の分岐のカーブに下り坂。

それらを丁寧にクリアし、急カーブが続く急な登り坂をクリアしたからこそ、お客様は寝ていたのであり、あの1キロ地点では、ブレーキも適切に使っていたと考えるのが正しい。

つまり、O氏は、事故に至るまでにT運転手が運転したと考えられる同様の下り坂の個所を、具体的に挙げ、T運転手の運転技術が未熟であったために下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を問題なく安定走行していたことの説明がつかないと指摘しているのである。

そして、O氏のみならず、誰しも思う当然の指摘をしている。

場所は下り坂だ。

スピードが上がってくる。

経験の有無より、まずは全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。

緩やかな下り坂なら、制動に排気ブレーキを選択したとしても、運転者なら制動を選択する。

つまり、余り排気ブレーキが効かなかったとしても、当然シフト操作と同時かそれよりも優先して、フットブレーキを踏んでいなければならない。

これはお客様の為に以前の問題で、減速しなければ事故になるし、事故になれば自分も無事には済まないし、死ぬかも知れない。

自分の保身の為にも絶対にフットブレーキは使ったはずだ。

スピードが上がって怖くなったら、新米だろうがベテランだろうがブレーキは踏んで当然。

「全ての運転者は危険を感じてブレーキ(制動)を踏むはずだ。」というのは、あまりにも当然であり、「運転未熟のために、ギアをニュートラルにしたまま、加速しているのにフットブレーキを踏むこともなく、漫然と下り坂を下っていった」という警察のストーリーは、運転者の行動としてあり得ないという指摘だ。

O氏は、T運転手の運転技能に関する極めて重要な関係者である。それに加え、大型バス運転手としても、本件事故現場を含む道路での豊富な運転経験がある。

T運転手の運転技量の程度については、T運転手がイーエスピーに採用された後に、大型バスの運転技量を確かめるために試乗したのは、O氏とM氏の2人である。O氏が、「乗客を乗せて大型バスを運転するに十分な技量を備えていた」と証言するのに対して、M氏は「運転が未熟だった」と証言している。いずれの証言が信用できるかが問題になるが、O氏は、事故直後から、ブログで、事故の被害者・遺族に対して、謝罪の言葉を繰り返しつつ、一貫して、T運転手の運転技量には問題なかったと述べており、しかも、O氏は、事故の5カ月後の6月に、遺族と直接会って、同様の説明をしている。その理由について「ご遺族の悲しみが少しでも癒えるなら……それがお会いする俺の唯一の理由です。」とブログで述べている。

O氏にとって、T運転手の運転技量が乗客を乗せて大型バスを運転させるのが危険なほど未熟であったのに、敢えて紹介したとすれば、事故について責任の一端があるということになる。検察官は、その責任を回避しようとする動機があると主張するのかもしれない。しかし、O氏は、事故後、イーエスピーを退社しており、責任と言っても、法的責任ではない、むしろ、発言を動機づけているのは、遺族に対する謝罪の気持ちと、亡くなったT運転手の無念を晴らしたいという思いであろう。O氏が、認識に反することをブログで述べたり、法廷で証言したりするとは思えない。

そういう意味では、T運転手の運転技量については、O氏のブログの内容も、公判証言も、信用性が十分に認められると言えよう。

O氏の供述は、警察が事故原因を①の方向でとらえて業務上過失致死傷罪を立件する上で、大きな障害になるものだった。

「ブレーキの不具合」の可能性

一方、②の「事故発生時のブレーキの不具合」が原因だとすると、事故車両は、事故現場の碓氷峠の下り坂に差し掛かるまでに、同様の下り坂を問題なく走行していたのであるから、少なくとも、その時点まではブレーキに異常がなく、事故現場に差し掛かる下り坂で、突然、ブレーキに異常が生じたことになる。そのようなブレーキの故障が発生する可能性があるのかが問題になる。

この点について、自動車評論家の国沢光宏氏は、事故後早くから、以下のような指摘を行っていた。(当初は、ヤフーニュースに投稿されていたようだが、現在は削除されている。同氏の見解を支持する【群馬合同労組のサイト】に転載されている)。

そこで問題になるのが(ブレーキ)エアで作動する部分の凝水です(空気タンクには水が溜まる)30年程前よりエアドライヤという除湿装置が装備され凝水はほとんどなくなりましたが全くゼロでははありません。…外気温は低かったでしょうから凍結することは十分考えられます。坂を下り始めて排気ブレーキなりクラッチなりフィンガーシフトなりを操作した際にエアが流れ氷の固まりがどこかに詰まったと考えられます。」「エアブレーキ系の配管が凍結したことによる事故であれば、溶けた時点で原因全くわからなくなる。しかも全て正常に見えてしまう。

