形骸化するのか、法の下の平等

本件については以前から申し上げているように欧米型の男女平等尺度とアジアのそれは違うため、一概にこの結果を鵜呑みにしたくはありません。教育と健康は十分なポイントをゲットしているため、企業と政治家に女性リーダーが足りないのが主因です。企業についてはどうしても改善したければ外国人の女性を会社の役員に招聘する手段もあります。簡単に改善はできますが、日本の企業が外国人の女性役員をうまく付き合えるのか、という疑問は残ります。

衆議院議場 衆議院HPより

つまり仮に日本が数字合わせで女性の役員や政治家を増やしても果たしてうまくいくのか、とすればアメリカのアフォーマティブ アクションの二の舞になりかねないリスクは存在します。

一方、下駄を履かせてでもある程度平等にしないと世の中は上手くワークしないというのも分かります。ゴルフにハンディがなければ初心者が楽しいと思うことはないでしょう。しかし、プロのトーナメントはどうでしょうか?ハンディキャップはありません。つまり、完全実力勝負です。

これ、ジレンマだと思うのです。政治家や企業経営者はハンディなしの実力勝負をしているので結果としてジェンダー構成は役員や政治家においてアンバランスになっているとも言えなくはありません。ただ、誤解を避けなければいけないのですが、政治家はそれでも着実に女性は増えているし、候補者も多いのです。あくまでも選挙民が誰を選ぶかという平等の中での結果でしょう。

不平等の背景には大まかに2とおりあると思います。1つは能力的問題、もう1つは一般社会で相いれにくい習癖、宗教観、振る舞い、思想などを背景とする問題です。かつて日本人がジャップとかイエローモンキーと言われたり、アメリカのWASPは後者でしょう。能力的差別とは例えば仕事における粘り強さや自己改善意識、成長願望などがぱっと思いつきます。これは同じ人種間でも起きうるわけで、アメリカではトランプ支持派とされる比較的低学歴の人たちと高学歴派との差は好例かと思います。

法の下の平等は「言うは易く行うは難し」です。世界の基準も違うので、白人社会が決めたルールが必ずしも正しいという訳でもありません。これを書く私自身、完全なる法の下の平等を自分は履行しているのだろうか、と考えると頭では分かっていてもなかなか行動が伴わないこともあったかもしれません。個人的には下駄を履かせるのはむしろ失礼ではないか、と思っています。下駄=色眼鏡ではむしろ潜在的差別意識を増長しかねません。むしろ弱者の声を聞きながらも改善方法を共に考えるスタンスが大事なのだろうと思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月4日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。