内閣府が発表した日本の一人あたりGDP(米ドルベース)がイタリアを下回ってG7で最低になったことが話題を呼んでいる。この最大の原因は円安だが、これをどうみるべきだろうか。
アベノミクスの評価は、企業と消費者で大きくわかれる。企業収益は史上最高で、日経平均株価はバブル後最高値を記録したが、1991年以降の30年間で実質賃金は5%しか上がっていない。
日本人の賃金はアジアに近づいた
その原因は日本の労働生産性が低いことだといわれるが、日本人の知能は高く、IQテストでも数学テストでも世界トップである。その労働が付加価値を生んでいない原因は、労働市場のゆがみである。
1990年代以降、グローバリゼーションで世界の労働市場は大きく変わったが、日本の雇用慣行は硬直的で、中高年のホワイトカラーが社内失業する一方、主婦や老人再雇用のパート労働者が増え、平均賃金が下がった。
このため製造業は人口の減少する日本で雇用を増やさず、成長するアジアに投資した。その結果、30年前には日本の単位労働コスト(生産性で割った賃金)は中国の8倍近かったが、今はほぼ同じになった。
これは要素価格の均等化という法則で、生産要素の価格(特に賃金)が世界全体で均等化するのは、水が高い所から低い所に流れるようなものだ。これはグローバリゼーションの宿命ともいえるが、アベノミクスはそれを促進し、国内と海外の賃金が収斂し、国内の格差が拡大したのだ。
黒田日銀が空洞化を促進した
これは黒田総裁の意図ではなかった。彼が2013年に就任したころは「円安→輸出拡大→景気回復」という昔ながらのメカニズムを考えていたと思われる。ところが彼の意図通り円安になったのに、貿易赤字は拡大した。
これは黒田総裁も意外だったらしく、当初は「一時的な現象だ」とか「そのうち海外拠点は戻ってくる」と言っていたが、資本流出はますます進み、所得収支の黒字(対外直接投資の収益)は史上最高になった。大企業の連結経常利益は増え、いわゆる「内部留保」が2010年代に約600兆円に激増した。
これはグローバリゼーションの必然的な結果で、アメリカでも1990年代から2000年代初めにかけて、オフショアリングによる雇用喪失が深刻な問題になり、政治的争点になった。それが20年遅れで、日本にも起こったのだ。
それ自体は悪いことではないが、急激な空洞化は国内の格差拡大をまねく。植田総裁も「賃上げをともなう物価上昇」が起こらないと超緩和は解除できないというが、日銀のチープマネーが空洞化を促進したのだから、雇用回復のために必要なのは、まず異常な量的緩和を手じまうことだ。
資本鎖国を打破する「逆産業政策」が必要だ
岸田政権の「賃上げ要請」は、さらにナンセンスである。グローバリゼーションは万有引力の法則のようなもので、政府が低い所に流れる水を逆流させることはできない。
一つの対策は、トランプ政権が試みた保護主義である。関税を上げて輸入を止めれば、グローバリゼーションが止まることは自明だが、これは輸出国にとっても輸入国にとっても損失になる。長期的には保護主義で産業が崩壊することは、農業をみればわかる。
もう一つの対策は、グローバリゼーションの利益を税収で国内に還元することだが、現実には困難だ。現地法人は海外で納税するので、グローバル企業はソフトバンクグループのように数百万円しか納税しないケースが多い。
第3の対策は、グローバリゼーションを徹底し、対内直接投資を促進することだ。それがかつてサッチャー政権がイギリス経済をよみがえらせた政策だった。イギリスの対内直接投資残高はGDPの80%を超え、世界中の金融機関がシティに集まっている。
ところが日本の対内直接投資は、GDPの5.2%とOECDで最下位。201ヶ国の中で下から5番目で、北朝鮮より少ない。熊本のTSMCのような新規立地はいいが、外資が既存の企業を買収しようとすると、企業も行政も反対する。法的規制はないが、企業買収に際して雇用を維持する条件がつくなどの非関税障壁が、対内直接投資を阻んでいるのだ。
東京をアジアの「国際金融センター」にするという構想も、法人税率がアジア最高では話にならない。まず法人税率を15%に下げ、金融特区はゼロにするなどの政策が必要だ。「資本鎖国」を打破して資本輸入を促進する逆産業政策が、経産省の新しいミッションだろう。