なお、国沢氏は、【最近のブログ記事】でも、刑事公判の動きに関連して、事故原因について同様の見解を述べている。

このような「エアタンク内に水が溜まり、エアブレーキ系の配管が凍結した」というのは、本件事故に至るまでの走行状況とも整合する。碓氷峠の頂上まで長い上り坂の間は、ブレーキは使わず、アクセル操作だけであり、その間に氷点下の気温で配管内の凍結が生じ、下り坂になって急にブレーキが利かなくなった可能性もある。

事故原因の解明を警察捜査の結果だけで終わらせてよいのか

長野警察の捜査では、本件事故の原因は、前記①の「運転手が大型バスの運転未熟のために操作を誤り、下り坂をニュートラルで走行したために、制御不能となった」と特定された。しかし、これについては、未だに多くの疑問がある。

「T運転手の運転技術が未熟であったために、下り坂の運転操作を誤ったとすると、事故に至るまで、同様の下り坂を、問題なく安定走行していたことの説明がつかない」

「全ての運転者は、危険を感じたらブレーキ(制動)を踏むはずだ。」

など、T運転手の同僚のO氏も、【鑑定士のブログ】で指摘しているとおりだ。

一方、警察の捜査結果や事故調査委員会報告書で、「想定されるもう一つの原因」である前記②「何らかの原因によるブレーキの不具合により、ブレーキが効かず、減速できなかった」との原因の事故であることを否定するに十分な根拠が示されているといえるのか、疑問だ。

もっとも、刑事裁判で、弁護側は、この事故原因の問題は主たる争点にはしていないようだ。公判では、最大の争点は、検察が主張する前記①の事故原因についての被告人らの「予見可能性」であり、その事故原因に多くの疑問があるということは、そういう原因で事故が発生することの予見が困難だと主張する根拠にもなるので、その分、検察の有罪立証のハードルを高めることになる。弁護側が、公判戦術として、「事故原因」をあえて争わず、「予見可能性」に争点を絞るのは、ある意味で合理的と言えるだろう。

しかし、重大事故の真相解明は、刑事責任の追及のためだけに行われるものではない。

将来への希望に胸を膨らませていた多くの若者達の生命が一瞬にして奪われた重大事故が、なぜ発生したのか。真の原因を究明することは、同様の悲惨な事故を繰り返さないために、社会が強く求めるものであると同時に、尊い肉親の命を奪われた遺族の方々の切なる願いだ。

この重大事故を「社会に活かす」ためにも、真の事故原因の究明に向けての取組みは、刑事裁判とは離れるとしても、可能な限り行っていくべきではなかろうか。そのためには、警察が特定した前記①の「運転未熟」による事故原因に対する疑問に向き合うこと、そして、前記②の「ブレーキの不具合」を否定する根拠が十分と言えるのか、改めて検討する必要があるのではないか。

警察の事故原因特定に対する疑問

警察が、「ブレーキの不具合」を否定した根拠は、「事故の検証でブレーキに不具合が発見されなかったこと」に加えて、事故現場手前に残る2カ所のバスのタイヤ痕が「ブレーキ痕」だとする科学捜査研究所の鑑定結果だ。

2016年1月30日の【タイヤ痕は「ブレーキ痕」】と題する毎日新聞記事は、

捜査関係者によると、現場直前にある右車輪だけのタイヤ痕と、さらに約100メートル手前の車体との接触痕が残るガードレール付近にある左車輪のタイヤ痕を詳しく検証。どちらもタイヤパターンが読み取れるものの筋状にこすれるなどしており、フットブレーキを踏んだ際の摩擦で付いた痕跡と判断した。高速で車体の荷重が偏ったまま曲がる際にも同様の痕跡が付くとの指摘があるが、捜査関係者は「現場のカーブの角度では可能性は低い」とみている。

と報じている。

このようなタイヤ痕が「ブレーキ痕」だとする見方が、その後、科捜研の正式の鑑定書の内容とされ、刑事公判での証拠とされているものと思われる。

しかし、事故直後の報道では、現場検証を行った警察は、居眠り運転やフットブレーキの踏み過ぎによる「フェード現象」などを想定していたようであり、むしろ、「フットブレーキでの制動が働かなかった」と見ていたように思える。

