岸田首相が古参秘書に代え長男を総理秘書官にした背景

岸田文雄首相は10月4日に長男で公設秘書の翔太郎氏を首相秘書官とする人事を発令する方針を固めたそうだ。

記者の質問に答える岸田総理 首相官邸HPより

総理の秘書には三種類がある。総理大臣秘書官と議員としての公設秘書と私設秘書である。前二者の給与は国から基準に応じて支給され、後者の給与は政治団体から支出されるのが普通だ。

しかし、それ以上に、肩書きとしてこの三つは値打ちに差がある。ある総理の息子は比較的、早く父親が退陣したので、総理秘書官にならなかったので、のちに選挙に出馬したときに総理秘書官と書いて対立候補関係者から批判された。総理秘書には違いないが秘書官ではないからだ。

総理の8人の秘書官のうち省庁から派遣された人6人(財務2人、外務、経産、防衛、警察一人ずつ)以外は二人で、政務担当と呼ばれるが、その一人は筆頭格の嶋田隆氏(経済産業省出身)で、もうひとりが岸田首相の秘書だった山本高義氏である。

山本の父親は子供の時に広島で被爆し、大きいケロイドが残っているという。大学4年生の時に一年生代議士の岸田の事務所でアルバイトとして働き始め。卒業後に秘書となり、政策秘書(事実上の筆頭秘書)や外務大臣秘書官として岸田を支えてきた。学生時代は円盤投げの選手で見かけも体育会系、金庫番でもある。

岸田を総理にするために30年間、頑張ってきたのだから、いちどは総理秘書官にしなくては申し訳ないと云うことだっただろうが、ちょうど一年間がたったので、息子に譲ってくれということになったようだ。

総理の息子で秘書官をつとめたというと、福田康夫が典型だ。康夫は丸善石油に勤め、政治家になる気がなく、弟の横手征夫が秘書をつとめ、外相秘書官でもあったが、総理になったときに、横手が体調を崩していたのと、跡継ぎはやはり長男という総理夫人の意向で総理秘書官に康夫が就任した。

ちなみに、皇后陛下の父親の小和田恆は、外相秘書官と総理秘書官と両方つとめたが、とくに、横手一家と小和田一家は家族ぐるみの付き合いで娘のチェリストの横手香代子さんとはとくに親しいといわれる(1980年ごろ私のパリ留学中に村田敬次郎元通産相がパリに来られたときに一緒に食事した記憶あり)。

娘婿を秘書官にすることもある。大平正芳首相は、娘婿の森田一を蔵相や首相秘書官にしたが、これは、大蔵官僚だったので官僚としての就任で政務秘書官の枠を喰わなかった。

岸田首相の家系については、「家系図でわかる日本の上流階級この国を動かす『名家』『名門』のすべて」(ワニブックス)で系図付きで詳しく解説してあるが、長男翔太郎は、修道高校、慶応大学法学部から商社勤務を経て父の秘書。

いずれは地盤を継承するとみられているので、ぜひとも、総理秘書官の肩書きを与え仕事も経験させておきたいところだ。

意地悪く見れば、長期政権が難しくなってきたので、予定よりも早くこの秘書官交代になったという見方も出来ないわけではない。

ちなみに、次男、三男、さらには、意外な親戚のノーベル賞受賞者などについても、同書で紹介している。

菅義偉元首相の弔辞についての幼稚な誹謗について

菅義偉前首相の弔辞の山縣有朋の部分についてわけのわからん誹謗をする人たちがいることについては、安倍元首相が、1995年に、一度読んだ本をJR東海の葛西さんの弔辞につかうためにもう一度ひもといてそのままになったというだけのことで説明つく話だと思う。

それでなにか矛盾があるのだろうか?「安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか-地球儀を俯瞰した世界最高の政治家」(ワニブックス)では、この二度の読書の中間の2018年12月に元首相と山縣有朋や長州の政治家たちについて議論したことを紹介している。