秋葉原事件の死刑執行で感じた最大の問題点

黒坂岳央です。

2008年、秋葉原の歩行者天国で起きた無差別事件の犯人に死刑が執行された。39歳だったという。この事件の影響により、2年以上に渡って秋葉原の歩行者天国の利用は中止された。

この事件をめぐり、国内外で様々な反応が見られた。筆者は法の専門家ではないが、一通り事件への反応を見て個人的に感じたことを記録したい。

2008年の秋葉原無差別殺傷事件の現場 NHKより

死刑囚の長期収容の最大の問題点

2008年に事件が起きて、2022年に死刑執行までに要する期間は14年間だった。現行犯で逮捕しており、冤罪の可能性はない。にも関わらず、執行までに要した期間としてはかなり長かったように感じられる。

だが長期に及ぶ収監は、それだけ執行に慎重であることの裏返しとも言える。これは法治国家としては正しいあり方という見方もできるだろう。ただ個人的に心情に則した意見を言わせてもらうと、問題に感じる点もある。

それはこれだけ執行までの期間が長期化することで、被害者の遺族が存命である可能性が低くなるということだ。日本では敵討ちが許されない、ある種、死刑とは国家による敵討ちの代行という見方もできるのではないだろうか。しかし、大事な親族を奪った相手が生きている間に、先に遺族が亡くなってしまうというのでは、法による代行の意味をなさないことになる。被害者遺族の心情を想像すると、それはとても無念なことだと思えてしまう。

死刑囚の長期収容は正しいか?

「現行犯で捕えた者に温かい空間と食事で生かしておくことは税金のムダではないのか?」といった反応が見られた。外国人による反応もあった。

この事件に限らず、京アニ放火やジョーカー事件など、無差別事件の犯人は覚悟を決めて実行している。もとい、「自分では死にきれないから他者の手で葬ってほしい」というある種、社会的な自害と言えるかもしれない。そうした願望の持ち主を、事件直後にスピード執行することが常態化すれば、彼らの願望成就になるという見方ができなくはないだろうか。

もちろん、税金を使ってムダに長期収容をするわけにはいかないのだが、結果的に「死刑が確定してもすぐには死ねない」という共通認識が広がれば、スピード執行を最重要の目的とした者の犯行抑止力になる可能性は残る。

だがこれは難しい。他者の手で死を選びたい犯人の願望と、存命中に刑の執行を待つ遺族との間で揺れ動く問題だからだ。

いずれにせよ、秋葉原事件はこれでようやく終わりを迎えた。残された今を生きる我々に残る課題は、第2の事件をどう未然防止できるか?である。混沌とする情勢が続くが、「普通」のレールからあぶれた者が「無敵の人」化しないための社会の作り方は、依然として明確な答えが出ないままだ。

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。