多数の死傷者が出た重大事故であるだけに、事故直後の事故現場の検証も相当入念に行われ、現場のタイヤ痕から得られる情報を、警察の現場なりに推定しつつ、捜査が進められたはずだ。その時点では、現場のタイヤ痕は「フットブレーキが機能した痕跡」とは見られていなかったということだろう。

事故直後、国交省の依頼で、事故車両の走行状況を記録した監視カメラの映像や、事故現場の道路を撮影した写真等を解析した日本交通事故鑑識研究所の見解でも、

転落直前の路面に残ったタイヤ痕は「遠心力を受けながら右に横ずれしていく時、車体右側のタイヤが残した跡に見える。運転手はフットブレーキを使っていなかった可能性がある

とされていた(1.21 信濃毎日)。

ところが、その後、自動車評論家の国沢氏などからブレーキの不具合の可能性が指摘されるや、それを打ち消すかのように出てきたのが、タイヤ痕が「ブレーキ痕」だという話だった。

上記の毎日新聞の【タイヤ痕は「ブレーキ痕」】と題する記事では、

乗客・乗員15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故で、現場手前の「碓氷(うすい)バイパス」に残る2カ所のバスのタイヤ痕について、県警軽井沢署捜査本部が「ブレーキ痕」とみていることが捜査関係者への取材で分かった。死亡したT運転手(65)が少なくとも2度フットブレーキを踏んだが十分に減速できなかったことを示している。

事故が29日に発生から2週間を迎えた中、捜査本部は、運転手が大型バスに不慣れだったことが事故につながったとの見方を強めている。

などと、事故現場周辺のタイヤ痕がブレーキ痕であることが判明して「運転手が大型バスの運転未熟のために操作を誤った」という警察のストーリーが裏付けられたかのように報じられている。

しかし、私が記事検索を行った範囲では、この頃、「ブレーキ痕」について報じたのは同記事だけであり、地元紙も含め他の記事は見当たらない。

そして、それから約1年半後、長野県警の書類送検の2日後に公表された【事故調査委員会報告書】では、事故現場付近のタイヤ痕については、

センターライン付近からガードレール付近まで続くタイヤ痕は、遠心力により右側タイヤに荷重が偏り、かつ、同タイヤが横方向にずれたためにその痕が濃く付いたものと推定される

と書かれ、タイヤ痕は車体の傾きによって生じたものとされており、「ブレーキ痕」とは一切書かれていない。

事故調査委員会報告書は、事故原因について警察の捜査結果を参考にした上で取りまとめられたものである。同報告書で、事故現場付近の道路上のタイヤ痕が、事故時にブレーキが有効に機能していたことの根拠とされていないのは、事故調査委員会としては、タイヤ痕が「ブレーキ痕」であることに疑問を持っていたからだと考えられる。

このような経過からも、やはり、「事故時のブレーキの不具合の発生」を否定する根拠が果たして十分なのか、疑問が残ると言わざるを得ない。

事故調査委員会報告書に対する自動車エンジニアの疑問

もし、「事故時にブレーキが効かなかった」のが事故原因だとすると、その直前まで安定走行ができていたのに、碓氷峠の下り坂に至って、突然、ブレーキが効かなくなったのはなぜか、という点が問題になる。そこで想定される原因の一つが、「エアタンク内に水が溜まり、エアブレーキ系の配管が凍結した」という国沢氏の指摘だ。

このような指摘は、事故調査委員会でも把握していたようであり、報告書では、

ブレーキ用エア配管は車体内部に配管されており、外気にさらされていないことや、事故後、後輪ブレーキ用エアタンクからの水分の流出はなかったことから、ブレーキ用エア配管等の内部での凝結水の凍結によるブレーキ失陥が生じてはいなかったと考えられる。

とされている(55頁)。

このような報告書の内容に関しては、私のところに、事故原因に関する見解を寄せてくれた自動車エンジニアの方が、次のような疑問を指摘している。

大型バスの一般的な構造からすると、ブレーキ用エア配管全体が車体内部に配管され、外気にさらされていないというのは考えにくく、タンクより先の様々なバルブ類、ブレーキ本体部品の解体を行って確認しなければ、凍結の原因となった擬水の有無はわからないのではないか。

コンプレッサにより加圧された、水分を含んだ圧縮空気を乾燥させるエアドライヤと呼ばれる装置のメンテナンスが行われていたかも確認が必要で、不具合が有った場合は、水分や油分がエアブレーキのシステムに悪影響を及ぼしていた可能性も考えられる。

