私が世田谷区議会議員として、この4年間保坂区政と対峙してきて思うことは、保坂展人という政治家は、巷間言われているようなリベラルな政治家ではなく、実は“ガチ保守”のそれではないか、ということである。
ここで言う「保守」は、エドマンド・バークだとか福田恒存などが体現するものではさらさらなく、俗に「うちの上司は保守的だ」と言われるような意味合いである。
最近、ようやくメディアで取り上げられるようになった、世田谷区史の編纂問題。これは、執筆をお願いしている専門家の著作権を、世田谷区が取り上げるというものである。
「これに同意しろ」と区が執筆者に迫って、41人中39人が“屈服”。1人は辞退したが、最後まで闘っていたのが青山学院大学の谷口雄太准教授だった。しかし、世田谷区は谷口准教授に執筆させないことを決定し、排除。元締めの保坂区長は「一番よい形での解決を望んでいる」と傍観するだけ。これが、表現の自由を掲げる“自称”ジャーナリストの実体である。
さて、次はどうだろう。これこそ、“自称”ジャーナリストの面目躍如ではないか。
区長会見にフリーのジャーナリストを入れない、という問題である。詳しくはこの犬飼淳氏の記事を参照して欲しいが、ここまでくると、自称するのもおこがましいレベルである。保坂区長自身が、政治家になるまでは、フリーの立場で活動してきたくせに、権力者となるとこの体たらく。よくある話かもしれないが、それで片づけてよいという謂れはない。
もう多くの人は忘れているが、保坂区長はもともと「教育ジャーナリスト」を名乗っていた。しかし、私が議員になってしばらくすると、いつの間にか「教育」を外して「ジャーナリスト」と称するようになった。その理由は詳らかではないが、私はある推測をしている。
2017年、世田谷区がジャズ・トランぺッターの日野皓正氏に指導をお願いしていた「ドリーム・ジャズ・バンド」において、日野氏が子どもを公衆の面前でビンタする事件が起った。これはワイドショーも大きく取り上げて騒動となったが、保坂区長はこれを「体罰に差しかかっていく、ギリギリ手前だった」などとごまかした。教育ジャーナリストの保坂区長は、この事件が起こる以前、こういうことを言っていた。
あまりに自語相違しているものだから、さすがに「教育」の看板は降ろしたのではないか、と私は思っている。
以上、3つの例を取り上げたが、これらが保坂区長でなく、自民でも維新でもよいが、政治的な意味での保守政治家がやっていたら、どういう評価になっているかは、想像に難くない。そういう意味では、保坂区長は政治家としての演出が上手だと言える。
しかし、この“なんとなくリベラル”のお面には、問題が生じても現状を追認するだけの、“ガチ保守”の素顔が潜んでいるのであり、世田谷の風土が良質なリベラルにあるとしたら、保坂展人という政治家こそ、本来は許容できない存在なのではないか。
残る“自称”ジャーナリストもさることながら、いよいよ区長の肩書も返上すべき時が来ていると強く感じる。