『森信三 運命をひらく365の金言』(致知出版社)の中に、森先生の次の言葉が載っています――人間は真に覚悟を決めたら、そこから新しい智慧が湧いて、八方塞りと思ったところから一道の血路が開けてくるものです。
日本が誇るべき偉大な哲学者であり、教育者である森信三先生に反論するのは非常に恐れ多いこととは思いますが、率直に申し上げれば上記は分かったような分からないような言葉に感じられ、私には余りしっくりと合いませんでした。
物事には、先後があります。先生の場合、「真に覚悟を決めたら、そこから新しい智慧が湧いて」というふうに、覚悟が先です。しかし逆に、閃きが起こり「これをやってみよう!」といった具合に、それが覚悟になって行くケースも多々あるのではないかと思います。
また、「八方塞りと思ったところから一道の血路が開けてくる」とは言うものの、それは覚悟の問題でしょうか。覚悟を決めなかったら、何も動かないことになります。そして世の中には、駄目なものは駄目、というのがやはりあります。
こっちに進むか、あっちに進むか――閃きや教え或いは出会いといった様々ある中でその覚悟を決めて行くわけで、覚悟を決めてからどちらに出発するということではないでしょう。
『大学』の「経一章」にあるように、「物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知れば、則ち道に近し」、即ち「物事には、根本と末節があり、始めと終わりがある。何が根本で何から始めるべきか、そのことをよく心得てかかれば、成果も大いに上がる」のです。
物事の本質を見極めるは、一朝一夕には出来ません。日々我々は物事の枝葉末節を的確に判断して行くべく、物事の根本は何かというふうに、常日頃より考え方のトレーニングをし続けねばなりません。
私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生の言葉を借りて言えば、根本的には「思考の三原則…枝葉末節ではなく根本を見る/中長期的な視点を持つ/多面的に見る」に拠って物事を捉えるべく、きちっとした思考習慣を自分自身のものにして行くということです。
そしてそれを身に付けた上に、「道に近し」となるのだろうと思います。繰り返しになりますが、物事には先後があります。自分が始終努力し続けねば、その道には到底到達できないのです。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年1月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。