ブレーキライニングの分解確認だけでは、ブレーキの不具合の有無は判断できないのではないか。

三菱ふそうの整備工場で行われた本件事故車両の「ブレーキの不具合の有無」に関する検証は、上記のような疑問に答えられるだけものだったのだろうか。

「2005年の三菱ふそう大型バス等リコール」との関係

さらに、同自動車エンジニアの方が指摘するのが、2005年に三菱ふそうが行ったブレーキの不具合についての【リコールの届出】との関係だ。本件事故車両も、そのリコールの対象であり、「改善措置」が適切に行われていたのか確認が必要との指摘である。

このリコールというのは、

制動装置用エアタンクに圧縮空気を供給するパイプ(エアチャージパイプ)の強度が不足しているため、車体の振動等により当該パイプに亀裂が発生するものがある。そのため、そのままの状態で使用を続けると、当該パイプからエアが漏れ、最悪の場合、制動力が低下するおそれがある。

という不具合について、三菱ふそうが、国土交通省に届け出たものだ。

改善措置は、

全車両、当該パイプ、パイプ取付金具及び固定金具を対策品と交換する。

また、対象車のメンテナンスノート・整備手帳に、当該固定金具を1年又は2年毎に交換する旨のシールを追加する。

とされている。

しかし、リコールであるにもかかわらず、対策用の部品は1〜2年交換という暫定対策とされている。「交換をお願いするステッカー」を貼るだけの対策であるため、中古購入後に部品を交換していない場合には、制動力不足が発生した可能性がある。

もし、このような制動装置の部品の不良が事故原因に影響していたとすると、三菱ふそうのリコールの際の改善措置と事故の関係が問題になる可能性がある。

三菱ふそうの整備工場で行われた検証では、リコールの改善措置の対象となった部品の不具合による制動力不足の可能性について、十分な確認が行われたのであろうか。

本件事故と同時期に問題化していた「北海道白老町バス事故」

上記のような、事故車両の検証自体への疑問に加えて、「三菱ふそう」という自動車メーカーには、車両の不具合やリコールに関して重大な問題を起こした過去があり、そのような企業を事故車両の車体の検証に関わらせることの妥当性について、特に疑問がある。

「三菱ふそう」という会社は、2000年にリコールにつながる重要不具合情報を社内で隠蔽している事実が発覚し、長年にわたって、運輸省(現国交省)に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収・修理する「ヤミ改修」を行ってきたこと、それにより死傷事故が発生していたことが明らかになって、厳しい社会的批判を浴びた「三菱自動車のトラック・バス部門」が分社化されて設立された会社だ。

分社化されて「三菱ふそう」となった後の2004年には、2000年のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚。同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故で、前会長など会社幹部が道路運送車両法違反(虚偽報告)、業務上過失致死傷で疑捕・起訴され、有罪判決を受けた。

しかし、その後も、2012年には、2005年2月に把握していた欠陥を内部告発されるまでリコールしなかったことが発覚するなど、リコールを回避して「ヤミ改修」で済ませようとする安全軽視の姿勢が、長年にわたって批判されてきた。

しかも、ちょうど本件事故が発生した頃は、2013年8月に北海道白老町の高速道路で発生した同社製の大型バスの事故で運転手が運転を誤ったとして起訴された業務上過失致傷事件の刑事公判が、重要な局面を迎えていた。

「突然ハンドル操作不能に陥った」として「車両が事故原因だ」とする被告人の無罪主張に対して、事故車両を製造した「三菱ふそう」の系列ディーラーの従業員は、事故後に同社の整備工場で行った車両の検証結果に基づいて、

「ハンドルの動力をタイヤに伝える部品に腐食破断が認められるが、走行に与える影響は、全くないか軽微なものに過ぎないから、事故原因は車両にはない」

と述べて、「事故原因は運転手の運転操作によるもの」との検察の起訴事実に沿う証言をした。

その証人尋問が実施されたのが2016年1月14日、その日は、奇しくも、軽井沢バス事故を起こしたバスが、多くの若者達を乗せて、東京・原宿を出発した日だった。

この白老町のバス事故では、その後、弁護側鑑定など、真の事故原因を明らかにする弁護活動が徹底して行われた結果、「事故原因は車両にあり、運転手には過失はない」として、無罪判決が出された。

