「自由民主主義の勝利」が謳われた冷戦終焉時に、アメリカの権威は絶大になった。自由主義陣営の盟主としての地位とともに、軍事力・経済力において、他の追随を許さない実力を持っていると思われた。インターネットによる産業構造の変革においても主導的な役割を果たし、蓄積された財政赤字も1990年代に改善し、21世紀初頭においてアメリカは絶頂期にあったと言える。
隔世の感がある。
2001年からの「グローバルな対テロ戦争」は、アメリカ軍を迷走させ、経済に足かせを作り、社会構造に苦悩に満ちた分断を生んだ。
屈辱のカブール完全撤退を2021年8月に完遂させた後、22年2月にロシアがウクライナに全面侵攻を開始した。アフガニスタン共和国政府のガニ大統領がいち早く首都を脱出したことを聞いて、バイデン大統領は激怒したと言われる。それに対して、ウクライナのゼレンスキー大統領は、迫りくるロシアの首都攻撃に屈せず、徹底抗戦を誓った。バイデン大統領は、ウクライナへの全面支援を表明した。同盟諸国もそれに続いた。
それから一年半以上がたった。今年の夏のウクライナ軍の反転攻勢は、来年秋の米国大統領選挙をにらんで、ぎりぎりのタイミングで開始されたものであった。苦戦や予測されたが、それ以上引き延ばすこともできなかった。
二カ月ほど前、進軍の速度が遅いという声もある中、私は、事情を考えれば、ウクライナ軍は善戦していると言えるのではないか、と書いた。
ただ、その後、ウクライナ軍の進軍はむしろ一層停滞した。できれば、せめて冬になる前に要衝地のトクマクまで到達したかったが、それはほぼ不可能な情勢だろう。すでに秋の泥濘期に入っている。
『TIME』誌に、勝利だけを目指して突き進むゼレンスキー大統領に対して、政権内で不安と不満が生まれていることを伝える記事が掲載され、大きな波紋を呼んでいる。
特によくないのが、ゼレンスキー大統領が「西側に失望した」と語ったと報じられていることである。
あわせて『Economist』誌にザルジニー・ウクライナ軍総司令官のインタビュー記事も公刊された。ザルジニー総司令官は、戦局が膠着常態に入ったことを認め、それは自身の責任でもあると考えている、と語った。カリスマ司令官の実直な言葉であるだけに、重たく響く。
折しも中東情勢が混迷を極め始めた。アメリカを始めとするウクライナ支援国の関心が大きくウクライナからそがれている。これはアメリカの議会でウクライナ支援懐疑派が発言力を高める効果をもたらし、さらには軍事的・財政的資源が先細りしていく可能性が出てきたことを意味するだけではない。米国の大統領選挙でバイデン大統領が再選される見込みが目立って減少し、トランプ氏のようなウクライナ支援懐疑派が勝利する可能性が高まったことまでも意味している。
アメリカは中東情勢への対応で四苦八苦している。私に言わせれば、ミスをした。イスラエルに対する眼差しが一層厳しい欧州諸国の指導者たちも、ゼレンスキー大統領も、ミスをした。
21世紀になって米欧の威信が大きく低下し、しかも成果が出ないまま、軍事的・財政的に疲弊の度を強めていく傾向が顕著だった。アメリカとその同盟諸国は、ウクライナでその流れを堰き止めたいという期待をしていた。残念ながら、現状では、大きな流れに真っ向から抗して押し戻すのは、難しい、と言わざるを得ない。
冷静になる必要がある。
私は開戦時から、「軍事専門家はウクライナの敗北は不可避だと言い、歴史家はロシアの敗北は不可避だと言っているが、双方が正しいように見える」、と言ってきた。
少しニュアンスを変えると、これは、「ウクライナは負けないが、ロシアも負けない」、と言うのと、同じである。
ロシアがウクライナを完全制圧するのは難しい。だが同時に、ウクライナがロシアを完全に駆逐することも難しい。
仮にウクライナが奪われた領地の全てを取り戻しても、なお広大な国境線にそってロシアの再侵略を防がなければならないことは、取り戻せなかったときの場合と、同じである。
国際社会の大多数はロシアの侵略を認めている。戦局の行方等の事情だけで、その事実が変わるわけではない。だが戦争の結果は、国際世論の結果で決まるわけではない。
巷ではウクライナが望めばいつでも簡単に停戦がなされて戦争が終わるかのように語る者もいるが、状況の過度の単純化は禁物である。戦争を続けるのは難しく、戦争を終わらせるのもやはり難しい。
また、せっかくウクライナとの固い団結を示して平時ではありえない努力をした支援国が、結局はウクライナからの恨みの対象になるような事態は、何としても避けなければならない。
勝利か敗北か、完全奪還か降伏停戦か、といった二者択一は、最初から存在していない。状況は常に厳しく、複雑だ。だが、全面侵攻から二回目の冬を迎えるにあたり、厳しさと複雑さは、さらにいっそう高まっている。
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