ジョン・スチュアート・ミルは、ベンサムの後継者として功利主義を発展させた。ミルは「危害原理」を説いたことで有名だ。
「危害原理」とは、他者に危害を加えない限り各人の自由を認めるべきだという考え方だ。当時の英国では、酒を飲んで暴れる輩が多かったことから酒場を閉鎖しよういう動きがあった。
それに対してミルは、
「酒に酔って暴れる輩を処罰すればいい。他人に危害を加えずに飲酒をしている人たちの自由を侵害すべきではない」
と説いた。
また、当時は犯罪とされていた同性愛についても、
「国家は国民の食卓の上には干渉しないのにベッドの上には干渉するのか!」
と言って、同性愛者の処罰を批判した。
英国では比較的最近まで同性愛者が処罰されており、スコットランドでは1982年になってようやく同性愛処罰がなくなった。
この「危害原理」の最大のメリットは基準が明確なことだ。
「他人に危害を加えるか否か」という明確な基準を示しているので、国民も自由の行使の限界をしっかり認識することができる。
曖昧な基準だと、国民は自由の行使に萎縮的になってしまい、また権力者が恣意的に国民の自由を制限することにもつながる。
ミルの説く「自由」は、リバタリアニズムが説くように人間が生まれた時から持っていたものではない。
あくまで功利主義の立場に立つので、「危害原理」に基づく自由の行使が社会全体の効用をアップさせると説く。
典型的なのが批判的意見表明の自由だ。
誰もが疑わない真理があるとする。
それに対して批判的意見を表明し(これは誰にも危害を加えない)、真理が覆って新しい真理が導かれれば社会全体の効用はアップする。
(天動説が地動説に変わったようなものだ)
そうならなくとも、多くの批判に晒されることによって、真理はより一層の輝きを放つ。
様々な批判を跳ね返せば跳ね返すほど、真理の絶対性が強まる。
(現在の地動説のようなものだ)
真理の絶対性が強まれば、社会全体の効用がアップする。
このように、「危害原理」に基づく自由の行使は、社会全体の効用をアップさせるという意味で功利主義的だ。
ちなみに、功利主義に対する批判として、ミルは「高級な快楽」と「低俗な快楽」の区別を説いたが、それは成功したとは思えない。
ミルの有名な言葉に「選択は人間を鍛える」というものがある。
刑務所の中だとすべて指示通りに行動しなければならず、選択の余地は極めて少ない。
そのような環境に何十年もいると、自分で選択する力を失ってしまい社会に適合できなくなる人も少なくないと聞いている。
台風が猛威を振るっている時に、「今日は休日」という連絡がないからといって命がけで出社しようとするのも自分自身での選択を放棄しているのと同じだ。
自分の命を守るために自分自身の選択をすべきだ。
組織内でも、指示待ち族になることなく自分自身で選択する力を養おう。
編集部より:この記事は弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2022年10月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。