弁護人からは、三菱ふそうの従業員の虚偽供述のために不当に起訴されたとして「三菱ふそう」に損害賠償を求める民事訴訟に加えて、検察官の不当な起訴に対する国家賠償請求訴訟が提起され、国家賠償請求訴訟では、検察官の起訴の過失を認める一審判決が出されている。

この事故に関連して、2016年7月には、国交省が、事故車両と同型のバスで「車体下部が腐食しハンドル操作ができなくなる恐れがある」として使用者に点検を促し、その結果1万3637台中805台で腐食が発見されていたことが分かったため、2017年1月に、805台について「整備完了まで運行を停止」するよう指示が出され、三菱ふそうは、同年2月にリコールを届け出た。

本件の軽井沢バス事故の事故車両も、このリコールの対象車両だった。(もっとも、本件事故では、白老バス事故のような部品の腐食によるハンドル操作不能が問題になっているわけではない。)

本件事故が発生し、事故原因の究明が行われていた2016年から2017年にかけての時期は、「三菱ふそう」にとって、同社製の大型バスによる白老バス事故の原因が車両にある疑いが強まり、対応に追われている時期だった。しかも、白老の事故については、刑事公判での「事故原因は車両にはない」とする同社側の証言に「偽証の疑い」まで生じていたのである。

このような時期に、本件の事故車両は、「三菱ふそう」の整備工場に持ち込まれて、車体の検証が行われた。そして、その検証開始直後から、警察の事故原因の見方は「運転手のミスで、ギアがニュートラルのまま速度が制御できない状況となり、事故に至った」というストーリーで固められていった。マスコミも、そのストーリーに沿う報道を行い、ブレーキの不具合の可能性が指摘されることはほとんどなかった。そして、事故調査委員会の調査結果も、警察の事故原因捜査を後追いする形で取りまとめられ、公表された。

事業用自動車事故の原因究明と責任追及についての制度上の問題

現在、長野地裁で行われている本件事故の刑事裁判で前提とされている事故原因は、上記のように多くの疑問がある。しかし、公判での最大の争点は、その事故原因を前提とする被告人らの「予見可能性」であり、事故原因に対する疑問について裁判所の判断が示される可能性は低い。

将来への希望に胸を膨らませていた大学生など多くの若者達の生命が奪われ、生存者も深い傷を負った、この悲惨な重大事故の真の原因究明は、遺族・被害者の方々はもちろん、社会全体が強く求めるものだ。これまで述べてきた多くの疑問に蓋をして、このまま終わらせてよいのだろうか。

事故車両が保存されているのであれば、今からでも調査できることはあるはずである。これまで述べてきたような疑問点を解消するため、「三菱ふそう」とは無関係な第三者の専門家が中心となって、車両の詳細な検証など、事故原因の再調査を行うべきである。

本件事故についてこれまで指摘してきたことからすると、バス事故の原因究明と責任追及の在り方については、制度上大きな問題があると言わざるを得ない。

事故原因の解明にとって重要なことは、想定される事故原因について、責任追及を受ける可能性がある当事者には関わらせず、客観性が担保された体制で調査が行われることだ。

軽井沢バス事故については、車両を製造した「三菱ふそう」の整備工場で検証が行われ、ブレーキの不具合等の車体の問題の解明の「客観性」が阻害され、「運転ミス」という人的要因の方向に偏った原因の特定が行われていった。同じ「三菱ふそう」製のバスで発生した白老バス事故についても、「三菱ふそう」が事故車両の車体の検証に関わり、警察、検察は運転手の過失責任を問おうとしたが、刑事公判で、事故原因が車両の側にあったことが明らかになった。

いずれも、当事者ともいえる「三菱ふそう」が事故原因究明に関わったこと自体に重大な問題があり、それが、特定された事故原因に対する不信の原因となっている。そこには、本件事故のような事業用自動車の重大事故の原因調査に関する制度的な問題がある。

「事業用自動車事故」は「運輸安全委員会」の対象とされていない

鉄道事故・航空機事故・船舶事故については、2008年に、航空・鉄道事故調査委員会と海難審判庁の調査部門が改組・統合され、国家行政組織法第3条に基づく独立行政委員会として「運輸安全委員会」が設置されている。職権の独立が保障され、独自の人事管理権が認められたほか、事故原因の関係者となった私企業に対しても直接勧告できるなど、権限が強化された。調査についても、法律に基づく強制権限が与えられている。

ところが、自動車事故は、本件のような「事業用自動車事故」も含めて「運輸安全委員会」の対象とはされていないため、法的根拠に基づかない「事故調査委員会」が監督官庁の国交省の業務に関連して設置されるだけだ。独立機関による事故調査対象の範囲に関しては、かねてから、米国のNTSB(国家運輸安全員会)などのように道路交通事故の一部などについても含めるべきとの指摘があり、2008年の運輸安全委員会設置時にも議論されたようだが、実現には至らなかった。

軽井沢バス事故でも、白老バス事故でも、警察の判断で、車両を製造したメーカー側で事故車両の検証が行われ、事故原因が車両の問題ではなく運転手の運転操作にあったとされた。多数の死傷者を発生させる可能性のあるバス等の事業用自動車による事故も、客観性が担保された体制で、十分な権限に基づいて原因調査が行うことが必要であり、「運輸安全委員会」の調査対象に含めることを真剣に検討すべきである。

「車齢」の制限撤廃の規制緩和に問題はなかったのか

軽井沢バス事故についての再発防止策は、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」という人的事故原因を前提に、「安全対策装置の導入促進」のほか、運転者の選任、健康診断、適性診断及び運転者への指導監督の徹底など、運転手の運転技能、運転適性の確保を中心とする対策が講じられた。

しかし、もし、事故原因が車両の方にもあった場合には、再発防止策は大きく異なるものになっていたはずだ。

車両自体の危険性に関して見過ごすことができないのは、バスの「車齢」の問題である。

本件事故車両は、2002年登録で車齢13年、部品の腐食破断が原因とされた白老町バス事故の事故車両は、1994年登録で、事故時の車齢は19年である。

過去、貸切バス事業が免許制であった時代には、新規許可時の使用車両の車齢は、法定耐用年数(5年)以内とされていたのが、2000年法改正による規制緩和で、車齢の規制は撤廃された。

本件事故を受けて設置された「軽井沢スキーバス事故対策検討委員会」でも、「古い車両を安価で購入し、安全確保を疎かにしている事業者がいる」との指摘を受けて、車齢の制限も検討されが、同委員会に提出された資料によると車齢と事故件数の相関関係が認められないことなどから、車齢の制限は見送られた。

しかし、この時の対策委員会の資料は、「貸切バスの乗務員に起因する重大事故」とバスの車齢の相関関係を見たものであり、車両の不具合や整備不良等による事故と車齢との関係を検討したものではない。

白老町事故に関連して、同様の部品の腐食破断による事故が多数発生していたことが明らかになり、リコールが行われたことから考えても、表面化していない、車両に起因するバス事故が相当数ある可能性がある。軽井沢バス事故も、13年という、かつての法定耐用年数を大幅に超える車両で起きた事故だった。

この事故で、仮に、車両の不具合が原因の事故である可能性が指摘されていれば、「車齢の長いバスの車両の不具合による危険」の問題も取り上げられ、「車齢」と「車両の不具合に起因する事故」の相関関係についても検討され、そもそも、2000年の規制緩和における車齢規制の撤廃が適切だったのか、という議論にもなっていた可能性がある。

知床観光船事故との共通点

今年4月23日に北海道知床で発生した観光船事故と、この軽井沢バス事故は、直接の当事者の運転者が事故で死亡するなどして供述が得られないこと、運行会社の安全管理の杜撰さが問題とされていること、国交省が監督権限を持つ事業であったことなどの共通点がある。

知床観光船事故が、最近の事故であるのに対して、軽井沢バス事故は、6年前に起きた過去の重大事故であり、今後の事故の危険とは直接関係ないと思われるかもしれない。

しかし、コロナ禍での需要の急減によって苦境に喘いできた観光・旅行業界にとって、今後、外国人旅行者の受け入れが再開され、需要が増大すれば、これまでの収入減を取り戻すべく、「背に腹は代えられない」ということで、安全対策を疎かにしても、収益確保を優先する事業者が出てくる可能性が十分にある。

その際、車齢の長いバスに必然的に高まる車両の不具合による事故の危険が高まることが懸念される。知床観光船事故に関しても、監督官庁の国交省の対応が手緩かったと批判されているが、その背景に、観光・旅行業界の窮状への配慮が働いた可能性も指摘されている。同じような「手緩い対応」が、コロナ禍で苦境に喘いできた貸切バス業界に対する国交省への対応でも行われ得るのではないだろうか。

そういう面からも、軽井沢バス事故の真の事故原因は何なのか、その究明のための再調査を行い、必要に応じて再発防止策も見直すべきではないだろうか。